見捨てられ不安はまなざしの中にある

見捨てられ不安とまなざしの関係

なぜ人は「見られていない」と不安になるのか

見捨てられ不安という言葉はよく知られています

連絡が返ってこないと不安になる
相手の反応が少し変わると気になる
関係が終わるのではないかと考えてしまう

こういう状態を見て多くの人は
依存しているとか
自信がないとか
愛情不足だとか
そういう説明をします

でもそれだけでは説明が足りないのです 

見捨てられ不安の中心にあるのはまなざしです

ここでいうまなざしは
ただ見られているという意味ではありません

その人の存在が
誰かの中で保たれているかどうか

これを決めているものです

例えばこういう場面を想像してみてください

誰かと一緒にいるとき
その人がスマホばかり見ている

言葉は返ってくるけれど
どこか上の空

このとき人は
軽く扱われたと感じることがあります

でも本当に起きているのは

『まなざしが外れている』ということです

まなざしが外れると自分の存在がその場から薄くなる
・・・すると人は不安になる

見捨てられ不安は

関係が終わるかもしれない不安ではなく
自分が相手の中から消えるかもしれない不安です

また、この不安を強く持つ人は
もともとまなざしが不安定な環境で育っていることが多いということがあります 

例えば

あるときは強く見られる
あるときは完全に無視される

あるときは求められる
あるときは拒否される

こういう環境ではまなざしが一定しません 

すると子どもは常に確認するようになります 

今自分は見られているのか
今ここにいていいのだろうか、と。

この確認が続くと
まなざしに対する感度と注目が極端に上がるのです 

ここで現代の話につながります

今の社会は
まなざしが常に可視化されているということは前回のブログでも少し触れました 

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数値化された眼差しは

誰が見ているか
どれくらい見られているか

それが数字や反応として出てくるとともに 

そしてそれは瞬間的に
すぐわかる形として残るような形になっている  
(既読というシステム、すごいですよね) 

するとどうなるか『まなざしがあるかないか』が即座に分かれます 

しかし
返信が来ない
反応がない

それだけで

まなざしが消えたように感じる

本来は単なるタイミングの問題でも
存在が消えたように感じる

これが現代の見捨てられ不安の強さでもあり
見捨てられ不安を増幅するシステムでもあります 

さらにここにもう一つ構造が重なります

世の中には

まなざしを操作する人がいるということです 

強く見てくる
深く関わってくる
あなたにだけ向けている感じを作るのです 

こういう人と関わると

一時的にまなざしが満たされるような擬似感覚に陥る 

そして、その人がいないと自分が薄くなるような感覚になる 

不安定ながら揺れる関係は
同時に
その人に依存しやすくなるのです

なぜならその人がまなざしの供給源になるからです 

すると
その人の反応一つで不安が上下する

これが関係の中で起きると非常に不安定な状態になります 

ここで重要なポイントは 

まなざしを求める側と
まなざしを操作する側は

噛み合いやすいということです 
まるで磁石のS極とN極の如く、引き合います 

片方は
見てほしい
存在を保ってほしい

もう片方は
見させたい 
引き込みたい
操りたい 

このとき関係が成立するのです 

しかし

そこでは主体(自分ってなんなんだろうというもの)が不安定になるということが

ある意味、希望なのですが 

この関係性の不毛さと、不安定さに気がついて
この沼から出ようとした人は多くいると思われます 

そして実際に沼から出て、空気を吸えるまでに回復している人も多いのです 

また『見捨てられ不安』を抱えていることが辛いと言う人が

『まなざしを操作する人』に魅入られてしまい

{自分を他人のまなざしを操作したい!}というように思うことも
しばしば見受けられます

そうすると二重の鍵がかかったようなモードになります

見捨てられ不安からの
人をまなざしを集めるようにする

なので
自分がどう振る舞ったらいいのかを
SNSや他者から取り込まなくてはならないという、
強迫観念のようなものができてしまうという状態になります 

見捨てられ不安を抱える人は
相手のまなざしの中に入ろうとしているうちは

安心しているようで実は揺れ続けているということになります 

でも大事なことは、見捨てられ不安は
弱さではない!!ということです 

まなざしに対する感度が高いということです

ただし
そのままだと巻き込まれやすいのが難点なのです 

ではどうするかということですが

やることはシンプルに

『まなざしを一つに預けない』

例えば

一人の人の反応に全てを預けるのではなく

自分の中に戻る時間を作る

複数の関係を持つ

反応がない時間をそのままにする

・・・これは努力ではなく位置(ポジション)の問題です

さらに重要なこととして

自分で自分を見ること
自分だけのまなざしで自分を見ること 

誰かに見られているかどうかではなく

自分が自分を感じているか

ここが回復の軸になります
(自分で自分を見られるようになると、語りが減ります) 

最後に
見捨てられ不安は

人がいなくなることへの不安ではなく

まなざしが消えることへの不安です

そして現代はまなざしが過剰に存在する社会だと思うのです 

だからこそ
まなざしに振り回されやすく、そして身体は疲れやすい 

でも
そこから降りることはできます

自分のまなざしを取り戻すことです

自分の存在は
誰か一人の中にだけあるものではありません

誰かのまなざしによって
限定されたり、固定されるものが、人間ではありません 

むしろ自由で
自分のまなざしも自由で

という世界があります

そしてまなざしから解放されると
本当にみなさま携帯依存から脱却されますね

興味がなくなったと、一様におっしゃる 

そして自分が見たいものを見る 
自分のまなざしを取り戻していきます