アレルギーが出た
私は小さな頃、それも2歳なんて頃からものすごくアトピーが酷く
掻きむしったり
瘡蓋剥がしたり
腫れ上がったり
いつも身体のどこかしらが痒くて痛くて
『この不快感がなくなったらどんなに楽だろうか・・』と思って
生きてきた節があり
『私の身体が何とも扱いづらいものだなあ』と思っておりました
それが中2の頃
一週間くらいでパタっと症状が消えてしまい
別人と言われるほど変わったのだけれども
治ったあとも
1人でいつも自分のことは
痒くて、見られるのが辛いような気がする・・といった感覚がありました
よく『幽霊みたい』とか
『気持ち悪い』と言われてきたので
いつも鏡を見ると
自分じゃないような者が映っていて
認識まで時間がかかる
目を凝らして何秒か考えないと
自分だか分からない
特に顔というのがよく分からない
トラウマという世界に関わって
今年で数年になるが
そうしたらば最近
その顔に、最近アレルギーが出て
『あ!』と思ったのだ
『久しぶりの私だ!』と。
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それが、私、年末くらいから『卵アレルギー』になったのです
最初は中華、五目チャーハンを食べたら
以上に口の周りが痒くなって
『もしかしたら中華だな・・』と頭が計算し始めておりました
私の身体はすぐに
『卵だーーー』と言っていたが
『あんなにケーキとかくっきーとか食べていたのに今更??』と思ったのだが
やはり卵らしきものを摂取すると
顔が腫れ上がる
『ふむふむこれは卵かも』と
早速皮膚科で調べたら、ドンピシャの『卵』だった
そんなこんなで
何十年かぶりに『食物アレルギー』での『アレルゲン除去生活』が始まったのだけれども
アレルギーというのは
自分も体験した症状なので興味がある
よく言われるのが『免疫の異常』だとか言われていますが
本当の原因はわかっていません
食べ物アレルギーもあれば
埃やダニやカビなどが原因ということもあるし
植物、たとえば花粉症などもそうですが
一つの特定の植物に刺激されて痒くなったりするという症状に結びつく
これはいったい何なのだろう・・と
いつも思っているのですが
皮膚科の先生曰く
『とりあえず、腸内バランスを良くしよか』となった
どうやら先生の話だと
『腸内には細菌があり、100種類から1000種類もの腸内細菌が住んでいて
数は1000兆個。
善玉菌、悪玉菌、日和見菌と大きく3つに分類され
腸内細菌のバランスは、善玉菌:悪玉菌:日和見菌が2:1:7
日和見菌は悪玉菌が繁殖すると悪玉菌よりになり、
腸内細菌が悪くなる原因になってしまう
腸内細菌は善玉菌よりに保つように意識することが大切で
腸内環境を整えることは、からだの免疫力を高めることつながり
善玉菌と悪玉菌のバランスは加齢やストレス、そして食べ物で変化する』
とのことらしいのです
この腸内のバランスというのは
全ての臓器に関わってくるから本当に大事なのよ・・と言う
これを聞くと
私、あることを思うのです
精神科医だったスーパーバイザーのいつも口酸っぱく言っていた、あれ
『人は
いい人が10人中1人か2人
他の人は損得勘定
そして邪悪が18人に1人』
と言う、人間の統計の話
だからスーパーバイザーの指導というのは
その『おおいなるバランス』を良く見てカウンセリングしなさいね
という話だったのだけれども
確かにいい人だね。。と思う人はそれくらいのパーセンテージです
そして
邪悪かも。。と思われる人もそれくらいの割合
そして残りは本当に『よくもなるし悪くもなれる』という可能性に満ちた存在
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腸内バランスで面白いのは
『すべて善玉菌にしようとするとそれはそれで良くない』
ということ
バランスが崩れると
それはそれで不具合が出るらしく
『悪玉菌』も存在しないといけないということ
面白くないですか?これ
カウンセリングで
やはり、やはり皆さま真面目なので
『治すならとことんやりたい!』という方が多い
でもそれではダメなのです
悪玉の思考とか癖とか、そういうものを全て取り払おうとすると
それは潔癖に繋がり
新たなる『選別の悪魔』が生まれるのです
『白黒思考』というやつですね
『いいものはないか』『いいものだけを摂取したい』
『いいものは正義』『悪いものは排除』
・・この思考の『怖さ』を感じませんか?
『排他的』というものは『選別と破壊』に繋がり
それは恐ろしいと言われる
魔に引き摺り込まれ真似ない『優生思想』に近しい感覚になります
『いいものこそ正義』
みたいな思想は
それ自体が『危険性』をはらみ、他者へのおおらかさを削っていきます
だから
実は『少しの毒っけ』みたいなものは
思考にあった方が健康的なのかもね・・とは思うのです
嫌なことされたら
そりゃ『抗議』できるくらいの気概は持っていたいし
侵入されたら
押し返すくらいの『強さ』はあったほうが健全
結局『邪悪さん』は周りを『悪玉になあれ』と誘いますから
それに対抗できるくらいの『毒』はご自身の中にあった方がいい
先生たちがよく持っている『毒』は
『とぼける』という技ありの毒
まあ、よく『そんなこと言ったっけ?』ってとぼけてかわします
私は先生たちから『獅子だね〜』と気の強さを褒められますが
それとともに
『毒には毒で制すくらいがちょうどいいね がんばれ』と送り出されます
これでも結構頑張って毒を無くさないようにしているのです
どちらかというとすぐに共感してしまいがちになるので
共感したってそれではクライエント様の主訴とはズレるな・・という場合は
とかく代わりに踏ん張ります
それもかなり体力を消耗するので
できれば『薬になりそうな毒は頑張って持ち続けてほしい』と
願っている時が結構あるのです
毒を自分で持ち続けたり
自分が毒があるということを認めたりするのは美学に反するのかもしれないですが
『毒があってもそれでも、毒とともに生きている』という人は美しさというより
一種凄みさえ感じて、私は畏怖の感覚すらします
それが
オーラというか
迫力みたいなものなのかもしれませんが
そんなこんなで
メンタル内容としましては
脳内は
悪玉1割 日和見7割 善玉2割
くらいの方がチャーミングで快活なのかもな・・と感じたりもするのです
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