肌感覚から蘇る

夏に体調がおかしくなるということを仰る方は多いのです

 

私も夏は苦手です

どこに行っても
なんとなく『温度』付き纏われる感覚があり、しんどい

 

今年のはじめくらいから
カウンセリングの時間の合間に
なるべく外に出て外気を吸ったり、気分転換をするようにしているのですが

どうにも夏というのは
外に出ても、気分がリフレッシュされないので
これは一体なんなのだろうと考えてみることにしました

 

私の場合、『暑さ』というのを感じていると
徐々に頭に血が登ってくる感覚がします

それでもジッと耐えていると

『怒っている』という感覚が強まる

というより
『怒り』が『暑さという温度』により呼び覚まされるという感覚でしょうか

 

それでもジッと感じていると

『恥』という感覚も呼び覚まされます

居心地の悪さと
どこかに一刻も早くに逃げ込みたいという感覚になります

 

色々とネットを探してみると
多くのネットの情報は『暑い夏は自律神経が乱れるから』と
書いてありましたが

チラホラと『体感覚』が
その時の記憶を呼び覚ますことがあるとも書いておりました

多くは『パニック障害』の記事で多かったですが

具合が悪くなり
心拍数が上がり・・ということを身体が記憶しており

その時と同じ状態に『夏の気温』がしてしまう為に

暑い気温に触れただけで
身体がその記憶を思い出そうとして
でも心と頭はその記憶を思い出すだけでしんどいので
オーバーヒートしてしまう

と言ったものです

 

確かに思い出してみると
『恥』の感覚や『怒り』などを抱えている人は
夏がしんどいとおっしゃります

また個人的には『性的虐待』にあわれた方は
夏がしんどいのではとお察しします

私自身も性的虐待がありましたが
夏の暑さは、身体の密着などを思い浮かべてしまうところがあり

体温37度と気温が近くなると
もうなんというか、
イライラし始めて、他人との距離感に異常に反応してしまうところがあります

 

反面
例えば冬に体調を崩される方も多いのです

しかしこれもなんとなくの傾向は見受けられています

冬は、『身体が冷えて』しまう時期で
この時期は確かに水分をとりづらくなったりなどして

浮腫みやすくなったり
身体が固まりがちになるものです

しかし、秋口になると
一様に『なんだか気が滅入る』という言い方で不調を訴えてくる方が多いのです

『気が滅入る』という言い方を
夏にいう方はあまりいらっしゃいません

夏は『辛い』と仰る方は多いのです

 

冬は身体が寒々しくなる季節です

その感覚は『孤独』とよく似通っています

孤独と感じると
どことなく背筋のあたりにヒューヒューする感覚や
ひとりぼっちで寂しいという感覚は
あの『冬』の感覚とよく似通っているものがあります

実際に、孤独というものを非常に苦手で
昔誰かとの離別を経験された方や
否応がなく孤立してしまった経験のある方は冬を怖がる傾向にあります

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かくいう私は冬がとても好きです

冬に、ガシガシ動き回り
身体が暖かくなってくる感じがとても好き

そして『誰も来ない』という状況になる『雪』は特に安心します

1人で誰からも侵害されないという状況は
私を安心させるところがあります

おそらくですが『孤独』はあまり怖くないのだと思います

静かに読書などをできる時間をこよなく欲しているので
是非できれば老後は
雪が多く降る地方で暮らしたい

雪の匂いも、空からヒラヒラと落ちてくる感じも
心置きなく眺めることをしたい

 

 

今年の夏は
何故か、本当に謎なのですが
ものすごく暑い土地に行くことになってしまいました

そこで感じてきたことは『実に人間らしい場所』だな・・ということ。

土地柄なのでしょうか

誰もが生きる為に自分を隠さないところで
ものすごく驚きました

しかも仏教国なのに厳しい感じがない

仏教とは戒律が厳しいのかとばかり思っていましたが
おおらか過ぎるくらいで

制約が少ないような気がする

 

東のはての国で
一体何がどうなってしまったのかと思うところはあります

一番思うところは
やはり潔癖がひどい

潔癖とは白黒思考に繋がり

白を追い求める過程で、自分が黒くなってしまうという

とんでもないパラドックスに仕上がりますが

効率
損得
利益

などを追い求め過ぎると
自分を(周囲の人も)失いかねません

 

私も潔癖なところがあり
それはある意味、自分を追い込みます

潔癖になればなるほど

『完璧な自分』を追い求めて四苦八苦するわけですが

トラウマを負ってしまった以上

『健全』な自分を追い求めてしまうと
それはそれで『今の自分を全否定』することになってしまいます

そこの塩梅が非常に難しいところですが

健康でありたいという願いと
今の自分を否定してなんとか治したいという願望と

そこあたりに
何か難解な落とし穴があることは知っています

 

トラウマの回復が早い方は
そのあたりの塩梅がとても上手で

『うまく自分をねぎらう』ということを
要所要所でされています

自己憐憫ではなく(自己憐憫に行くとその先は落とし穴ですが)

私って、割と頑張ってきたんだ

とシンプルに毎回思える方は回復が早いです

私はねぎらうことが非常に苦手で
休むとか安心するのが怖いので
『もっと鍛錬しなければ』という感覚に陥ってしまうのですが

結局鍛錬するにも
1人で行うことならまだしも
他人を巻き込んでしまうことになるので申し訳なく

ちゃんと自分でシンプルに
ねぎらうことができるようになるのが目標であります

『ねぎらう』とか『休む』と思うと
とたんに頭を蹴られる感覚が襲ってくるので

まずはそこの感覚をなんとかせねばと練習しております

どうやら『慣れていくしかない』らしいのですが
毎回毎回休むたびに具合が悪くなるというのは大変で

馬車馬のように働き続けているうちは
そのフラッシュバック的な恐怖は消えるのですが

でも馬車馬は疲弊はしてきます

休めなくて、動き続けなくてはならなくて・・となると
失神しかない 笑

 

でもこういう方も多くいらっしゃいます

規律や戒律に厳しい育てられ方をしていると
休むことにものすごく恐怖を感じてしまい

ある方はソファに座れないとおっしゃり

昔の、かつての私も家ではずっと立ちっぱなし
もしくは倒れているかの二択でした

頭をぼーっとさせている状態というのは
実は頭をものすごく回復させているらしいです

マインドフルネスや
瞑想
禅など

あれは頭に中の邪念(概念)に気付いていくことで
そのうち自然と消し去る(取り扱わなくなる)という方法です

いかに、外側からの『規律 戒律』が
頭の中に悪影響を及ぼしてしまうかということを物語っていると思います

本当に大事な戒律はシンプルだと思います

 

でも現代で苦しんでいる方々の話を伺うと

『立派な人になれねばならない』『そのためには休むことなく勉強して 云々カンヌン』

など
すごい押しつけをされていて
息つく暇もなく頭の中に『考え』を押し込められている様子があります

その押し付ける方の『考え』は
自分の欲望がほとんどです

立派な子供を育てる『私』というものを成立させなければならない
→ それは私のためでもある

みたいな構図があると

子供の脳内は
他人に支配されることになります

そうすると頭は沸騰して
怒りが出てきて・・

などの経験を経て

そして季節ごとに、その気温が記憶を刺激するから
生きづらいと感じる方も少なくないのではとお察しいたします