かつて性格というか
そういう気質よね・・と 世間で受け入れられていた
『性格』という『概念』が存在していました
性格って
矯正とか更生するものではなく
『その人自身を その人たらしめているもの』
でしたが
どうも現代では そうもいかないようです
内気 とか
恥ずかしがり屋とか
昔は
『その子の性格だから』と受け入れられていたものが
今は『HSP』や『過敏性』と
その性格があたかも『生きづらさ』の素になっているから
それは何とかしたらいいよね 的な風潮
過敏に物事を見れてしまうからこその『メリット』もあるのですが
どうしても『デメリット』に目が向いてしまいがちになるのですよね
これさえ無ければ 私だって出来るのに・・・!
という『原因を叩く』という思考は
自分の首を絞めかねない思考でもあります
もちろんその気質や性格が影響して
自分が思うような生活が営み辛いということなので
対処なりをしていくようにはなるのですが
ここで『自分はダメな要素を持っている』という自分へのダメ出しは
そのダメな要素を 何とかして克服した後に
かつての自分に似たような人に会ったときに
物凄い怒りとか ザワザワした感覚を抱きがちになってしまう場合があります
乗り越え方を間違えると
『成敗してやる』的な感覚を呼び覚ましてしまいがちになるのです
この『成敗してやる』という感覚は
かつての自分をフツフツと呼び覚ます感覚もあり
そのままで生きている人を見ると
『頑張っていない』『甘えている』というような批判的な感覚も湧いてきてしまい
それを成敗することは
正義のためなのだ
という強い衝動と攻撃性を呼びさますものなので
自分ではなかなか制御し辛いものとして
蘇ってきてしまうのです
少年犯罪とかのケースを見ていると
この『成敗癖』のようなものが大きく関わっているようなケースがあるような気もします
これって負の連鎖なのです
だからどこかで
誰かが
その負の連鎖を止める役割を担うことがあります
カウンセリングでは
『何かが原因』というような目線を
私たちは持ちません
何かの原因を叩く という目線をセラピストが持つと
クライアント自身が克服した後に
『鬼』になりかねないということがあるからです
『性格』と どう付き合うか について
もちろん、自分の性格を忌み嫌うようになったきっかけのトラウマは
回収し綺麗にしますが
それをするだけでも
だいぶ生きやすくなる感覚を持っていただくことは可能なのです