身体の声を聞く

私は幼稚園の頃から物凄い肩こりでいつも頭が重くって
しかも首の付け根に何かが詰まっているという感覚をずっと持っていました

この詰まっているものを取りたい・・!と思い生きてきて数十年

これがあるから頭痛が引き起こされることも分かっていたし
どうにかしてこれを取りたくて仕方がありませんでした

整体や鍼灸に通えど
いっときは楽になるような感じがしなくもないけれども
詰まっているものは取れない

 

そんな時、今から十年ちょっと前くらいくらいになりますでしょうか

その整体をしてくれる子は私より年下だったのですが
一風変わった思考をもつ勉強熱心な子でした

始めの一年は私も彼女も遠慮して
おたがいに息があわないというか、控えめな交流だったので
私の身体も彼女に対して開いてないし
彼女もどこまで踏み込んでいいのかわからない様子でしたが

時間が経ち

コミュニケーションをしていく中で

リラックスして施術を受けられるまでになり

彼女の『人となり』がわかってきてきた時にそれが起きたのです

 

彼女が何の気もなしに
割と背骨の近くの筋肉の癒着を剥がそうとしたところ

激痛が走り

そしてそこから、いきなり出るよ出るよの記憶の断片

パラパラパラパラと自動の紙芝居のように
次から次へと場面が切り替わりそれが止まらない

こんなことは初めての経験だったのでびっくりしましたが涙が止まらないのです

そしてその時の場面の感情がリアルに蘇ってきてしまい

彼女もとても驚いたようすでしたが
私もどうしていいのかわからず

二人して、オロオロして
とりあえずそこからは帰ってきたのですが

 

それから私は半年近く記憶が止まらなくなってしまい
ものすごく大変でした

運転中も
買い物ちゅうも
睡眠中も
何をしていても
紙芝居のように記憶が目の前に繰り広げられれて
いつもとりあえず泣いていました

目の前に美味しいご飯があっても
どんなの楽しい買い物をしていても
それより強く蘇ってくる記憶は
日常をとたんに昔の辛い時期に引き戻します

そんなこんなでどこにいても感情が蘇ってくるものだから
圧倒されてしまって
物凄い体力を消耗していました

泣くことくらいしかできなくて

それなのに
精神科に行こうとかという知恵は全く浮かびませんでした

自分にトラウマがあるなんても思っていなかったので

ずいぶんとおかしなことに
私の身体がなったものだな・・と
自分を眺めていたりもしました

あまりにおかしいからバグったのかとと脳神経外科を訪ねたりもしました

 

しばらくそんな時を過ごしていて

その紙芝居のような情景がフラッシュバックだとも知り

そんなフラッシュバックの時の合間に
なんとかせねばと

例えば他人に話を聞いてもらうなどはしていたのですが
それが、どうにもイライラしてしまう

相手が『私が感じた世界』を感じることはないという現実

・・つまり共感してもらえた・もしくは話を聞いてもらえた感覚がしないのです

自分が『こんなに辛かったんだ』と言っても

その辛さを同じくらい体感して想像してくれているような
そんな感覚がなくて

『辛い』というこのリアルな体感を表すことばが
『辛い』しかないのは、コミュニケーションを取るのが大変だな・・なんて思っていた節もあります

 

それならばどうしたら、この感覚を無くすことができるんだ

と本気で考え出したのが
その年でした

 

あまりにバランスが取れなくなってきたので
当時の家族に、

『身体が記憶をしていたんだと思う、整体に行ったらそこが開いてしまって
そこから記憶が吹き出して困っている』と話したら

『そんなことあるわけないじゃん』『そういう系の話、信じてないから』と言われて
そこで離婚を決意したのも記憶にある

人は、ふとした時の言葉のやりとりで
離婚とか大事なことが心の中で決められたりするんだな・・と自分でもよくわかりました

ふと、頑張っていたことが馬鹿らしくなり
糸が切れた瞬間があるんだなという体験もしたりして

だからこそ
本気で治したいと思っていました

何だか『自分がこのままじゃ終われない』とすごく強く思ったのです

 

それから、物凄い勢いで人生が回り始めるのだけれども

この、『このままじゃ死ねない』とか
『このままじゃ報われない』とかいう思いは
決して復讐したいとか、やり返したいとかではありませんでした

その時望んでいた感覚は

『私は私の感覚で世界を味わいたい』『自分の世界を取り戻したい』

みたいな感覚でした

身体も具合が悪くて
いつも青い顔をして
タバコとファミチキしか食べなくて

それはそれでよかったのだけど

何だか違う人生を歩んでいる感覚がありました

 

この違う人生を歩まされる原因は
やはり首の付け根にある『詰まったもの』がそれを阻んでるようでした

『詰まったもの』のせいで首を絞められているというか
いつも頭を上から押し付けられている感覚でした

それから数年して、紆余曲折があり
トラウマ治療のカウンセラーとして生きるようになり

それと同時に自分のトラウマをどう解消して昇華していくかということもやり始めるのだけれども

進めていくにつれて
身体の症状は無くなっていきました

身体が『悪いところ』としてサインを出すということは
そこを『治療してくれい』というサインなんだと思っています

身体からのサインの方が正直だったりします

潜在的に『トラウマ』を抱えて生きている人は多いような気がします

しかも重篤なトラウマほど
本人は気がついてなかったりします

『トラウマを植え付ける人』の存在もしり

また『トラウマ』が昔からの性差別から生じているということもあります
(このあたりは後日詳しいコラムをいま執筆中 お待ちくださいませ)

また昭和の子育てが『虐待』と『しつけ』の間にあり
良くよくお伺いしていると
『それ、アウト!』みたいな虐待がよくありますが

ご本人は『うちのしつけが厳しかったので・・』とおっしゃっています

でもそれがしつけだったか
虐待だったかは
実はご本人が一番よく分かっていらっしゃって

記憶の中での『親からの眼差し』や『親からの扱い』が
叩かれたとか暴言を吐かれたとかの以前に

『自分への尊厳がなかったんだ』とご本人はもう百も承知というか
理解されているのです

自分を人間として扱ってなかったという親への怒りや絶望は
感じつづけると精神を損なうくらいのダメージなので
それを感じないように、人間は自分に処理を命じます

そして、その絶望とか怒りや殺意は
記憶としては切り離されるけども

身体に溜まり、そこが叫んでいるのです

『自分を取り戻せ!』と。

そんな記憶の断片を一緒に見れるのはしんどくもありますが
けども人間が人間らしく生きるための尊厳(記憶)を取り戻す過程はどれも美しいものです

 

   

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