
親子関係で
特に母子関係で盲点なものをひとつ。
『愛されなかったから 愛せない』という理由で
生きづらさを感じるということを深掘りすると
単純に
愛されなかったから愛せないという理由だけではないと思うのです
どちらかというと
『私を愛してほしいと他者に欲することを恥』だと教え込まれてきた
もしくは
『愛されたいと親に要求した時に 侮蔑された』
『はしたないと言われた』
『愛されたいという欲求を罪悪だと思わされた』
ということがトラウマの本質なのではないかと思うのです
人間はは本質的に
『愛を求めるいきもの』であるので
親からもらえなかった安心感や甘えを
なんとか癒そうと、自分の世界で(例えばおままごと)なんかで満たそうとして
それはそれで満足したり
自分の世界観の中で
一生懸命に『自分を主人公』として遊ぶことで
親からでは足りなかった『愛』などを満たすのです
私はこれまでたくさんの『親』を見てきたけれども
私の周りで一人として、
過不足がない親はいませんでした
過干渉な親もいたし
放置な親もいました
ちょうどいい塩梅を安定して供給できる親はいませんでした
しかしその親から育てられた子供が全員、心に傷を持ったまま大人になったかというと
そうでもなく
多少の葛藤はあったかもしれないが
なんだかんだ生命力はあるのです
昔は8人兄弟なんて、ざらでしたし
満足な子育てで育ったと言える人は
少なかったのではと思うのです
私のかつての整体師さん曰く
『ものすごいドライに育てられて寂しかったけど
私は干渉されなくて、それが良かった』と人生を振りかえり
余生を楽しんでいて
なんなら、パワフルで一昨年、雪国に移住してしまった
なので違和感を覚えてはおりました
本当に『充分に愛されなかった』ということだけがトラウマになるのか?
もっと構造は違うのではないか
こうなったら瞑想しかない
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何が一番、『トラウマになっているのか』『その人らしさ』を奪う行為なのかと
もう瞑想でただただ感じておりました
途中、途中
ものすごい頭の痛みと光が脳内を走りますが
これは私にとって上手くいっている証です
最近あるクライエント様がおっしゃっていて『いいな』と思った言葉で
『心をオープンにする体験をした』
というのがありまして
もうひたすらに
『心をオープンにするよ、私』
と手探りで心に潜っていきます
そうしたらば
不意に
『愛されたいと思うことが恥ずかしい』
という声が出てきたじゃんか・・!
私は幼少期はもう仏頂面で能面のような子供でしたが
小学校に入って
『道化師』に変化しました
道化師とは
アダルトチルドレンの種類の中の一つです
アダルトチルドレンは大きく分けて6つのタイプがあるとされ
①ヒーロー(英雄)・・・親の自尊心を満足させ、期待通りになる子
②生贄・・・・・・・・・家族の中での鬱憤を引き受ける子。ヒーローとは真逆の『悪者』を背負う子。
③ロスト・ワン(居ない子)・・・家族との関係を断ち、存在を消す子。
④ケアテイカー・・・御世話役の子。家族の世話をしたいえ献身的な子だと認めてもらうことで存在意義を見いだす子
⑤道化師(ピエロ)・・・緊張していて険悪な家族の雰囲気を明るくするためにおどける子
⑥イネイブラー(慰め役の子)・・・ケアテイカー同様、家族の心のケアをして家族を維持し続けようとする子
どれか一つだけという音は少なく
ほとんどのアダルトチャイルドの方は、2つ3つを体験して生きてこられています
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そんな生きる術として獲得し仮面を、また
見破るのは親でもあり
周りの『何かしらの(嫌な)洞察力』を持った人間です
おしゃらけることで注目を集めたい私を
『ダッサ』
『恥ずかしいと思わないの』
『軽蔑』
を込めた眼差しで見つめるものですから
道化師をしながら
かおで笑って心で泣いて
というやつですね
(こんなにしても誰も存在を許してくれない)
と学習していくわけです
一番周囲から『恥』とも『罪悪感」とも捉えられず、否定されなかったのが
最後に残った『ケアラー』です
このポジションでいる限り、自分以外は誰も損をしません
むしろ『使用人』ができたとばかりに親は喜びます
そして、自分も
『やっと存在を許された』と
そのポジションでいることを納得してしまうのです
自己犠牲は社会的なポジションから見ると
『優しさ』を他者に与えるとして大事な役割でもあります
しかし
その役割は、『セーフティネット』があるからこそ
優しさを他者に分けることが出来るのだと感じています
アンパンマンにジャムおじさんがいなければ
アンパンマンは一話で完結してしまったでしょう
ジャムおじさんという、『創る人』がいたからこそ
アンパンマンにとっては
『自分は欠けてもまた満ち足りることができる』という体験が
アンパンマンをアンパンマン足らしめているのだと思います
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にしても
役割の割り振り方とは
まるで舞台での役割の取り合いのような感じがします
私の無意識下に沈んでいくといつも空虚な舞台があるのです
その舞台の幕は上がっていて
荒涼とした真っ黒な闇が背景になっています
そこにピエロがちらほらとしていたりするのが遠目に見えるのです
誰もいない舞台で
ただ一人でぴょんぴょん跳ねたりしている姿が小さく見えます
これが不思議だったのですが
ついぞ、瞑想を続けていたら
そのピエロが顔面に近づいてきて
大きく顔を歪めて悶えているのです
最初は驚きましたが
それでも、ただ心を静かに自分の心に向けて
ただ私自身を感じるというオープンな瞑想を続けていると
頭が痛くなり
『愛されたいと望むことが、恥ずかしいんだ』と言ったのです
しかもピエロは数人おりました
どのピエロも悶えて苦しんでいました
ああ と私は思いました
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その瞑想の際に、ふと、親だけではなく
19歳の頃であった男性も出てきました
別に何かその男性と関係があったわけではないのですが
非常に私を嫌っていて
いつも私が楽しく振る舞っていると
軽蔑の眼差しを向けてきた男性で
いつもチラチラと私の記憶から出て来る人で
私はその人のことが記憶から出てくるのが苦痛でした
その人の眼差しの理由がよくわかりました
『愛されたいとか思って、だっさ
どの面下げて言ってんだ』と言っていました
その人はとても面食いだったので
周囲に可愛らしい子をおきたがっている人で
いつも顔の良し悪しを話題にする人でした
何か私のことが気に障ったのかもしれないのですが
気に障ったからといって
私の欲求までバカにされる覚えはありません
しかも、面(顔面)で
『愛されたい』と欲求を持っていい人と、持ってはいけないと
断罪することは『だれ様?』です
『あなたは神なのか』と問いかけると
ぷいと横を向いて消えてしまいました
これが境界線を超えてきたものを消したという瞬間です
私は彼からの
『そんな顔面のくせに愛されたいとか思っていいのかよ』
という罪を
そのまま鵜呑みにしていていつも自分を恥じていたのです
ものすごいルッキズムな境界線は
このようにして10代の頃に出来上がっておりました
舞台というのは
観客がいて成り立つものですが
私の舞台は、ただ舞台だけが存在していて
観客席すらありませんでした
前提として、舞台ではあるけれども
誰かに見られるということすらを放棄していたという
無意識下に私は不思議な感覚を感じました
そもそもの発端はおそらく母だと思うのです
私が、父に甘えると
母はいつも嫌悪感で満ちた表情を向けていました
ここはのちに書こうと思っている内容ですが
私は、父のことを母から盗むことで
母に復讐をしていたのだと思っています
しかし、これはこれで母のお膳立て、
創られた舞台だったのかもしれないなと思うのです
『誘惑する娘』として仕立てることで
私は10代の中頃から
性に対してゆるい娘になっていきました
身体の関係を重視して
まるで精神面は育っていないので
若い時はそれでも『性』というものが
相手から要求されるために
『愛されている(のかもしれない・・・)』と思っていましたが
早くに結婚してしまったので
そこが満たされない
夫と、精神面が育っていない私では結婚生活がチグハグでした
常に『愛されている実感がないと不安な私』と
『外社会(男性社会)で愛されたい』夫は
様々なすれ違いを続けて離婚に至りました
それでも20年添い遂げたのは
子供を育てるにあたっての、私のコミュニティの変化があったからでした
女性社会が思ったより、面白かったのよ・・!!
ママ友界隈が充実していて
今でも連絡を取り合ったりもするのですが
当時の私のママ友界隈はまるで
江戸時代の長屋のようで、お互いに丸見えな生活だったので
喧嘩しただの
夫婦間のいざこざだの
姑の悪口だの
子供の問題だの
いろいろなことを皆んな悩んでいて
でもそれを笑ったり泣いたりして
そんなことをしていたら、20年あっという間に経ってしまい
女性社会が面白い!
と思ったのはそれが初めての体験でした
女子校時代は暗黒時代でもあったので
女性が怖いと思い込んでいましたが
ママ友の関係性は、『子供ありき』で繋がっているので
『セット』でいられることもあり
子供に助けられたのでしょうね
毎日『外に遊びにいきたい』と言われて
なんだかんだ社交を鍛えられたのだと思います
子育て中の初期(子供が乳飲子時代)は、もちろん上手くいきませんでした 笑
あたふた、しどろもどろな私は
同じく長屋に入った女性から嫌がらせを受けるのですが
(私の母が、この女性のことを「なんだか若い頃の私に似てるわ・・」といっていて
驚いた経験もあり)
それはまだ私が、社交が上手くなかったのだと思います
事件はあれども、いつも間にか
屈託のないママ友との関係が出来上がり
気づけば数十名のコミュニティになっておりました
そこで『女性が怖い』が消えて寛解し
たくさんの女性と接することで
自分の娘とどう接するかも学習して子育てできたのだと思います
みんなの子供ももう全員成人していて
たまに風の噂で近況なんかを聞けたりすると
どの子も逞しく生きていて
あの時、愛されたいと子供たちは皆んな、親に屈託なく要求していたし
親が余裕がなくて応えられない時は
他のママたちが、慰めたりしてフォローしていたなあと思い出すと共に
今も、自分の子供ではない、子どもたちから電話がかかってきて
『かか〜(私は当時子供達からかかと呼ばれていました)ちょっと聞いてよ』
ということもあります
電話がかかってきたりすると、少し複雑な感情になったものです
少し緊張するのです
『私は、そんな他人に甘えること出来ない
だって、嫌がられたら、いやだもん』
と
その時の私は、チラッとそんな声が頭をかすめるのです
しかしその時の、自分のその声を取り合うことはありませんでした
〜〜〜〜
でも、ちゃんと聴くべき声でした
『愛してほしい』『話を聞いてほしい』と求める子供はどの子も可愛いものです
なんら恥ずかしいことでもなく
罪なことでもなく
自然な姿です
それを、あんな侮蔑の眼差しで
半笑いで拒否する親がおかしいのだ・・と
やっと今になり気づく私。
遅いよ、私。
そうして廃墟だった心の舞台の本当の幕の中を
見ようとする気になってくるのです







