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カウンセリングでは『ゲシュタルト療法』を用いたりします

ゲシュタルト療法は、危険と言われた時代もありました

なぜかというと
『自我』が崩れてしまうという恐れがあったからです

しかし時代は変わり
『トラウマ』という概念が世間一般に浸透するにつれて

『トラウマ』を解消(浄化・昇華)するには
ある程度のゲシュタルト療法が一番効果的なのではという
臨床からの声も上がっています

私もこれに賛成です

なぜなら
『トラウマ』というのは幼少期に与えられた受け入れ難い『概念』であるからです

 

例えば『お前はばかなやつだ』『できないやつだ』と
育てられたとして
子供はそれを全面的に受け入れざるを得ません

そしてそれは強固に自分の世界の中に居座る
概念として君臨するために

『自分はダメだやつなのかもしれない』
『やっぱダメなんだ・・』

外界で起こった全ての事柄を

幼少期に押し付けられた概念に結びつけてしまうために

自分でも嫌なのに
ますますその概念を強固にしていくという負の連鎖にハマってしまうわけなのです

 

この強固な概念は多岐にわたります

女性は男性より劣っている とか
お金は無くなるものだ とか
あなたは可愛くない とか
人間というものは恐ろしいものだ とか
親に逆らったらことをしたら地獄に落ちる とか

それらを幼少期に入れられてしまったら
それは、その人の中で『世界観』として植え付けられてしまうわけなのです

 

その場合に
どんなに認知行動療法をしても
なかなか難しいという状況になります

認知行動療法は、『自分の思考、認知が何故おかしいのか』という困りごとが、
自分の中できちんと把握できていないと難しいという局面があります

例えば強迫性障害などには有効だと思われます

どうしても手を洗いすぎてしまう
何度も戸締りを確認するのをやめられない

など
自分でも自分の行動面だけに『はてな❓』を感じられている場合には

回復のゴールも共有しやすいために
いいかと思われます

 

しかし、困りごとというのは
ご本人もうまく把握出来ていないことの方が多いものなのです

しかも、人間関係での困りごとは
対人関係で、相手が何もリアクションせずにただ距離を置かれる
などの場合には

クライエントご本人さまは、どうして上手くいかないかが
把握出来ていないし
何を改善すればいいのかもわからない

むしろ、相手が悪いと責め始めるクライエント様もいらっしゃるわけです

 

そういった場合には
まず『世界をどう捉えているのか』というカウンセリングを開始して

その後その『世界観』ではどうにも生きづらいというか共有できた場合には
カウンセリングでその世界観を崩していくという方法を取るために

ゲシュタルト療法が一番早く、そして戻りにくいと言えるのですが

 

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さてゲシュタルト療法では
具体的にどういったことをするのかということなのですが

その前に、私たちの『認知』『世界観』は
どのように構成されているのかを見ていく必要があります

例えば人の顔を見る時に
私たちは目や鼻、口、などを個々に認識するのではなく

それらが一つにまとまることで『顔』と認識しています

 

面白いことに
顔を見るのが苦手という人がいますが
このような人は、割と自由でユニークな捉え方をする
方が多いという印象を持ちます

概念的に見るのに、そもそも脳が働きづらいのかもしれませんが
その分、細部に面白い発見をしたり
取りこぼしたところから、ユニークな発想をしたりと
いわゆる天才的な人が多いような気がします

 

話がずれましたが
『顔』という大きく捉えるというような働きを自動的にして
人間は、対象のものをカテゴライズしているのです

赤ちゃんを観察していると
割と小さな頃から

赤ちゃんは母親の顔を見るというよりも
養育者の『目』を必ず目で追います

最初は目を観察して
その後、近くに何か動くものがある・・
と口に視線が移動して

そしてそこから『音』が出るのだ、とか

把握を始めるのです

世界をまだごっちゃなカオスと捉えているのにも関わらず
赤ちゃんの中ではカテゴライズが始まり世界観が出来始めるのです

まだこの時期は平和なものですが

 

『言葉』が出てくると世界は複雑な様相を示してきます

例えば不安が強い親から育てられた場合
外出するたびに
『トイレに行っておきなさい!』『トイレに行きたいときに無かったら大変でしょ!』
と言われていた場合

外で催すことを『禁忌』と捉えてしまういったことがあります

人間は生理的にどこでも
催すものですから

外で、その生理的な身体の働きがあったら・・と

なんとかして予想できる恐怖を回避しようと
自分の身体をコントロールしようとすることをし始めます

そうすると
脳の中では『ただの外出』が
『自分を抑えて、何かをすることで外出できる』という概念に変化して育ち始めるのです

すると、外に出るだけなのに
やたら億劫になったり
めんどくさい・・などの感情が湧きがってきます

 

これらは簡単な例ですが

『失敗をしたら怒られる』という世界観は
割と小さな頃に
親から『忘れ物はないか』『先生に怒られるよ』
『皆んなに呆れられるよ』

などと言われすぎているということも多いものです

 

人間の脳とは、人それぞれに結合している部分が違うものです

一つ一つを捉えたらば
お小言や注意などは細かなものですが

人間は、それらを細かく記憶に持ち続けていることは難しいので
簡略化して
それらをいっしょくたに纏めて捉えるので

『おでかけする』ということと
『それらに伴う注意すべきことの数々』が

『外出』する際に
まるでたんぽぽの綿毛が散らばるかのように

あれやこれやと
頭の中を細部同士が暴れるのです

 

こちらの絵をご覧いただきたいのですが
この絵を多くの方は『円』と捉えると思います

しかし厳密に言えばこれは線が切れているので完全な円ではありません

しかし人間のイメージとしては
この図を『全体で一つをなす閉じたもの』として知覚されます

私たちはこのようにして
常に隙間を埋めるようにして全体像を見出して
見慣れたものやシンプルなものとしてその像を認識していくのです

 

人間はなるべく全ての物事をシンプルな形で完了していこうとする生き物です

物事をそのまま全てカオスのまま
細部までを捉えて記憶の中で持ち続けるということは困難です

なので何らかで補いつつ
完全なものとして完了するには『閉じる』『綴じる』ことが必要となるのですが

しかし、この閉じてしまったものを
一旦、解体して
また閉じ直すということをするのがゲシュタルト療法になるのです

 

例にも書きましたが

『外出する』という大きな輪には
細かな色々なものが繋がって、それらを構成しています

『失敗してはいけない』
『忘れ物をしてはいけない』
『戸締りをしなくては』
『時間に遅れてはいけない』

という個々の項目が
大きな『外出する』という輪を構成しているのならば

それらを一つ一つ辿っていかないと
大きな『外出する』という輪を完了できないので
何だか当日になって億劫だななんてことも思ってしまうのです

ゲシュタルト療法は
その個々の構成要素の中を丁寧に見ていく作業もします

その人の輪が
どのようなもので構成されているかというを見ていくのです

 

しかし構成する要素の中にも
ご本人には無自覚なものが含まれていることが多くあります

輪、自体は、1人の人間の中にも多数あります

大きな輪もあれば
小さな輪もあります

輪自体が、違う輪の構成する要素となっている場合もあります

まるでそれは
器械の中の歯車的な動きをしている時もありまして

人それぞれに精神構造を見ていくと
多次元的な構成になっているなあと思われる時もあります

多次元的というのは
時間すら、その人それぞれの中で『捉え方』が違うからなのですが。

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このゲシュタルト療法を気に入って
重用するようになったわけは
人格障害と診断された方に大いに有効だと気づいたのがきっかけだったということもあります

(人格障害のほとんどは、
ご本人に診断が言われるわけでもなく

どちらかというと医師や心理士の中で
どうケースを扱うか・・と言った『心構え』としての内部の診断とされてきましたが)

ご本人様は
何かどこか腫れ物扱いをされているような気がするだとか
人から距離を置かれているような気がするだとか

もしくは思い通りにならなくて怒りが治らない だとか

をずっと理由もわからないまま
抱え続けなければならないという現実があります

なので困りごとが
どことなく他人事になってしまうというマイナスの面が
生じることがあります

実はこのゲシュタルト療法は、人格障害系でお困りの方にも
とても有効ではと思われます

 

人格障害で、特にご本人が『困っている』とご自分で違和感を認識されるのは
『自己愛性障害』
『境界性人格障害』
です

自己愛性人格障害は
ある意味、先ほどの『円』ばかりを見続けてしまうという認識をお持ちです

自分の中にある細やかな寂しさや孤独
劣等感などを捉えずに

大きな『円』だけで自分を完了させるという認識です

自分の中には色々な要素があるということを認めることができないというより

自分を細かく見ていくという眼差しが欠如しています

その場合には
まず大きくなってしまった円を解体して
細かく丁寧に大切に
どれもが自分を構成してきましたよね

といったカウンセリングをしていきます

 

しかし自己愛性人格障害の方は
『大きな視点』だけを好むので、セラピストとぶつかることもあります

また自分を大きく構成する『円』を保ち続けるために
他人の存在を、構成要素として取り込んでしまっていることもあります

子供の存在だとか
パートナーだとか
部下が多いです

相手の方が嫌がっていたら
それは構成する要素としては手放したらいかがでしょうか?
と提案することもあります

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反対に
境界性人格障害に限らずどんな人でも
構成要素として
他人が入り込んでいるということもかなりあるのです

そういった場合はその構成要素を切り離すことを試みます

円を構成する際に
誰かを取り入れることによって、自分かのように振る舞っているという
摩訶不思議な円は

毒親もちの方に多くいらっしゃいます

特に宗教などで特別な選民思想を持っていた親
子供は自分の所有物!と言った考えを持っている親は

カウンセリングの際によく見てみると

何だか変な櫓(ヤグラ)を建てて
お子さんの身体に居座っているのが見えます

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人というのは
細かな認識を上手い具合にコロコロ回しながら
世界を捉えています

そしてその認識は、足りないところは
他所から補完して
何とか『円』を回し続けるようにしているものです

その『円』を構成することが疲れてしまったのが『鬱』などの方々かなあと
思わなくもありません

自分の構成要素が
どんどん搾取されていったりして
歪になってきて

アルコールや買い物などに依存するという依存行為によって
何とか円を保ち続けようとしますが

円というのは、残念ながらやはり異物ではうまく構成できないものなのです

そう言った意味では
ゲシュタルト療法で

構成する大事な要素、一つ一つを見ていき

そして、罪悪感は要らない・・とか
過敏なところは取り扱いが大変だけど大切・・などと取捨選択していくと

ほとんどの構成要素が
『自分だけの感受性』で出来上がります

そうすると『円』として成熟してきて円熟みが増すと言いますが

しかも『円』なので完全な物体なのです

どこかに脆弱性があるとかではない

どれもこれもが
大事な要素だと
『円』自体が把握するとき、かなりの回復が確信されるのです

   

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