トラウマをお持ちの方は
怒りをすぐに感じられないという特徴を持つ方が多いと感じます
感覚が麻痺しているというより
『感覚を麻痺させる』ということで生き延びられてきたので
悲しみや怒り、苦しみなどの回路が普通の健全な方よりも鈍いのです
最近だと「ポリヴェーガル理論」などでも「凍りつき」と言われていますね
なので、後々になって
じんわりと怒りらしきものが湧いてきて
そして、それがずーっとこびりつくかの如く離れなくなってしまって
ものすごく体力を消耗します
健全に育ってきたという方は
それこそ感情を否定されることが、そこまで多くなかったので
怒りとか悲しみだとか、そういうネガティブな類いのものを
きちんと感じて
そして周りからもそれをフォローされることもされて・・という経験から
自分自身の感情というものを自分で感じて
そして自分で自分のフォローもできるようになります
感情のフォローというのは周りから自然とされたりして
取り込むものです
例えば転んだ時に
えーん!と泣いたらば
周りから『痛いに痛いの飛んでけー』なんていうおまじないなんかをかけるのも
面白いフォローですね
娘が小学校から帰ってきた時に
『今日、友達が皆んな、お腹が痛い時にお母さんがお腹を撫でてくれると
治っちゃうのって不思議だよねって話してたんだ!』
と言っていたことを覚えているのだけれども
周りのお母さんたちが、子供の痛みに『どうか治りますように』と
お腹に手を当てている風景が想像できて
なんだか温かな気持ちになったことも覚えています
痛いのは辛いよね・・という親の行動が
子供の痛みを和らげるということを
子供自身が不思議に思いつつ、でもそれは継承されるものなのだろうなあとも感じておりました
ちなみに私の母は、そんなことはしなかったので
私が漂白剤を飲んだ時でさえ母に助けを求めるということが浮かばなかった
その行動も、おそらく母は苦しみを取り除いてはくれまいし
しかも怒られるだろうし・・と
自分で自分の痛みや苦しみを『ただ耐えて凌ぐ』という手段しか知らなかったのだが
死ななくてよかった
トラウマを持っている方というのは
痛みや苦しみをまず共有できるものとは捉えられていないということがあります
なので、そこの苦しみや痛みや悲しみを言語化することすら
思いつかないということがあります
とかくその痛みを自分でなんとかしなくてはならない
ということから
①痛みそのものをなかったことにする
②痛みに注目しないように他のことで気を紛らわす
③痛みを感じている自分自身から離れる(幽体離脱のような様子)
などという対処にしかたをするのです
これはいわゆる精神分析で分類される『防衛の種類』のようなものです
ストレスにどう対応するかという、その対応の仕方が
その人の個性のようなものになってしまうのですが
① の痛みそのものをなかったことにするのは
防衛でいう『打ち消し』『否認』などにあたります
③の痛みそのものを感じている自分自身から遠ざかる
というのは防衛でいう『解離』です
②の種類は割と多くありまして
依存で紛らわすだとか
痛みそのものと同化して、他人に同じことをして自分の痛みを紛らわすだとか
回避しようとするだとか
たくさんの種類がありますが
どれもこれも、個人的に対処しきれないストレスに対しての防衛で
それは痛みを持った時に
痛みを適切に感じられるかという経験が少ないほど
複雑な防衛をせざるを得ないという現実があります
子供の時は転んだ時や恥ずかしい思いをした時
また放っておかれた時などの孤独な感情が非常にストレスになります
それをどれだけその時に
適切に一緒に感じられる他人がいるかで
その後の人生がだいぶ変わるような気がします
もう一つ気になるのが
例えば赤点を取ってしまって自分でも落ち込んでいる。。などというときに
周りの適切なケアをするはずの人が
『傷口に塩を塗り込む』ような対処をして
ますます、そのときの感じるべき感情を拗らせることになるというケースが多いような気がします
例えば希望校に落ちた。。などという体験は
本人にとっても非常に苦しく抱えきれないほどのストレスを抱えるものです
周りの家族も、それに対して苦しい思いをするのですが
でもその家族は『自分の虚栄心が傷ついた』などということにばかり気が入ってしまって
本当に落ち込んでいる本人よりも
傷ついている!みたいな態度をしてしまうと
本人は、感じるべき感情を踏み躙られるどころか
きちんと自分のことを感じる感覚を横取りをされたかのような感覚を味わうことになってしまい
三重、四重にも苦しむことが増えてしまうことになります
『落ちた』という現実だけに適切に感じる時間というものが大事なのに
『恥をかくのは家族だ』みたいな扱いをされてしまうと
本人は一体何のために頑張ってきたのか・・?みたいな
重大な不信感を抱くことになります
こういうことが幼少期から続くと
そのご本人は
周りに感情を伝えることが辛くなる
どうせわかってもらえない
自分の中に黒い塊のようなものがあるような感じがする
周りとの調和が取れていないような感覚がある
そして
どこに行っても不安感がある
人混みが怖い
人に合わせ過ぎてしまい1人になるとドッと疲れる
など症状として出てきてしまうようになります
トラウマの治療では
その『感じられなかった感情の記憶』を迎えに行く
という作業がとても大事になります
きちんと迎えに行けた感情は
本当に砂糖菓子のようにふわりと白くなりさらさらとなり
まるでタンポポの綿帽子のように飛んでいくような感じになります
ただ、迎えにいくご本人にも
それ相応の覚悟が必要な時があります
なぜかというと
迎えにいくのは『感情』なので同化する時に
大いにその感情を感じなくてはなりません
それこそ痛みの場合は、痛みを感じますし
悲しみの場合は悲しみを感じます
苦しみの場合は苦しみを感じますし
恥ずかしさの場合は恥ずかしさを感じます
その時の迎えにいく最中ってのは
どの方もすごく大変そうですが
でも、クライエント様の中のどこかで小さなその方自身が
その痛みや苦しみの中に、今もいると思うと
いてもたっても居られないような気持ちになって
トラウマ治療にも熱が入ってしまうものです
そんなわけで『感情を適切に感じきる』ということをカウンセリングでは取り戻していくのです
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