月になったモグラ

 

数ヶ月前に『モグラの子』の話を書きました

私の中にいた、ある人格のお話。

 

しかし、これには続きがありました

それは余りに自分にとっては悲しくて残酷なお話だったので
書くかどうか悩んだお話でもあります

 

私は、『モグラの子』と出会い
そしてその子の『意思』を感じて

出会いを果たした後の数日間
モグラの子に対して、度々様子を見に行くという作業をしておりました

というより
可愛くて気になってしまって

そのモグラの子が住んでいる世界を覗いてみたくて
日に何度も何度も様子を
伺っておりました

 

そして、数日経ったある日
私は朝起きてすぐに、モグラの子を覗いてみたら

モグラの子は地中にはおりませんでした

なんとモグラの子は、山の上に居たのです

山の上は、まさに夜明けどきで
陽が昇ってる時でした

薄ぼんやりした
淡い黄緑色の山々の端が 金色にふちどられて

そしてその先は、大きく桃色に輝くお日様が
今まさに姿を現す、という時でした

 

うわ・・と私は思いました

モグラの子が、初めて地上に出たんだ!!

(そしてあろうことか、いきなり山のてっぺんで日の出を見てる!)

 

モグラの子は呆然とした様子でした

少し猫背気味の背中は
初めてみる光に圧倒されている様子があらわれておりました

 

(そりゃそうだよ 何十年も地中にいたんだもの)

 

モグラの子の横顔をみると
ゴーグルを付けたままでした

手をダランと垂らして、脱力してぼんやりと立ち尽くしている

圧倒的な光の中にいるモグラの子は

やっと
それまで休みなくしてきた『地下を掘り続ける』という働きを止めたという瞬間でもありました

 

ずっと忙しなく
『やむをえない やむをえない』と呟いていたモグラの子です

私の中で、人格として『がむしゃら』を地中深くで長年にわたり請け負っていた子です

その子が光の中で一言も発さずに
ただ立ち尽くしていました

私は単純に『モグラの子もこれからは死に物狂いで働くということから
解放されるなあ』なんて思って

それに満足してその場を後にしたのです

 

 

それから数時間後に、ふと思い出して
またモグラの子を覗きに行くと

モグラの子は山の麓に一生懸命に小屋を建てている最中でした

モグラの子には、小さな相棒がいるらしく
それはよく見えなかったのですが
どうやら小さな小動物なようで

その、小動物も一緒に木を組み立てて
小屋を作っているようでした

 

(やっと、モグラの子は居心地の良いところに居を構えることにしたんだなあ)

 

と私は少しホッとしたのと同時に

(どんな家が出来上がるのかなあ)と思いながら
その場を後にしたのです

 

 

その後、数日後に
師匠にその話をした時に
『じゃあ今モグラの子、どうしてる?』と訊かれて

見に行ってみると

なんと
モグラの子は暗い穴の中に体育座りをして膝に顔を埋めておりました

(え・・すごく暗いとこにいる 戻ったのか!?)
と驚いて

先生に『小屋を数日前は作っていたんですけど、今みたら暗い穴の中で
体育座りしてました』と伝え

何があったんだ??と
理由も分からずに放っておいたのです

 

 

そしてそのまた数日後の夜のことです

いきなり頭の中から
パイプオルガンの音でゆっくりとした旋律のレクイエムが聴こえはじめたのです

それは夜中にパソコン作業をしようかという時のことでした

頭の中で、唐突に
荘厳なレクイエムが流れ始めて

(まるでフランダースの犬みたいにお迎えでもきたかのような曲で
誰か不幸でもあったのかなあ・・)なんて考えていたら

グワンっと、
後頭部を思いっきり殴られたかのような衝撃と

そして殴られた時によく感じる、目が回るような圧というか

ものすごい急な目眩を感じたのです

 

いきなり大地震でもきたかのような衝撃だったので

(でも運良く座っていたから倒れなかったけど)

何が起きた!?と
思うと同時に

ものすごい涙が出てきました
何故に涙が出るのかも分からない

でも重厚なレクイエムと、その衝撃とがマッチして

『もしかしてモグラの子死んだ?』と何故か天啓のように理解したのです

 

やばい
本当にいなくなったのか?

とオロオロと探し回るも

もちろん地中にもおらず
小屋も崩れていて

山はすっかり夕闇に包まれておりました

あったのは
こんもりとした土を盛ったような小さな山の中腹にある
ぴたりと閉じらされたドアだけでした

ドアと言っても
昔風の茶色の扉で、鎖でドア自体が縛られておりました

そしてそのドアの上には小さな古びた電球が付いていて
黄色の灯りで静かに扉のありかを示しているのだが

もうその様子からして

『このドアは使えません』という雰囲気を発しておりました

地中につながるはずだったドアに鎖が架けられていて
どこを探してもいないモグラの子

そして壊れた小屋の残骸

本当に静かに、その扉は閉じられており

まるで何年も開いたことがないような風情すら感じられる
赤茶けて錆びついた扉になっておりました

 

その瞬間
流れてきたのは

モグラの子の感覚でした

 

『もうここでは生きられない』

 

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モグラの子が生まれたのは地中でした

生まれた時から光を見たことはありません

モグラの子の役割は穴を掘り続けることでした

 

日々、追い立てられ
追い詰められて生まれた人格は

一つの場所に定住することは無く

いつも採掘機の中で
運転席から、地中を見つめて
穴を掘り進めるという世界こそが、そのモグラの子の世界でした

 

ずっと地中にいた
モグラの子は
『自分が生まれた意思』から連絡が来て掘ることをやめさせられてしまいました

掘ることを命じられなくなったモグラは
行くあても無く
地上に上がってみると

そこはものすごく光に溢れた世界でした

モグラの子は光を見るのは初めてでした

あまりに初めてすぎてゴーグルを外せませんでした

それほどに光は眩しかった

モグラの子は新天地でも生きるために、自分で場所を決めて
小屋を建てて生きようとしました

場所は地上で、光の中です

モグラの子は自分の場所を作ろうと
一生懸命に小屋を建てようとしました

 

しかし、思ったよりも

『光』は、モグラの子にとって眩しすぎたのです

何十年も地中で暮らしてきたモグラの子にとって

光のある世界は何もかもが違っていました

そしてモグラの子は、結局
光の無い、かつての懐かしい地中に戻りました

しかしもう以前のような採掘機も消えてしまい

モグラの子は、自分で少し掘った小さな穴に潜り込んで
じっと座り込むだけでした

 

何日も何日も座って、そして

 

 

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おそらく上がったのだと思います

状況からして
『お迎えがきた』としか考えられない

この『お迎えが来る』というのは
解離の人格の手当や、介入の際に、よく見る光景です

上からお迎えが来ることもあれば

下に吸い込まれていくこともあります

何かに包まれて
運ばれていくこともあります

 

私も自分自身でこれまでにも何度か体験したことがあります

自分の中の小さい女の子が
猫に先導されて、連れられて上がっていった様子も見たことがあります

 

しかし、今回は
私にとってモグラの子は特別な存在でもありました

がむしゃらで
何が何でもやり遂げる存在で
そして、ひたむきな子でもありました

モグラの子に対して
どうして変化が訪れてしまったかというと

『休めない』ということが非常に身体に負荷がかかっていたためです

人格は複数いれども
私の身体は一つなので

私は周りから、もう耳にタコが何個もできたくらいには
『休みなさい』と言われ続けてきました

しかし、眠れないし休めないし、なんなら休みを取れば余計に課題を抱え込むという
負の連鎖でもありました

 

最近になって ようやく納得して
ブログの量もかなり減らして
なるべく頭を休めるようにして

絵を描くことをリハビリとして過ごす中で

ようやく『何かに恐れがあるから、こんなに過集中して仕事をこなすんだ』
というところに辿り着き

そして『何に恐れているのか』というところを
丁寧にゆっくり紐解いていくという作業をしていくうちに

自分の中に分裂しているものがあると気がつきました

 

その分裂の最初に辿り着くと
そこには、鬼の形相をして叫び続ける母親がいたのだけれども

そんな母親にも別れを告げて
私はやっと『自分のペース』を取り戻したらば

モグラの子の『がむしゃらさ』が
行くあてが無くなってしまったのです

 

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正直申し上げれば、あの『がむしゃらさ』は惜しくもあります

追い込まれると
自分が、何か
別物になったかのような働きをするということは理解しておりました

そしてモグラの子が
そこを担っているとは思いもしませんでした

 

まあしかし、身体は確実に回復しているし

そして何より身体の不調が消えてきているのは確かなのです

いつも抱えていた頭痛や
恐怖感と閉塞感はもう殆ど感じなくなっています

集中をするという作業も
前のように追い込まれて・・ではなく
自分で選択して『集中モード』に入ることができる

 

しかし
自分と長年共にいたような存在が消えるという『喪』が

こんな形で訪れるとは思ってもいませんでした

 

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スーパーバイザーが言うには

『消えたと思われても、その存在が癒やされたら
また戻ってくるよ』

と言います

 

 

解離の回復は
ものすごく不思議なところがあって

それこそ『魂』の問題を取り扱わざるをえないような分野でもあります

確かに
人格が取り出されていく様子は
クライエント様たちからフィードバックとして沢山聴いています

包帯でぐるぐる巻きにされて運ばれていって
集中治療室のようなところで治療を受けている

なんてことを、多々お聴きするのです

 

そして数ヶ月経つと
治療を受けた人格は、ご本人のところに戻されていきます

ご本人の中で、成熟した人格として
また新たに生きていくのですが
その頃には、クライエントさまにも心の変化が訪れていて・・といった
様子になります

 

この『人格の治療』は、最初は驚きました
もう日常となってしまい慣れてしまいましたが

治療などではなく『喪』という形で訪れるということに
今回は驚いてしまったのです

 

 

この話は数ヶ月前のお話で
では今は一体どうなってしまったかと言うと

なんとモグラは『月』になってしまったのです

月にあのモグラの子の顔があって、それがニコニコして地上を照らしているという
・・なんともシュールな世界観が見えています

一体ゼンタイ
何がどうなったのかは分かりません

『別人格』は全くの『他人』でもあるので
どういった経緯や体験が、その人格に訪れたのかは知る由もありません

『解離の人格』の治療はものすごく複雑な様子をしており

『人格』はさまざまなので
一概に通用するアプローチもありません

 

しかし、一つだけ有効かもしれないと思っているのは

『願い』をきちんと持つことかなと思っています

人は生きていく中で
色々な人との関わりの中で
『こうありたい』という願いを持つようになりますが

その『願い』が
強く収束して、光ケーブルのようになると


やむにやまれず『他者からの攻撃やらで生まれてしまった人格』に対して

何か『癒し』のようなものが訪れるのかもしれないと思っております

 

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とはいえ
解離の人は『解離の本』を読まない方がいいというのは
先生たちからの教えでもあります

本によって知識を得た『人格』たちが、自分が消えないようにと
操作することがあります

でも、『本』に書いてある通りでは無いと

自分やクライエントさまたちの『解離』をみて感じています

 

結局のところ
『救命』として誕生した『人格』たちなのよなと感じるのです

『解離性同一性人格障害』と『解離性障害』の
介入の仕方も全く違うものです

なので『人格』それぞれの物語を
きちんと把握することが何より大切だし

そして『人格』の意思も大事なのです
(全くの他者のような存在なのです)

 

だからこそ
『治す』ということの根幹を、いつも考えさせられています

誰のために、何のために治したいと
今私の前にいる人格(クライエントさま)は思っているのだろうか

ということをいつも、ずっと考えながら
カウンセリングをする姿勢こそが大事なのだなと感じるのです

   

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