ノーコントロール の世界
というのを想像したことがありますか?
何にも囚われない世界
…おそらく 皆さま こちらは想像できるでしょう
好きなだけ寝ていたい
好きなだけ食べたい
好きなだけ物が欲しい
好きなだけ
好きなだけ
では 反対に
自分が 何も 囚えることの出来ない世界はいかがでしょうか
好きなときに居なくなってしまう 誰か
好きなときに食べられなくなるもの
それが 好きなときに 奪われる
非常に 恐ろしいんでは無いかなと
思うのですが
自分の {鬼}を捨てるとき
鬼は そのような恐ろしいイメージを見せてきて
私たちを怖がらせたりします
マーラですね、まさに。
まぁ 周りも
好きなことをし始めたら
現代だと 世界のバランスは 欠けるのでしょうね
だけれども
私は ノーコントロールの世界は
将来的に 実現可能なのではないかと
思うのです
そもそもの
好きなこと が 好きではない可能性がある
からであります
見ていると
名誉
虚栄心
みせびらかしたい
などを満たす ツールとして
好きな事というものをやりたい!
の裏メッセージは
「周りから 羨ましがれていること」
に 執着されていることが多いのです
承認欲求を満たすということに
自分が固執してしまうと
{好きなこと} が消えてしまう
すると 出来ない自分は見捨てられてしまうから
作った自分を繕って周りに認めてもらうことが
一番の 逃げ道だからと
どんどん
自分を 置き去りにしてしまうのですよね
そこで
勿論 無意識に なにをやりたいか、と
尋ねるのもよいのでしょうが
私は 鬼を 出し切ってしまうことを
おススメ致します
いずれ いかなる時でも
鬼は 必ず 土俵にあげようとするからです
土俵…
需要と供給の世界ですね
しかし いずれ 負けるのです
歳をとるということは
需要と供給の世界で 自分を売り出せなくなるという事
そんな頃に
なにが 支えになるかって
それは
{他力} になります
老いては子に従うとは よく言ったもので
若いエネルギーには
どうしたって 勝てないですからね 笑
そんなとき まだ
「勝ち 負け」の、世界にいると
とても苦しく
他人をコントロールせずにはいられなくなります
では どうすればよいか
最初っから 闘いを放棄して
土俵から降りればよいのです
なかなか ここは 難しいところで
ブログに書こうと思っても
つっかえる場所であります
けど 理解出来なくて良いのです
理解出来たら それは
{鬼}もそれを理解したという事
どうしたって 鬼は 離れたくないから
先手を打ってきます
だから この場合は
{他力}にお願いするのです
いや
しかし 他力を信じる、と思うと
自分が無くなってしまう恐怖を感じて
グッタリしますが
面白そうなので
このまま この恐怖 感じきってみようと思います
乙原