いじめがトラウマになっている人というのは
いじめてくる側の人の言うこと
…なんらかの 傷つける言葉を
真に受けている可能性が非常に高いなと思っています
真に受けるとは
『本当のことだと思う』ということ
いじめをする人が
傷付ける目的で言う『言葉』を
いじめられる御本人が
『さもありなん』とか 『確かにそうだわ』
と
迎合してしまうことで
主従関係のような 虐め契約は結ばれて
そして
いじめる人の言葉を 鵜呑みにして
どんどんと深みにハマっていくところがあります
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例えば
母親から『あなたは可愛くないわね』なんていうように 容姿を指摘されて育った
もしくは 兄弟と比べて
可愛られかたなどに 差をつけられていて
傷ついた経験を持っている人が
いざ 学校などの社会に出たときに
母親と同じようなことを言ってきた人に
捕まってしまう
いじめる人の 心無い言葉と
以前に親から言われた言葉とが
重なってしまい
『やっぱり、そうなんだわ』
と いじめてきた人のその言葉を
真に受けてしまう
そう考えると
親の言葉掛けというのは 本当に
子どもの心を守る(護る)働きをする重要な役割があると思うのです
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みなさんは親御さんからどのような言葉をかけてほしかったでしょうか
親から貰った言葉というものは
トラウマ治療などでもしない限り
その子供の心の中に居座ります
いい言葉だと、生涯、その子のことを護る(守る)ような働きをし
悪い言葉・・もしくは呪いの言葉だと
一生その子供の心の中で心を喰いつくしボロボロにします
うちはトラウマ治療をするカウンセリングなので
ほとんどの方は
親から呪いや悪い言葉を呪詛のようにかけられた状態でこちらにこられるのですが
果たして・・と思うのです
この目の前の方は
どのような言葉を親から掛けて欲しかったのだろうか?と。
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私の場合はと言うと
『怖くないよ』という言葉を掛けて欲しかったなあと思っています
実はこう見えて
私はかなりの怖がりで
でもだからこそこれを克服せんと頑張ってきたのだけど
最初から『怖くないよ』と言う言葉がけをされていたら良かったなあと思わなくもない
私の親はとにかく子供を怖がらせる人でした
『そんなことしてたら誰にも見向きもされなくなるよ』(寝転んでたら、そう言われる)
『勉強しなかったら生きていけないよ』
『そんなだらしなくてどうするの』
『バチが当たるよ』
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『生きていけない』と言う恐怖感をいつも植え付けて
死の恐怖をちらつかせる教育は
私の脳の中で
いつも『非常事態』を想定させられる教育でした
子供の脳は
休息と適度な運動と睡眠と栄養で発達するのに
真逆の
絶え間ない労働と強迫と偏った栄養で
脳は出来上がってしまい
だから私のみる世界は『恐怖感満載』な世界でありました
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今もその恐怖感は消え去ったかと言われるとまだ存在しています
けれども
その恐怖感満載な世界は
親の(脳内の世界)だったと気づいてからは
その世界が虚像の世界だったと気づきやすくなりました
親の脳内の世界観を
子供はそのままそっくり受け継いでしまいます
後から修正はしていきますが
子供は親が見せつけてきた世界をどこか薄っすら持っていたりもします
この親の脳内世界とどう決別するかと言うことは
本人の『意志』がとても重要になってきます
親の脳内世界に住んだまま安心は得られません
だからいずれ子供は
(親の脳内世界は、親の妄想の世界だったんだ・・・)と
つまらなく思えたら最高なのですが
どうやら事はそう簡単ではないようです
これには『親を見限る』というプロセスが大事ですが
多くの方は親を見限れません
何でかと言うと
『親は自分を愛しているに違いない』と言う感覚を大事にしてしまっているからなのです
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しかし、と思うのです
親だからと言って
子供をあるがままに愛していると言う人に
私はあまりお会いしたことがありません
極論かもしれませんが
ほんとんどの親は利己的であります
パートナーと出会って
そして何となく社会的に『家族を構成しなかればならない』と信じ込んで
子供を作ります
子供を産んでみて
初めて『自分が育てることに向いているか、向いていないか』
と言う事がわかるということがあります
子育てに向いていなそうな方が、実はものすごく子育てが上手だったり
子供好きだと思っていたら
実はものすごく自分は支配傾向が強かったりなど
親も子供を産んで初めて『親』になるわけなので
やってみないと分からない
親は、子を産んでも、まだ親になりきったわけではないのです
『心のそこから親になる』という過程は
ものすごく複雑ではないかなと思ってみています
実は禅の先生と
『親になる』とはどういうことか
という話をしたことがありました
結論としては
どういう状態が親になるということかは分からないが
親は『覚悟』ができたら
それは一人前の親かもしれないねえ
ということになった
この場合の『覚悟』は
『どのような子供でも愛する』という覚悟ができたら・・
ということだったけども
現代の親というものは
『このような子供だったら愛する』と
『限定』したり『制限』したりするので
それはどうなんだろうねえ・・?何て先生は言っていたけれども
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その『限定』や『制限』などの
『親の許容範囲』を子供が受け継いでしまうと
親の鳥籠から出られないままになってしまいます
その鳥籠の骨組みは
実は『親の不安』から編み出されたものなのに
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ということで
親からの教育を一旦、まっさらにして
一つ一つ吟味して
疑ってみるというのもいいものなのです
時代遅れならば
それを、捨ててもいいかもしれないです
真に受けないで
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