身体醜形恐怖症

身体醜形恐怖症のメカニズムは未だにわかっておらず
適切な治療法もまだないのです(一応強迫性障害と同様の治療法 抗うつ薬による薬物療法と 認知行動療法が推奨されているようではありますが)

 

身体醜形恐怖症は
顔、手足、胴体・・など身体中どこでもその対象になり、

その対象となった部位を
1日何時間も眺めたり(対鏡症状等もあります)、いじったりして
社会生活に支障をきたすといったところまで行くと
身体醜形恐怖症としての診断がなされることが多いようです

 

身体醜形恐怖症になりやすい方の特徴はありまして
・完璧主義
・妥協しない
・頑固
・周囲からの肯定的な評価を受け入れない(プラスの言葉を信じない)
・自己評価や自己肯定が著しく低い
・容姿が整っている
・学術に長けている

 

原因としては
・幼少期に容姿について家族や近しい人から言われたネガティブな言葉
・幼少期に愛着を形成しておらず、安心して過ごせる場所がなかった
・親との関係がうまくいってない
・・・親への憧れが強く自分と比べてしまったなど
・親が美醜にこだわりがある人だった
・兄弟姉妹などと美醜や頭脳明晰の程度などの観点から比べられてきた

 

身体醜形恐怖症(BDD)の人の行動
・繰り返し鏡をみる
・ネット検索で『美』に関する検索をやめられない
・自撮りを撮りすぎる
・他者が自分の気になるところに注目しているようでマスクが外せない
・美容整形を繰り返す
・気になっている箇所を過度に隠そうとする

 

身体醜形恐怖症の人は
自分の外側だけを『美容整形』で変えるということを繰り返しがちですが

しかしやってもやっても満足しないということになりがちです

 

周りからは理解されづらい上に
ご本人はとても苦しんでいるというのが身体醜形恐怖症なのですが

ではどうすればその苦しみを改善できるかというと

まずは
・SNSを減らす・・なぜSNSを見たくなるかというと
『自分が憧れの相手になったら・・』という想像を
自動的に脳内で繰り広げてしまうからです

その想像を楽しんでいるうちはいいのですが
次第にその想像が『妄想』の域になると注意です

『想像』は実際の経験や知識をもとにして
現実には起こり得ない未知の出来事を思い浮かべる能力です
見えない意味や繋がりを認識しながら
現象をより現実に捉えようとする試みです

いわば船が港に⚓️錨を下ろしたまま、どれくらい海は広いのだろうかと
少しずつ可動域を増やして『海』の実態を掴もうとするようなものです

 

対して『妄想』とは
根拠のないことを頭の中でとりとめもなく膨らましていくことです
現実的には起こり得ないことを思い浮かべていきますが
一方、本人の中では
その妄想が『現実に思えてくる・・』といった錯覚作用があります

きちんと『現実』に戻って来れないというのがポイントです

 

なので
話を戻すと
『現実の自分はこれだ』というものが存在しないままに
『自分が憧れの人になったら・・』という想像を膨らませていくと
その想像が気持ちよく浸りすぎてしまい

『自分は、もしかしてこの人になれるんじゃないか』
『自分とこの人の違いって、些細なことなんじゃない?』
などとなり

自分と『憧れの人』の間にあるのは
『外見』だけなんじゃないか?という結論に至ってしまい

では外見を変えてみようと美容整形を検討し始めるといった方向性をとり始めます

(本人の自覚としては 単に『綺麗になりたい』というだけのものかもしれませんが)

 

しかし
外見を変えても、心の中にもともとあった
自己コンプレックスは変わりません

なので外見が変わったことで仮に多少、他人からの評価は変われども
心からの安心感は感じることができません

 

醜形恐怖症の方が本当に感じたいものは『安心感』です

誰も、自分のことを評価しないという世界を
求めているのです

しかし世間は『美醜を評価するものだ』という強い思い込みがあります

顔が良いだの悪いだの言っている世界観に
もともと矛盾と葛藤を感じていて苦しいのですから
そこの世界観の中で『良い』方向になったとしても
まだいる世界は『美醜の世界』です

もっともっと色々な『美』が出てくるはずですし

『美』の観点を変化してきて当然です

つい10年ほど前は目がぱっちりとしたハーフ顔が流行っていましたが

今ではアジア系の一重のクールビューティーが流行りになってきて
・・と
この短いスパンでもかなりの変化なのです

なのでそれに振り回されているというのは本当に大変だと思われます

 

 

私も年齢的にさまざまな『美』を目撃してきましたが
中学時代は、ギャルが流行り、皆んな眉毛を
これでもかというくらいに吊り上げて細くしようと抜いていたなあ・・

『眉毛のお手入れしない』なんて女子校では侮蔑の対象だったのよ

スカートをこれでもかというくらいに短くしてまして
・・あれ なんだったんだろう 本当なぞ
めっちゃ寒かったはずなのに
今では絶対できない

娘が年頃になった時に
スカート短くしないの?と尋ねたら
『え。しないよ 寒いじゃん!!』と言われてそりゃそうだと思ったのだが

あの時代、私は寒さを感じなかったのか

自分の体感よりも、格好を気にしていたのか

振り回されたのはそれくらいで良かったが

もっと他にも流行りを追うのであれば
改変していかねばならないことはありました

しかし途中で根を上げた私は
うまく脱落することができたので良かったのだが

あれをずっと追い求めて行ったらしんどかっただろうなあと思うことはあります

 

いつの時代も『最先端』的な人々というのはいますが
その人たちは次々と
『これをやれば(あなたも羨ましがられますよ)流行りに乗れますよ』
的な指導をしてきます

その人たちの背後に
『目論見』が隠されていることも多々あります

消費させる目的のために
あえて『流行り』を創らせるという企業も多くあります

 

 

身体醜形恐怖症の人は
かつてどこかで傷ついてきた人です

身体のことというものは
子供の頃は『受け入れるしかないもの』です

だってお化粧もできないし
日々の何かで自力で工夫をするというのは子供にとっては難しいものです

よっぽど理解のある親御さんだったら
子供の訴えを聞いて、何かしら支援をしてあげて・・ということも可能かもしれませんが
ほとんどは、『気のせいよ』とか『まだ早い』などと言って
苦しみを理解しようとする姿勢すら出ないご家庭が多いようです

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またご家庭が、『美醜』に並々ならぬ関心を持っているということも
身体醜形恐怖症のきっかけになるようです

母親が外見にばかりこだわる
父親が外面にばかりこだわる

などは
子供からしたら『世界と対峙するには美醜に重きを置かねばならないのだ・・!』
と学習してしまうのです

また親から『あなたのココさえ、良かったらねえ・・』などと
限定された身体の箇所を指摘されて
そこばかり気になってしまうというケースもよくあります

酷いケースでは親から美容整形を勧められて…という方もいらっしゃいます

 

自分の外見が美しいか、醜いかは
他人からジャッジされてしまうことで
意識をどれだけそこに持っていかれてしまうかということがあります

 

また美醜を他人から指摘されるということは
ほとんど誰しもが体験してきたことですが

美醜だけに囚われてしまう・・というのが身体醜形恐怖症の特徴です

 

そして何より『負けず嫌い』なので
自分もなんとかしたら、なんとかなるのでは・・!と
頑張ってしまうのも特徴です

ほとんどの人は、他人から美醜を指摘されても
『でも変えようがないしなあ』と
変えづらいところは、『自分のもの』として受け入れますが

負けず嫌いの人は
他人から指摘される『他人から見た自分の欠点』があることを
受け入れられません

それは、心の奥底では
『欠点があったら、他人から攻撃されるのでは・・
見放されるのでは・・』
という大きな恐怖感を持っているのですが

その恐怖感は普段は感じられないように閉じています

ただ、自分には『他人から見た攻撃ポイント』があるのだということが
不安で仕方がないのです
自分を脅かすのが嫌なのだという認識になります

なので、『他人に指摘されないような完璧な自分』を
作り上げなくてはと急き立てられるのです

 

 

誰しもが他人から、なんらかの評価をされるものです

そしてそれをする他人を止めることはできません

『思うな』と言っても無理なものは無理です

法律上でも『思想良心の自由』と言って内心の思考は罰せられません(一旦表現されると他者の人間との衝突により制限を受けますが)

なので他人が思うことはどうやっても止められない

なので
『他人をコントロールはできない』という前提を
身体醜形恐怖症の人は、まず受け入れるということを
カウンセリングではしていきます

 

身体醜形恐怖症の人は
愛着の形成が不十分だと冒頭に書きましたが

愛着とは『あるがままで受け入れられるという体験』から
出来上がってくるものです

この『あるがままで受け入れられる体験』があるからこそ
他人から美醜の指摘をされても

『ふーん・・この人はそう思うんだ ま、いっか』
と流せるのですが

愛着がない人は
ずっと『あるがまま』を否定されてきたという苦しい体験があるからこそ
大きく成長しても
それに付け加わるかの如く

『美醜』によっても受け入れたり拒否されたりするんだ・・
と衝撃を受け美醜を追い求める ということになりがちです

 

ある意味、『美醜』の世界観というのも
洗脳と催眠の世界観になります

なぜなら、これは『基準点』がないからです

 

催眠や洗脳にかかりやすい条件として
基準が曖昧というものがあります

『いい人間 悪い人間』
『善悪』
『頭がいい 頭が悪い』
などと
明確な線引きはありません

そこにあるのは、極個人的な『好み』の問題であります

 

私が『これは善だ』と思っても
ある人からは『いいや悪だよ』と言われるくらい
人によって評価は違うものです

それの一種が『美醜』なのです

 

身体醜形恐怖症は明らかに
人為的な作用により明るみに出た症状です

なのでカウンセリングでは
その人為的な作用を中和して

そもそもの、その人の中のオリジナルの『美しさへの着眼点』を
取り戻していきます

すると、自分が美しいと思ったものが
他人が美しいと思ったものと違うという点にも気づかれますし

美醜というものが
いかに曖昧で、流行り、廃りがあって
評価が分かれるものだということを理解されます

 

するとそんなふわふわとした悪魔的なものに
自分が足をとられていたのだと気づくためには

まずはしっかりとしたカウンセリングで
傾聴だけのカウンセリングというよりかは

質問などを多くしてくれるカウンセリングで自分の中の
催眠にかかってしまったところに気づいていかれるというのが
一番確実かと思っています

催眠を解くカウンセリングという観点から言えば
(トラウマ治療という観点でも)
一般的には『傾聴』によるカウンセリングが良いものとされている一方で
『果たして本当にそうなのか?』という疑問を我々は持っていますが
それはまた別のお話

   

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