いじめのトラウマ

前回のその=社会的トラウマというものの続きで
『いじめ』についてもこれが当てはまり、そしてそれにより
『いじめ』のトラウマをどう昇華していくかのヒントがあると思えるのでそれの考察

 

『いじめ』というものは
後々の人生にとても影響を及ぼし、そして著しく『自尊心』や『自己肯定感』のような
ものに損傷を負わせるものだと

常々カウンセリングでも見て思っているのだけれども

私も中学の時にひどい『いじめ』を受けた記憶がある

けどその記憶はひどく朧げで
ぼんやりとしていて
思い出そうとすると
身体が急に空気を欲し
そして深呼吸とともに、ものすごい脱力感と倦怠感に見舞われるものだから

積極的に自分の中で取り上げられるテーマではありませんでした

触れられないというか

膜(幕)に包まれてて
それを、もう触りたくないという、非常にめんどくさい感覚

実際
私のいじめはどうだったかというと
割と壮絶だったらしく
他のクラスにもその噂は飛んでいたらしい

私は中学受験をして女子校に入ったのだけれども

そこはいわゆる中堅の頭の良さのところで
名門の滑り止めとして位置する中学で

だから勿論、名門に落ちてきた子が仕方なしに入学してきたという女子校でもありました

大概の女子たちからは入学前から
『この学校は滑り止め』として位置付けられてきたらしく

実際に
『私はこの学校は滑り止めだった』とは
入学当初はよく交わされた会話

しかし
目標ではなかった学校に入る気持ちというのはよくわからない

学校を見下していたのでしょうか

慰められて
いやいや入学してきた学校だったのでしょうか

(私は、滑り止めでもなんでもなく、ヒイヒイ言ってやっと勉強して無理して入れた学校だったから)

そもそも、皆との『学校』の位置づけが違いました

私にとっては
『無理して入った不相応な学校』

周りの女子たちは
『仕方なしに入ってきた学校』

そんな微妙な感情をそれぞれに抱えて入ってきた『学校という場』で
それは起きたのです

 

私は初っ端から勉強でつまづき
受験のストレスから
言葉が一切記憶できなくなってしまっていました

そんな私を見て、徐々に
嘲笑うかのような空気がクラスに蔓延し、それは蔓延り(はびこり)はじめました

押されたり
1人だけクラスに閉じ込められたり
頼んでもない購買での品物が届いたり
机に落書きされたり
暴言を吐かれたり
追いかけられて駅のホームから今すぐ飛び降りろと詰め寄れたり
手紙を大量に(それもお前がキモいなどの内容)をもらったり

私は非常に謎でありました

そのいじめがひどく『粘着性』と『執着性』を帯びており

冷淡で冷酷というより
むしろ、集中されているというか
注目されているのが不思議で仕方ありませんでした

むしろ『いじめ』に異常なまでの『労力』をさいているのが不思議で

それは私を震え上がらせるものでした

執着されているということもそうですが

『いじめを全力でしてきている』
『いじめ』を力一杯してきているという人種が存在するのだということが
私をひどく落ち込ませ
また無力な感覚を味合わせるものでした

助ける人も勿論最初は居なくて
(後々現れてくれるのだけれども)

孤立無援の状態に陥った時に

私は学習をしたのです

『私は攻撃されるものを帯びているのだ』

それは
私の性質が、相手の加虐的なものを刺激するのかもとか
私の性格が、相手のイライラを刺激するのだとか
私の容姿が、相手にとって不快なものなのだ

という

『自分が原因でいじめられるのだ』 という思考は
私の中に根付いてしまって
それは強固なものになってしまった

 

その後、その主犯のいじめっこが
なぜか虐められるようになったとか

助けてくれる人が現れて
一瞬にしてパワーバランスが変わっていじめは終了したとかはさておき

 

私の中で
その『私は醜いから虐められるのだ』という学習はずっとのこり

そしてそれは何年経っても至る所で芽を出す

 

 

 

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社会的トラウマというものは
『見方』が固定されることと、

そしてその『見方』『考え方』『捉え方』を持続し続けられる『場』が在ることが必須条件なのだけれども

私も『人との場』で必ず、その『自分は醜いから虐められる』が発動するようになってしまったので

まあ
大人数が苦手で仕方ない

ママ友づきあいなんかも下剋上とマウントの中でなんとか生き抜いてきたというのが本音であります

(ママ友づきあいは、そもそも年齢と見た目、夫の収入の水準とか、子供の出来不出来とか
元も子もないエゲツない世界での総合的な主導権争いなので
『私個人』という場ではなかったのも幸いしたのかもしれないけれども)

ただ
人は『何かしらでいつも争い、比べ、競い合うものだ』
という学習は

私の中でとても苦しい『トラウマ的位置』にあり

そしてこれを取り除きたくても
なかなかに難しいところでありました

 

師たちは言います

『争うな』と。

でも、持って生まれた負けん気もあるし
そして『負けること』が非常に苦痛で仕方ないという感覚もありました

この『負けることが苦痛』だというものは
先天的なものなのか、後発的なものなのか

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いじめを語るととてつもなく長い文章になりがちです

もっともっと、と色々なことが浮かんできてしまいます

話を戻すと
その社会的トラウマをどう癒すかという話なのだけれども

その社会的トラウマは
『社会を理解』することに尽きると思っています

人とは何なのか
人はなぜ争うのか
個人と群れとでは『考え』は変化するものなのか
群集心理

『社会で負ったトラウマ』の原因を『自分の中に探そう』としても『答えはありません』

答えは
社会という『群れを成す時の心理』にあります

カウンセリングではその『群集心理』のことを話し合ったりして

『自分が原因ではない』ということや

『群集の中での個』のついての働きなどのことも理解していくことで
生活でずっと感じてきた恐怖感や緊張を和らげる介入をしていきます

ちなみに『群集心理』の最小の単位は『パートナーシップ』であります

パートナーからのモラハラ、パワハラ
考え方の強制なども

実は『いじめの種』であります

   

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