
優しさは感情ではなく、扱い方の話ということを今回は提案がてら
書いてみようかなと思っています
瞑想やセルフケアの文脈で、よく出てくる言葉があります
それは
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「優しい気持ちで」「自分に優しく」「慈しむように」
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この言葉に、どうしようもなく困ってしまう人がいます
そして実は、カウンセリングの現場では、その困惑はとてもよく聞かれることでもあります
あるクライエント様は
かかりつけのお医者様に
『あなたは優しさを持つべき』と言われて
とても否定された気持ちになってしまったと吐露していました
「優しい気持ちって、どういう気持ちですか」
「自分に優しくしようとすると、甘やかしている気がしてしまう」
「優しくなれない自分は、どこか壊れているのでは」
私はこの問いを、長いあいだ考えていました
なぜなら、私自身が同じところでつまずいていたからです
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優しさは「湧くもの」だと思わされてきたような気がします
生まれつき優しい人とか
慈愛に満ちた人とか
そういった類の人は、『運』でそれが手に入っているのではと思っていた時もあります
(もしくは前世で良いことをした人・・とかね)
多くの人は、優しさを「感情」だと思っています
あたたかい、柔らかい、ふわっとする、許す感じ。
それは生まれつき身についていたのかもしれないし
環境によって身についたのかもしれない
そして
たしかに、そういう感情は存在するのだと思います
しかし・・と私は思うのです
けれど、その感情は不安定です
疲れていると出ない
恐れがあると湧かない
怒りがあれば、消えてしまう
自分の安全が確保できている場所でないと
『優しい気持ち』が出てこない人もいると思うのです
例えば戦争中に
とても困窮している状態の時に
『優しい気持ち』が維持できるものなのか・・と言われると
ほとんど大多数の人が迷うと思うのです
だから、人は何度も映画やドラマなどのフィクションの中で
登場人物に自分を重ねたりして
自分自身の内面を見るのだと思うのです
それくらい困難で
不確かなものなのに
それなのに、「優しい気持ちで」と言われると
まるで「その感情を作れ」と命じられているように感じる人がいる
私自身がそうでした
『感情は作れないよ!!』と思ってきた一人です
トラウマ治療を生業としてきた一人としても
クライエント様を見て
『感情のコントロールは難しい』と思うのです
何かを我慢したり、諦めたりのコントロールは訓練次第では可能ですが
『優しさ』や『慈しみ』などの感情を『出す』という訓練は
これは難しいのですよ!
とくに、長く緊張の中で生きてきた人ほど、
その言葉は重く、曖昧で、時に暴力的にすら響く指令だと思うのです
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だからこそ、の提案がああります
『感情としての優しさ』
と
『扱い方としての優しさ』
ここに、大切な区別があると思って良いのだと思うのです
優しさは、感情でもある
でも、自分でできるのは「扱い方としての優しさ」の方だということです
感情としての優しさは、湧けば心地いいものです
けれど湧かない日もあるのも事実です
湧かない自分を責め始めると、セルフケアは一気に苦行になりかねません
一方、扱い方としての優しさは、感情がなくても成立するのです
たとえば——
・体調が悪い日は、重要な決断をしない
・話し合いで身体が反応したら、延期する
・自分を責める思考が始まったら、そこで止める
・危険を感じる場から、距離を取る
これらは、胸があたたかくならなくてもできることです
淡々としているし、地味な作業でもあります
そして確実に、『自分を壊さない』というものです
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またよくある質問として
『優しくする』とは『自分を甘やかすことですか?』というもの。
これは明確な見分け方があるのです
甘やかしとの違いは「あとでどうなるか」という点に注目してみると良いかと思います
「自分に優しくする」と「甘やかす」の違いが分からないというときは
基準にしてほしいのは『感情ではなく予後』を判断することです
例えば
・その場は楽だが、あとで必ず消耗する選択
→ 甘やかし
・その場は少し不安でも、あとで回復が進む選択
→ 優しさ
たとえば、無理をして話し合いに応じること。
その場は波風が立たず、安心したように感じるかもしれないです
でも後から、強い疲労や自己嫌悪、体調悪化が出るなら、
それは優しさではない。
逆に、今日は話さないと決めること。
一時的に罪悪感は出るかもしれない。
でも身体が少し楽になり、回復に向かうなら、
それは扱い方としての優しさなのです
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「優しい気持ちで」は、こう言い換えていいかと思います
瞑想やセルフケアの中で出てくる
「優しい気持ちで」というフレーズは
それを、そのまま受け取らなくていいのです
(だって、迷うじゃないですか 自分の中の優しさを探すということは難しいのです)
私が臨床でよく使う言い換えは、これです
『自分を雑に扱わないで』
・無理に変えようとしない
・早く良くなろうとしない
・正解に押し込めない
これは感情ではなく、自分への態度です
自分を『大切な白く輝く陶器のように扱う』ということだけで
充分なのではと考えるのです
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優しさは『感じられなくても、実行できる』
ここが一番伝えたいところです
優しさは、感じられなくてもいい
湧かなくてもいい
あたたかくなくてもいい
自分というものを、柔らかく白く輝く陶器のように
割らないように
傷つけないように
粗末に扱わないように
大切に扱うという選択をしているなら、それは優しさだと思うのです
今日、
・立ち止まったこと
・判断を保留したこと
・身体のサインを優先したこと
それらはすべて、感情ゼロでも成立するもので
その行為自体が
陶器を傷つけない選択で『優しさ』なのだと思うのです
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最後に
もし「優しい気持ちで」と言われて苦しくなったら、
こう思っていいと思います
『今は、感情じゃなくて、扱い方を選んでみよう』
優しさは、才能でも性格でもないのかもしれません
むしろ
技術であり、選択なのかなと思っています
そしてその技術は、
すでにあなたの中で、静かに使われ始めているのでは・・と思うのです
どうぞ
気持ちの中だけでも
イメージでも良いので
自分の心を
美しく光る白磁の陶器のように思ってください
それは柔らかな布で包み
撫でるものであり
そしてまた他者も、同じ白い陶器のようなものを持っていると感じられるようになったならば
もしかしたら
その感じられる瞬間に生まれいづるものが
『優しさ』なのかもしれません







