妬みは気持ちいいか

感情を分類してみたこと、ありますか?

感情を分類してみたこと、ありますか

うちのカウンセリングにいらした方の中で、そのような課題が出た方もいると思います

感情というのは感覚に『名前』をつけたものであり、
明確に『この感覚はこれ!』と区別されているわけでありません

なんとなく
薄ぼんやりと
『感覚』に名前をそれぞれつけたものが『感情』であります

今までたくさんの人々が
感情を分類し、分析しており
今もなお研究が続いている分野でもあります

いわば それくらい未知の分野が
『感覚と感情の世界』。

ダライラマ14世とエクマンによる感情の分類

さて、ダライラマ14世とアメリカの心理学者のポールエクマン氏が2016年に
人間の感情をとりあえず。。!と
大きく5つに分類しました

①楽しみ
②嫌気
③悲しみ
④恐れ
⑤怒り

になります

この5つの大まかなカテゴリーから
細かく46種類の感情を導き出したのです

楽しみ

細かく見ていくと
①の『楽しみ』の中には

  • 狂喜・・・・非常に大きな喜び
  • 興奮・・・・大きな熱意
  • 驚嘆・・・・非常に大きな驚きや信じられない経験
  • ナチェス・・自分の子供や教え子が成長した時の誇らしい気持ち
  • フィエロ・・困難な挑戦を乗り越えた時の喜び
  • 高慢・・・・自分自身の成果や仲間自身の成果から得られた深い喜び
  • 平穏・・・・穏やかであることへの喜び
  • 安心・・・・不快であることがなくなった時の落ち着いた喜び
  • ☆シャーデンフロイデ・・他人やライバルの不幸を喜ぶ気持ち
  • 面白い・・・遊び心のある明るく楽しい気持ち
  • 同情・・・・他人の苦痛を和らげることで得られる喜び
  • 喜び・・・・優しさや思いやりを見たときに経験する温かく爽やかな気持ち
  • 感覚的快楽・・視覚 聴覚 味覚 嗅覚 触覚 の五つの感覚のうち 1つを通して得られた喜びの感覚

以上の13の分類が『楽しみ』の中にあると言われています

この分類はアメリカとチベット仏教の最高指導者の分類ですから
日本にそのままこれが当てはまるかと言われると少しズレるところもあると
思われます

感覚を感情に分類するのは
その国や民族ごとの文化のあらわれにより分類されるので
ぞの『ずれ』がまたその民族の『特色』にもなったりします

シャーデンフロイデと妬み・嫉妬、そして報酬系

そして その
『楽しみ』の中に一際 怖そうなものがあったのにお気づきになられましたでしょうか

星印をつけたところ。

『シャーデンフロイデ』になります

すなわち『他人のやライバルの不幸を喜ぶ気持ち』というものです

これは日本にも諺があるように
『人の不幸は蜜の味』とも言いまして万国共通の感情とも言えるかもしれません

私たちは他人に不幸があると通常は同情をしますが
反対に『しめしめ』と言わんばかりの不道徳な感情を持つことがあります

これは『妬み』と言われる感情の部分でもあり
実際に脳の中の線条体という部位が強く反応する部分でもあります

線条体は『報酬系』に関連する言われている部位でもあり
実は依存症にも関わってくる部位でもあります

人が『妬む』感覚を苦しいと思いながらも
なかなかやめられないのは
脳の中に複雑な仕組みをもつ『線条体』が関わっているからかもしれません

『妬み』とされる『シャーデンフロイデ』が『楽しみ』の感情の中に分類されているのも不思議がしますが
『報酬系』と密接な感覚であるのなら『人の粗探し』をしてしまう・・などの
感覚を追い求めてしまうのにも納得です

妬み・嫉妬と『所有』の感覚

そして
この感覚は『所有』の感覚とも密接な立ち位置にあります

妬みは、他人が優れた物や特性を持っていることによる劣等感や敵対心を伴う心の痛みではありますが

自分にとって関心の高い優れた物を他人が所有していると妬みがでて
他人の優れたものを手に入れたいとか
他人が持っている優れた物を失えばいいのにと思うことがあります

しかしながら、他人が持っている物や特性が非常に優れていても自己にとって関連や関心のないものであれば、それほど妬みは生じません。

自分にとっての『大切な価値のあるもの』を
自分より他人が多く所有する場合に
人はそれを天秤にかけて

『どれくらい持っているか』

と、おしはかり

いかに『そのひとより多く所有するか』と人生をかけて戦いを挑み続けるというのも
人の人生なのかもしれません

それが『楽しみ』となるのであれば・・ですけれども。

シャーデンフロイデと『無常観』

しかしながら、
案外多くの人々は
『シャーデンフロイデ』が楽しみではなく
『苦痛』と感じられるのではと思います

それは日本特有の『無常観』という文化のせいなのではないかとも思っています

私たちが所有できるものは何一つない
全ては移ろいやすく儚いものなのだ

という日本のワビとかさびとかの文化が
実は『シャーデンフロイデ』の脳の感覚を抑止しているのではと感じることもよくあります

『血』の所有

ただ反面
『血』の所有については違う感覚を私は感じることがあります

『生まれ』の所有です
・・『血』の所有とも言いましょうか

血筋とか
血統とか

そういうものを日本は重んじる背景には
『血の所有』の考え方が横たわっているのでは、と思う時があります

私たちの家系には・・・(うんぬん カンヌン)

と、こんな話が大好きなのは日本特有の文化があるからかと見ています

身体のコンプレックスも
実は『血の所有』のあらわれの一つかなと思います