さかなクンが
魚の世界にも
イジメがあると言っていた
狭い水槽の中に 魚を入れると
弱い個体が必ず 攻撃され
弱るのだという
しかし
またここで面白いのは
その弱い個体を 別の水槽に移すと
元の水槽の魚たちは
また
ターゲットの魚を選び
攻撃を始めるのだという
なんとも 救われない どんよりした話
しかし カウンセリングをしていると
攻撃される個体というのは
かなり突出した個性をもつ存在だったりする
いわば 枠に はまらない個体
なぜ
枠にはまらない個体が 攻撃の対象になるのか
恐らく
その個体の存在がゆえに
枠組みが壊れるのを防ぐ為というのもあるが
もう一つが
枠組みという 概念は
必ず 他者という存在があって成り立つもので
だから
他者を認識し
「自己から排除する行動」すなわちイジメが
現在の枠組みを
成り立たせているのではないかと考えられます
そりゃ
貴方は私で 私は貴方
だったら 世界はカオスになりますしね
一夫一妻制なんて崩れさります
だから 皆
「他者 」という存在を排除する脳の使い方により
自己を保つようにされている
しかし
たまーに
極、たまーに
貴方は私で 私は貴方…!
な方がいらっしゃいます
それを 我々は
「光の要素が強い方」と言います
その方がたは
他者の喜びが 自己の喜びになり
他者の悲しみが 自己の悲しみになる
「我」という枠組みが ない方なんですね
しかし
その方がたを 個体として見たときに
種の保存的に 光の要素が強い人間ばかりでは
種は成り立たせられないのです
何故なら
他者が居ないと 進化が成し得ないからです
進化とは
優劣を選びとってゆくこと
だから イジメが発生するのです
だけれども
光の要素が 集団に無い場合
私たちは ただの確率的な存在にしか
なり得ません
およそ 数学的な計算の範囲内で
私たちの姿は 確率的に 表せられ
私たちは コンピュータと同じような存在になる
だから 光の要素がある人間は
可能性を司る存在として必ず集団には
必要であるのです
話は魚にもどり
私たちの 水槽って
今の空間に時間を掛けた いわゆる3次元の
概念のなかで およそ 説明できます
今 考えているのは
4次元的アプローチ
記憶がどこに存在するか
トラウマの在り処を探すとともに
今まで普通にあった概念が
本当にそれで合ってるのか
私たちは ただの集団催眠にあっている
だけなんじゃないかなと
3次元の枠組みを超える方法を探しています
乙原