重い瞼を開ける

私は解離性同一性障害だったという

今は寛解してきて
そんなに人格がてんでばらばらに振る舞うことは無くなり

なんとなく
『一つのチーム』として機能している感覚はある

人格の数はおおよそ、今存在しているのとしては
10名くらいだろうか

英語を喋る人格もいれば(私は英語は全く喋れないし読めない)

記憶担当の人格もいたり

サイコパス(的だよね・・と呼ばれる)人格ももいるが
もうこれはプロファイリングの才能がすごいんじゃないかというくらい
何かを見れる人格もいるし

未来と言っていいのかわからないが
先を読める人格もいるし

美的感覚を担当する人格もいる

今はチームになっている感覚があり
非常に頼もしい限りでありますが

昔はものすごくしっちゃかめっちゃかで
とにかく人格の数が多くて大変だった気がする

一日のうちにも何回も解離して
色々な声と思考とスイッチングとで
頭が痛くて、目も見えなくなった

空間が捻れて
よく目の前に白昼夢のようなものが出現していた

多分頭の血管がおかしくなって死ぬなあ・・と思っていたが
それがここまでどうしてこれたか

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回復の最中に
それは『傷つくことを恐れなかったこと』に尽きるような気がします

解離の方の特徴として
ファンタジー(妄想)の中で『自分の脳と心を守る』という防衛を取ります

私もですが
『他人の悪意』『他人の本心』というものが、なかなか捉えられませんでした

先生や医師達は、みな『期待をするな』と言っていたが

意味が分からなかった

 

病理の一つとして
私は『ファンタジー(妄想)の世界』で心を守る代わりに
そことの癒着が取れなくなってしまったのだ

ファンタジー(妄想)の世界というのは
無意識の世界に近からずも遠からずなところにあって

あの世とこの世のちょうど中間というか

『果ての世界』のようなところにあります

 

そこでは
心が壊れる寸前だった『瞬間』を冷凍保存できる『場』があって

そこの『瞬間』が
何かの刺激に疼いたりもするのだ

私が冷凍保存した、その『瞬間』というものは
ひどく恐怖だったり
この世の『不都合さ』だったり
『不条理』だったりして

それは、子どもの心では持ちきれずに

本当に心が分裂して
その『恐怖の実態』の方を冷凍保存して

自分の周りはファンタジー(妄想)で守るように
心がそんな機能を自らの手で施したのだけれども

その機能は、自分の心が起こしたわけではなく

それこそ、偶然の産物のようなもので『起こった』という

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回復の道程は
その『冷凍された場』を解凍していくことが重要なことでもありますが

そのためには
もちろん炎的な暖かみが必要であって

でも準備が整っていても
ファンタジー(妄想)の方が、それを拒否するということもある

ずっとファンタジー(妄想)の中に居続けたいという人格もいて

それはもう
陣地取りみたいな様子が、一つの身体の中で繰り広げられるから
ものすごく体力を消耗します

 

しかし
それでも大事なことは

『実態を見る』ということを恐れない勇気でしょうか

私は解離性同一性障害が治癒されるにつれて
他人への期待がなくなりました

人は善いものだ

というような性善説は
他人に搾取されるだけで、それはひどくすっからかんになってしまう

 

私の師であるスーパーバイザーの精神科医が
いの一番に言ったことは

『いい人ってのは10人中1人しかいない』ということ

『残りの9人は損得勘定で動くもので
17人に1人の割合で邪悪がいる

邪悪は人を操作するから
残りの9人はそれによりグラデーションするものなんだ』

 

これが本当の意味で受け入れられたのは
師に出会ってから数年後のことでした

それまで『人は分かり合えるものだ』などというファンタジーチックな妄想を信じてきたのだと
自分で自分を理解した時に

この妄想を信じ続けることは
搾取されるだけよなあ・・と急に落胆の感覚になり

少し寝込み
起きた時には、なんだか憑き物が落ちたような感覚になったのを覚えています

もっとドライでいいのだと理解した時に

周りの高之瀬やら
先生達が繰り返し言っていた
『人を信じすぎるな』ということが

『他人をいい人だと期待している』ということで
『いい人だという思い込み』に依存しているのだと分かった時に

『うわ・・めっちゃ子どもだったな』と
自分で自分を振り返ることができた瞬間でもありました

 

しかしそこから
人格の対抗が始まります

『妄想を死守したい人格』と

『実態を見たいという人格』が拮抗し合い
動きが取れなくなるということが多かったです

それでも人格達はジリジリと押し合い

やっとこさ皆んな
『実態を見ないことには進めない』と団結の意思が固まり始めました

 

それからというもの
『落胆すること』が多かったこと、多かったこと!!

いかに自分が他人に期待して
いい人として捉えていたかということでもありますが

もう、がっかりすることが多かったです

しかし、がっかりするたびに

それとともに
『それでも皆んな頑張って生きているんだよなあ』

という、なんというか
弱さへの共感といいますか

『生きるというのは、日々の小さな葛藤の積み重ねなのだな』

という
色々な人の
それぞれの抱える苦悩のようなものもうっすら見えるようになり

そうしたらば
もうなぜか分からないけれども

仕事での介入の腕もぐんと上がり

すると、ますます
自分がただの世界の一片の片割れのような感覚になり

自分への妄想やら
幼稚な感覚やらがハラハラと取れてきて

『ただ、この仕事をさせられているだけだ』という

静かな、しんとした禅的な

『己』みたいなものが
実は『たださせられているだけだった』みたいな変な感覚

 

力を入れずとも
なるようになる

とよく禅の先生はいうが
まさに、本当にこの感覚に近しいのでは・・と思う

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去年は割と早い回復の方が多くて
何人の方が卒業されたのかと思うのだが

その方々
どの方も笑顔で
『なるようになる!と思えるようになったから大丈夫そう』とおっしゃって卒業されたのだが

この感覚は、一見心もとないように感じるのだが

実は
大船に乗ったような安心感があるのですよ

それは
実態を見ることができて、人生の極意のようなものにも触れたからなのではないかと思うのだけれども

その極意というものは『覚悟したらば、自ずと感じられる』ようなもので

言語化が難しいのだけれども

妄想を捨てて、誰のことも責めず
1人の人間として1人で立とうと覚悟した瞬間に訪れることが多いようです

 

覚悟というのは
『自分で自分に決意』することなので

自分のことは自分では騙せませんから

自分との戦いみたいな様相になります

   

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