因幡の白兎

回復するにあたり

自分自身の嫌なところを見たくないからと
強者や 弱者を装い 演じるのは
かえって 辛いんではないなと思う

 

嫌なところ、とことん 見たらいいと思う

私も 自分の嫌なところ たくさん在ります

それを
吐き出して 吐き出して
吐き出し続けたんだと思う

 

私の場合は
誰か一人でもいいから

『わたしと一緒にいてくれる人』が
欲しくて仕方なくて

じゃないと
自分の中の バラバラに分裂した部分が
どうにも まとまらないのよな

と 生きてきたが

やっぱ そんな人たちが 現れる前までは

この人もちがう
あの人もちがう

と むしろ こちらが 搾取されるだけで
疲弊していってたなと思う

 

一緒にいてほしいから…と
演じて 装って

そうしたら 次に 自分が欲しいもの
すなわち
『一緒にいてくれる』が
その人からもらえて 願いが叶うと思い込んでいたから

だけど これ

一緒に居てくれるために
単に 自分で自分をおとしめているだけだわ

と わかってしまってからは

スルスルと ロープがゆるみ 解けてしまった

 

自分の
めちゃくちゃに
嫌だった弱い部分を

血を吐くように 毎朝 見つづけて

そうしたら 見つかった部分

『私、もう 演じるの 飽きた』

しかし
かといって リハビリは ここからで

演じない自分を プライベートな時間に
自分でさらけ出すのは

まるで
因幡の白兎的な 感覚

毛がむしりとられて
潮風あたったら 超痛いの ヒリヒリする…!


ギャーギャー泣いて

こんな自分じゃ 捨てられる…!と

また ギャーギャー泣いて

笑えるが まじで笑えない

 

これが 愛着障害か…!と 己を見て
コントロールが難しいんだな と わかる

そこで
私にとっての 一番の方法は

『見捨てないで』と
恥ずかしい自分の本音を言えたことだったと思う

あえて 見捨てられるような 行動をとることは
非常に 抵抗があるのです

だって 見捨てられないよう生きてきたから

 

だから
どうしていいのか私の感覚が わからない

自分を蔑めることしか
わたしは 私に出来ないんじゃないかと 気付き

呆然としました

 

過去を見ると
例え 相手が 私を見捨てようと

『見捨てられたら 私 怖いんだ
誰かと一緒に居たいんだ
だから 一緒にいてほしい』と

言いつづけてきた過去もあり

まあ 捨てられたりも
かなりたくさんあったが

悪魔に魂を売らずに
腐らず 生きてきたのは
自分に評価出来るところでもあります

なんで 魂を売らずに済んだかって

恐らく
『質問』が 私を救ったんだと思う

人生を 断定することなく

いつも
『なんで? なんで? なんで?』

と 考え続けてきたことが
結果 自分にとって 今も 私を

浮き輪のように

沈まないように してくれているのだと思います

『なんで 私 こんなんなんだろ』

って
そりゃ トラウマだったから

無意識だから
意識ではわかりっこないんだけど

けど
魂の奥から ポワリ と 出てくる
空気のような 質問が

はじけてくるってことは

無意識の もっと 奥が
なにか サインを送ってきてるのだな と 思うのです

 

 

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