誰の手によって創り出されたか

面白く読ませていただいているブログの中に『社会的トラウマ』という一文があり
そしてそれを読み進めるうちに
フムフムとなったので、今日はそれについての考察のブログ

この『社会的トラウマ』のブログを書いている先生からしたら

『そんなこと伝えるために書いてないよ・・』と言われそうではあるけれども

でも
その『社会的トラウマ』というセンセーショナルな言葉から
私が日々感じていることが
釣れるようなので許していただこうと思う

さて
トラウマとは色々な捉え方や概念やらがあるけれども

私が主に、トラウマ治療をするクライアントさまを見ていて思うことは

心の中を見させていただいて
トラウマの発生の現場をよくよく見ていると 

『考えが固定されてしまう』という場面によく出くわすのです

『こういうことを思ってはいけない・・』とか
『こう思ったらダメだ』

というような
いわゆる
『普通はこんなこと、思ってはいけない』という制限が

その人の中の
『思考を固定化』させることにより

それによって
とりあえずのその『現場』から生還するという技があり

その技は『解離性』につながっていく

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例を少し出してみようと思うのですが

例えば父親から性的な虐待を受けていたとします(この例は私ですが)

私はその現場のときに色々な思考を巡らせます

『父親は寝ているから寝ぼけているんだ』とか
『父親はわざとこんなことをしているわけではないのだ』
などと

父親に好意的な解釈を、自分自身にするように強制する
・・というものがあります

父親の『実態』を敢えて自分では感じないようにする・・という防衛を
自分自身に対してするわけです

なので
トラウマが回復されていく時というのは
その実態をもう一度開封しないとならないので
苦しいのです

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冒頭の『社会的トラウマ』というものを見ていくときに

この『実態』を敢えて知らないように防衛する
という選択が
自分を苦しめている場合が多いのです

例えば(また私の例で恐縮ですが)
私の弟は重度の脳性麻痺の身体障害者でした

リハビリのために通ってた施設は当時はひどく閉鎖的で暗いところでした

そんなところで
日々、リハビリの痛みに耐える声や
パニックの声を見いて過ごすのですが

正直『私はとても怖かったのです』

でもその施設という場所は、私に『心の持ち方』を強制しました

どう強制したかというと
『障がい者は神からの贈り物なのだ、天使なのだ』
という考え方を一律に徹底的に教え込んできました

だから私は『自分の正直な心の感受性』を封印し

自分に一生懸命に催眠をかけました

『この人たちは天使』『だから私は助けなければならない』
『怖いと思ってはいけない』『奉仕しなければならない』

それはひどく私を今でも混乱させ、そしていまだに縛り付けてくるものとして残ります

この年齢になっても
粟立つ感覚としてそれは残るのです

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もっとフランクな、かつ軽いけど強力なものとして

私たちの周りには
たくさんの広告が溢れています

『パートナーを持ちなさい』とか
『1人は寂しいものだ』とか
『老後は溌剌として過ごすものだ』とか
『女性はいつまでも愛されるものだ』とか

役割に付随して
その『考え方』と『捉え方』を強制してくるので

他の考え方の追随を許しません

遊び方や
暇の持て余し方

なんかも強制してきます

パチンコで時間を潰すとか
遊ぶ時は派手に友達とワイワイやるものだとか

お金の消費の仕方だとか 

もう
時間と労力を

『ここに貢ぎなさい』

とばかりに社会はその受け皿を用意して待っています(それは依存という形を用いて繋がれるのだけれども)

もしパチンコがなかったら
もしお酒がなかったら
もしタバコがなかったら
もし宗教に出会わなかったら
もし恋愛の手解きを受けなかったら
もし嫌なものを嫌と言えたなら

私たちは
『感じ方』を強制されなければ

どう、今感じていたのかなと考えるのです

そうすると
少しトラウマと捉えられているものの形が変容してくるような気がいたします

誰が
そのトラウマや依存を『創り出し』ているのでしょうか 

創り出されなければ


自分はどう感じているのでしょうか

嫌なものは嫌と、ちゃんと感じられたのでしょうか