痛むとき

骨折をした

生まれて初めて骨というものを折った

骨を折って
初めて『骨』というものが
どう『在る』のかを知ったのだ

それはとても、私にとっては不思議な体験で

というのも
普段は私は『骨がある』と言う感覚を持っていない

骨は生まれた時から
私を構成する『一つの部位』として
私とともにあり

あまりに私と密接にあって

だから骨のほうでも『存在を主張』してくることは無いものでした

そんな『在るのが当たり前』というモノが

私のバランスの崩したことが理由に
『一点に負荷』がかかり折れてしまったのだ

転んだりしなかったし
ただ、バランスを崩しただけなのだけれど

それにより
ひどく静かに折れた骨は
痛みを感じると言うより、むしろ『痺れを感じた』と言う方が近い

その時の感覚と、私の脳内は

『生まれて初めて感じる感覚だわ』
・・
と言うものでした

只事では無いような痺れだったけれども
特に、私は青ざめるでもなく
(ちょうどその時は引っ越しの最中だったので)

また黙々と段ボールの開梱作業に戻ったのだが

みるみる腫れてくる足を感じて
そして痺れを感じながら思ったことは

『初めて、骨と出会った気がする』という感覚でした

むしろ少し嬉しいというか
私が、新しい私と出会えた感覚というか
不思議な感覚でありました

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なぜ長々と、こんな話をしているかというと

『心の在りか』みたいなものも
こういう感じで最初は出会ったのかなと思ったからです

心が動くということは
大抵、とても感情がかき乱されるたりすることが多く

そうすると
本当に『しんのぞう』あたりがぎゅーっとして
とても心細くなるような体感になり、手足が冷たくなるような感覚になったりして

そして、その体感がとても不快だから

私たちは
なんとかして『心をコントロール』したり『心をなだめたり』するのだけれども

心の手当てというのは
とても難しく
そして、手荒にも出来ないので、たくさんテクニックやら方法があります

そんなことを考えていると

体に在る『部位』が痛みを伴って『独立』して
本人に『何かを訴えてくる時』というのは

もしかして
もうそれは『本人から切り離されてしまったモノ』なのかなと考えられたりもします

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私は、いろんな方の書斎や本棚を見るのが好きなのだけれども

その中でもとくに奇異だったのが
スーパーバイザーの本棚で
彼の診察室の本棚は、ただの紙の資料が山積みになっていて

そして一冊だけ、本が存在していました

その本は
『痛みとは何か』という本でありました

数年、通ったけれども
本は増えるでも無く 減るでもなく

その一冊だけ

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病院がめんどくさい私は
『そこまで酷くなければ行かなくていい』というポリシーの持ち主なのだけれども

流石に数日後に紫色に腫れてくる足を見て
これが折れているのか、捻っただけなのかと気になってきたのもあって

買い物帰りに整形外科にちょっと寄ってみたらば

レントゲンを撮られて
『折れてますね』と言われたのだけれども

『痛いですか』と尋ねられても
もはや痛みも無く
少しのピリピリとした感覚を感じるだけで

正直『骨が分からない』という普段の感覚に逆戻りしてしまって

あんなに生き生きとして
痛みを伴っていて

私にいくばくかの恐怖や不安を与えた『折れている』という現象が消えてしまった

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心も『動かなくなったら』
所在を感じなくなるのだろうか

心と骨は違うものだけれども

私の中の『私』を構成するものだから
同じように捉えてみているのだが

心が動かなくなったら
私は何を感じて生きているのかなと思わなくもない

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そんな事を考えながら
今日の午前に解離専門医の先生たちと話していたのだが

『骨折が痛くなかった』と言ったら

『それは解離したんだと思う』と言われてしまった

『痛みに鈍感でしょ?』と訊かれて
確かにそうかもしれないところはある

叩かれて育ったせいか
痛みを感じると
変に肝が座るというか

痛みに(懐かしさ)さえ感じたりもするのです

   

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