
あるクライエントが、ふとこんなことを語りました。
「砂漠に赤ん坊が置かれているんです」
それは実際に起きた出来事ではありません。
しかしその人にとって、その光景は
はっきりと見えていました。
精神分析の臨床では
このようなイメージが現れることがあります
奇妙な風景
動物
怪物
暗い洞窟
崩れた建物
それらは現実の記憶ではありません。
しかし同時に、ただの空想でもありません
それは
無意識が語るときの言語なのです
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シュールレアリズムの絵画や詩を初めて見たとき、多くの人はこう感じると思います
「なぜこんな奇妙なイメージが生まれるのだろう」と。
空に浮かぶ岩
溶ける時計
意味のわからない風景
奇妙な動物人間と機械が混ざったような存在
それらは現実の世界のようでありながら、どこか不穏な空気を醸し出していて
現実とは決定的に違う
しかし精神分析の視点から見ると
シュールレアリズムのイメージは決して奇妙なものではないことがわかります
むしろそれは、人間の無意識が現れるときに典型的にとる形に非常によく似ている
カウンセリング時に、クライエント様の無意識が現れて来るのを待ちますが
もう、本当にこんなイメージであります
そして臨床の場では、これとよく似た現象がしばしば起きます
人が自分の深い体験やトラウマに触れるとき、
人は、言葉ではなく イメージ を使って語り始めます
そのイメージは、現実的な記憶ではない
しかし同時に、単なる空想でもない
それは 無意識の言語 に近いものです
そして、その無意識の言語は
演技で起こそうと思っても無理です
クライエント様が、ある一定の場所を眺めることができた時に
立ちのぼる絵巻物であって
それをたまに、演技でなさろうとする方がいらっしゃいますが
全然違うのです
奥行きが違う
不穏さが違う
無意識の淵に座って語り始める言葉は
ほとんどが説明はなく
ポツポツとしたものが多いのです
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さて
シュールレアリズム(Surrealism)は1920年代、フランスで始まった芸術運動です
中心人物はアンドレ・ブルトン。
彼は精神医学を学び、フロイトの精神分析に強い影響を受けていました
第一次世界大戦後のヨーロッパでは、人間の理性に対する深い疑問が生まれていた時代でした
合理性、進歩、科学――それらが文明を発展させると信じられていたにもかかわらず、現実には戦争と破壊が起きた。
このとき芸術家たちは考え始めるのです
『人間を動かしているのは、本当に理性なのだろうか』
『むしろ、人間の行動を決めているのは 理性の外側にあるものではないか』
そこで彼らが注目したのがフロイトの理論でした
フロイトは、人間の精神の大部分が 無意識 によって構成されていると考えていました
そして無意識は、夢、症状、言い間違い、連想などの形で現れると言う理論でした
実際にカウンセリングでも
大変に注目しているのは、『語り』の歪みに現れる言い間違いや
言葉のつまりです
どうしても語ることが出来ない部分は
無意識が露呈しているところと見るのです
シュールレアリストたちは、この無意識の働きを 芸術として直接表現すること を目指したのです
シュールレアリズムの最も有名な技法の一つが 自動記述 です
これは、頭で考えて文章を書くのではなく、 浮かんできた言葉をそのまま書き続ける方法です
つまり
* 文法を気にしない
* 論理を作らない
* 意味を考えない
*
ただ浮かんでくる言葉やイメージを書き続ける。
すると、奇妙な文章やイメージが現れます
たとえば
夜の森で魚が歩いている
ガラスの心臓が笑っている
海の底で鳥が眠っている
理性的な意味はない しかしどこか 夢のような感覚 がある
このとき現れているのが 無意識の連想 です
フロイトは夢についてこう説明していました
『夢は、理性的な思考とは違う法則で作られている』
夢では
* 時間が歪む
* 人物が入れ替わる
* 不可能な出来事が起きる
*
しかし夢を見ているとき、私たちはそれを不思議だと思いません
つまり夢には 夢の論理 があるのです
シュールレアリズムの作品は、この夢の論理を意図的に利用しているところがあります
たとえばサルバドール・ダリの絵では
* 溶ける時計
* 奇妙に伸びた身体
* 現実にはありえない風景
が登場します
これらは現実ではありえないが、 夢の中では 非常に自然 に感じられる
ここで精神分析の臨床に目を向けてみると
人が深いトラウマに触れるとき、しばしば次のようなことが起こるなあと思うのです
言葉が止まる
代わりに
* 風景
* 動物
* 奇妙な存在
* 抽象的な場面
が浮かんでくる
たとえば
* 暗い洞窟
* 砂漠
* 小さな子ども
* 怪物
* 鳥
* 廃墟
などであります
これらは記憶の再現ではありません
解釈でもありません
言葉が止まりつつも、見えているものをを語るとき
しかしその人の精神状態を 象徴的に表現しているものが
言葉の端々から映像化されていきます
トラウマはしばしば 言語化されていない経験 です
そのため心は、言葉ではなく イメージ を使って語るのは大事です
これは夢と非常に似ている
そして、シュールレアリズムの表現とも似ているのです
重要なのは、こうしたイメージを 「ただの想像」として片付けないことです(演技を除く)
精神分析では、イメージは 無意識の露呈と考えます
それは事実の記録ではないかもしれない
しかしその人の 心理的現実 を示している
たとえば
砂漠の中に置かれた赤ん坊
というイメージが浮かんだとします
それは本当に起きた出来事ではないかもしれない
しかしその人の中に
* 見捨てられた感覚
* 孤独
* 無力
が存在していることを示している可能性があるのでう
つまりイメージは
感情の地図
のようなものなのです
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シュールレアリズムのイメージが奇妙なのは、
無意識の構造がそもそも 非合理的 だからでもあります
無意識では
* 時間が重なる
* 人物が混ざる
* 動物と人間が入れ替わ
こうしたことが普通に起きます
精神分析家ジャック・ラカンは、無意識についてこう述べています
無意識は言語のように構造化されている
『しかしその言語は、日常の言葉とは違う』と。
だから演技での語りは、すぐに違いが出てしまいます
無意識の語りは
* 比喩
* 置き換え
* 連想
によって作られるもので
シュールレアリズムの作品は、この無意識の構造を非常にうまく表現しているなと思うのです
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精神分析の臨床では、イメージをすぐに解釈しません
なぜなら無意識は、 理解されることよりも、現れること を必要としているからです
もしセラピストが急いで意味を与えると そのイメージは消えてしまうことがあります
また夢を見たご本人も
『重要な夢』の場合、なかなかそれを言葉にすることが出来ません
大切なのは
イメージと共にしばらく存在することです
それは夢を思い出すときにも似ています
夢の意味をすぐ説明するより、 その場面をしばらく思い浮かべている方が 多くのことが見えてくるのです
そして何より無意識は芸術的だと思うのです
シュールレアリストたちは、無意識を芸術の源泉と考えていました
それは単なる理論ではないのです
実際に人間の精神は
* 奇妙な連想
* 不思議な象徴
* 矛盾したイメージ
を生み出します
それらは論理的ではありませんが 驚くほど 詩的 であります
精神分析の臨床では、この詩的な世界に立ち会うことがよくあります
そこでは
* 赤ん坊
* 鳥
* 門
* 地中
* 海
* 砂漠
といった存在が現れます
それらは奇妙で、時に恐ろしい
しかし同時に、 そこにはその人の 生の力 が含まれているなあと感じるのです
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あるクライエント様は、自分の露呈している無意識を見れる方でした
いつも語る言葉は朴訥としていらっしゃいますが
よく疲れないで、無意識の淵を見てられるなあと思うのです
そう言う意味ではおそらく
ユング的な原型を眺めることが出来る方であって
芸術家肌でもあります
だからなのか、世界中を旅するのですが
ブログでは書けないようなすごい場所を見てくるのです
なんというか、耐性がある方なんだと思う
この無意識の淵に立つのも
かなりの耐性が必要だなと感じます
なんなら引っ張られますから😭
興味本位では近づけない場所でもあるなと思うのです
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最後に重要なことを書いておきたいと思います
無意識は、完全に理解されるために存在しているわけではないと言うことです
そして人格性のような性質は帯びてはいない構造をしています
蠢き
捻られ
のめり込み
曲がる
私がいつも見る無意識は
ユングが言っていたものとほぼ似ています
もしご興味があればユングの『人間と象徴』を買ってみてください
河合隼雄先生の監訳です
またもっとご興味がある方はユングの『赤の書』をどうぞ
(ちなみに高之瀬は、やばい怖いと言って見れなかった)
ユングの直筆の絵と美しい文字で書かれたもので
門外不出とされてきましたが2009年に出版されたものです
ユング自身が
精神的な危機と対峙していた時に描かれたものですが
それでも
ここまでしっかりとしたものを残したユングは
素晴らしい分析家だったのだと思います
むしろそれは
人間の内部にある未知の領域です
そして無意識を言語化しようとした時点で
それは『意識』になります
絶対に、手が届かない
言い表せない
でも『在る』な部分。
ユングもフロイトも、それに続く哲学者たちも
シュールレアリズムの芸術家たちも、その未知の領域に魅了されました
精神分析の臨床もまた、同じ場所に触れていると感じます
夢のようなイメージ 奇妙な風景、 不思議な存在
それらは意味不明に見えます
しかしそこには、人間の精神が生きている痕跡があります
そしてその『痕跡』に出会うことこそが、 無意識に触れるということなのかもしれないなと思っております
(が、触れすぎると、体内が火傷をするような感じになります)
・・・面白いですよね
分析家同士の話で盛り上がるのは
どうやったら、身体を維持できるかの話題が一番皆、身を乗り出します







