減るもんじゃない?

スーパーバイザーの私への治療は
敢えて
『最初に到達点を教えておく』ということで

その中でも特に
その時に釈然としなかったことを最近よく思い出すのですが

 

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それは
性的虐待についてのこと

最初、診断の中で『性的虐待がある』と言われて

私としては『まあ、そう言われればそうかもしれん』
と言うくらいの認識で

記憶の中でピックアップできる出来事としては
やはり父親の異常なほどの娘(私)への思い入れとスキンシップでありました

 

でも、それは何度も自分の中で反芻して
それなりに記憶の一つとして落とし込んでいて

今更、それらの出来事を
『どう怒ればいいのか』と分からなかったのです

 

しかし、先生の治療というのは
ひたすらに『気が熟すのを待つ』という方法と

また『カウンセラーとして育てる』ということを並行していた為

共感してもらうというよりも
『治療法』を学んでいく中で

『自分の中の違和感に気づいていってね〜』というスタンスだったので

トラウマ、心理、精神医学などを教えてもらううちに
段々と『はて、これはどういうことなのか』とか

頭が真っ白になって
なんにも入ってこない など

すぐに理解がしづらい場所には
何かしら地雷が埋まっているという感覚と経験ができてきました

 

ただ
自分の『性的虐待』については
何だかぼんやりしているというか
嫌悪感しか感じなかったのですが

ある日、先生がふと自分の『性的虐待』のことを話し始めたのです

個人的なことなのでここには書きませんが

聴いていて
何と言いましょうか

悲壮感や、頭が圧迫される感覚がないのです
(クライエント様のトラウマの話は
聴いているこちらも同じ体感覚になり、頭を凝縮されて圧迫される
感じや、痛みを伴う感覚になります)

それが、無い

先生の話から、その風景は同じく見えるんだけれども

そこが、どこかの旅行の話を聴いているだけのような
そんな感覚

なので私も話を聴きながら
むしろ『何を話したいんだろう』と思っていたのですが

 

その『性的虐待』を受けた話をしてくれた後に
先生は徐に

『まあ、減るもんじゃないしね』

と言ったのです

 

無言な私
(・・・意図がわからん)

 

先生はもう一度、
『SA(性的虐待)は(減るもんじゃないし)
と思えたらいいんだよ』

と言ったのです

 

『はあ』と気の抜けた返事をしたのですが

その時にうっすら『怒り』を感じたことが自分でも意外でした

 

帰ってから
そのことを思い出して

『減るもんじゃ無いし??』
と自分がされてきた数々の性的虐待を思い返して

『え、でも あいつら男は
得してるんじゃん』
『あいつらばっかりいい思いしやがって』

と私の思考が出てきます

 

同時に なるほどね・・ともう一つの俯瞰する私が気づきます

性的な関係性で、私は損した、損なわれたと
自分のことを認識しているのだな

と気づきます

 

すなわち、性的な関係で
どこか『男性が得して、女性がいつも損をする』という
考え方をしているのです

その時分かったのはそれだけ

 

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思い出すのは、出産の時のこと

出産は、それはそれは痛くて

痛いというと、外傷の痛みを想像してしまいがちだが

内臓が、あれだけ痛むという事を想像できませんでした

普通分娩なうえに、2回とも促進剤を打ちました

一度目の出産は初めてのこともあって
『驚き』の感覚と『痛み』が一緒だったので
何とか終われたが

2回目の出産は、もう陣痛が来はじめたら
一回目の時を思い出してしまい
段取りが分かってるので恐怖しかない

身体も冷え切り、あれに耐えられる自信も無くなってしまい

助産師さんが『足湯』をしてくれてお産が進んだのだけれども

 

とにかく命懸けなのだ

 

なのに、一方の夫は
出産の時はどこかにお出かけしてしまっていて音信不通
・・からの
全く子育てをしない
飲んで帰ってくるし、組合活動で一週間は泊まり込みだし

一ヶ月のうちに一緒にご飯を食べたのは一回だけなどザラでした

 

ワンオペという言葉もなかったので
『まあこんなものか』と思っていたが

でも飲んだくれて玄関で倒れ込む夫を見ていると

男は、変わらないけど
女は変わるしかない

みたいな構図ができてしまい

出産の時の恨みは一生というけれども、本当に一生だわ
と思います

 

おそらく、出産の時は女性はかなり神経を使い
そして命の危険 恐怖にさらされます

そこで、助けてもらえない、という現実に直面してしまうと

ずっと不信感を持ち続けることになってしまう

 

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いざという時に『助けてもらえない』という相手と過ごすのは
かなり居心地が悪いものです

思考が捻じ曲がってしまい

『どうすれば助けてもらえるのか』などという思考に到達したらば

『相手を変える為に、自分を変えるしかない』
となりがちです

不信感を隠したまま、それでも居心地良くすれば
相手もこちらに関心を持ってくれるだろう

と『下手(したて)にでる戦法』を取ることになる

『自分を大切にしろ〜』と言う催眠をかけるために
『こんなに甲斐甲斐しい自分は価値がありますよ』的な方法は

どちらにせよ、自分の心がすり減ってしまう

 

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と言うことを思い出していたのと

もう一つは
父親の言っていた言葉なのですが

父親は『結婚式でバージンロードを歩くのが夢』と常々言っており

それが虫唾が走るくらい気持ち悪かったのです

 

実は『バージンロード』と言う言葉は和製英語です

日本だけしか無い言葉

海外だと普通にそのまま『ウエディングロード』と言います

父親と連れ立って
歩く姿を想像しただけで
自分を叩きつけたくなる

何でだかわからないが
でも父の、この物言いが
『男特有のノスタルジック的な気持ち悪さ』でいっぱいに感じられて
だから、結婚式自体しなかった

 

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なかなか言葉にしづらい部分ではありますが
どれも、何となく『女性が、自分の行いで嫌な感覚になる』
というよりも

一般的に言葉には出されないけれども

そこに存在して在る『男性が自己陶酔できるイメージ』のようなものに
嫌悪感を持っていて

 

例えば男は、女性を貶めてこそ 一人前的なこととか
(今は少なくなってきたのかもしれないが
でも案外いる)

 

もしくは
娘を育てて、誰かのものになる・・みたいな
(本来誰のものでも無いのに)
そこの郷愁と悲しみと自己満足と見せびらかしたいという気持ちがあることとか

 

絶対、口にしないけれども
でも、それあるよね

と、女性は生活の端々から
それを感じ取ってしまうので

どうしても『自分が所有される存在』だと思い込んでしまうのか

それが先生からの
『減るもんじゃないし』にどう集約できるのか・・
というのはずっと大いなる謎でもあり
ある意味挑戦でもありました

 

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今は、色々学んで
色々な話をたくさんのかたから聴いて
考えて 感じて

『減るもんじゃないし』の意味が分かりましたが

当時の私といえば
『所有される存在と思っていたからこそ、発生した思考』だとは思わずに

『女って損じゃん!』という思考でした
だからなんとかして優位に立たねば、見返さねば、文句を言われないようにせねば

この『損』という思考も
実は『所有する・される』という概念から派生したものでした

自分が一番嫌な『家父長制 男尊女卑的な概念』『差別』の中で
その概念の中にいるとも気付かずに 『男が悪い』となっていたことに気づいた時に

まるで世界の果てまで来たと勘違いして
そこにサインをしてきた孫悟空が

いざ、その果ての到達をお釈迦さまに報告したらば
サインしたところは、まだお釈迦さまの手のひらの内側だった

・・というような

まだ、私自身が渦中で叫んでるだけなのだと
気づいてしまったらば

自然と、土俵を降り

『ほんとだ、減ってないじゃん!!』
と気づいた時の驚きはすごかった

 

人から傷つけられても、搾取されても

大事な部分は傷ついてないし減ってもなかった

そもそも『大事な部分は傷つかない』ということを思い出したというか

というよりも

男か、女か
という眼差しが無くなったのだと思うのと同時に

一番根源的な魂は
誰からも傷つけられない

遥か昔は知っていたのに
すっかり忘れていたことを思い出したというような感覚でした

   

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