犬は悟ってるのか

催眠と瞑想の違いってなんなんだろうと思ったことはないでしょうか

厳密に『これが、こう違う!』と言った線引きは
この界隈だとあまりなされてはいないのですが

カウンセリングだと
この『催眠』と『瞑想』の違いはかなり見受けられるので
参考にしていただけたらと
記すことにします

さて、私の現代催眠の先生は『無意識には層がある』と言います

現代催眠の先生と
吉本武史先生は、このあたりをよく仕事で話し合っていたらしく

どうやれば『深い層に入れるか』をテーマにしていたりもしたそうです

吉本先生は
一つの『現代催眠』の文章の
句読点の入れ方までかなりこだわっていたらしい

吉本先生の奥様は
夜遅くまで
何回も何回も書き直しして 読み直ししていたと懐かしそうに回顧される 

このあたりのエピソードからもわかる通り
『催眠』とは
目的があるのがポイント

例えば『おねしょを治したい』などの困りごとがあり
それを治すために
母親が子供になる前に
『今晩は大丈夫よ』と声がけをするなんかも『催眠』の種類に入る

とかく『よくなりたい』などの目的があり
それに向かって変性意識を作り出すようにする

変性意識とは
普段とは違う意識状態のことで

意識だと『こう動いてしまうよね』というところを

『動けなくなる』とか
『違う働きをするようになる』と言った
いわば無意識からの働きかけを期待したものです

どこまで行っても『意識』と『目的』があるのが『催眠』になります

対して瞑想は少し
その雰囲気が違い

『身体の自己治癒力』と言ったものに触れると言った方がわかりやすいでしょうか

手についた傷が自然のうちに
治癒されて 元通りに復元されるが如く

身体には持って生まれた自然治癒力があります

瞑想はその『自然』な状態に触れるというゾーンにあります

『自然』な状態のゾーンは『意識が働かない』ということが重要です

例えば指が切れたからといって
どうくっつくか
どう肌が再現されるか
指紋はどういった様相で盛り上がってくるのか

などの範囲は意識では操作できないところです

人間には持っていまれた
備わった『自然』が在り

それは意識ではコントロールできないところにあります

例えば『老い』なんかもそれにあたるでしょう

生まれたばかりの個体は
復元力もありますが
老いてくると復元力は緩やかになります

年齢に則した、織り込まれているプログラム的なものは
人間に意識では回避ができません

瞑想はその回避できない落ち込まれたプログラムが
どこからくるのか
ということを体験できるゾーンになります

いわば神の領域でもあります

神の領域なので
それはは『体験』でしかなくて
語ることは不可能です 

意識で創り出すこともできません

私たちの身体は
コップの水を飲もうという『意志が』出現したから
手がコップをもち
コップを傾けて口に水を運ぶという動作をしている・・と思いがちです

意志が出現してから身体の筋肉にその意志が発令して身体がコントロールされていると思いがちですが

実はそうではありません

人間の脳の中では
まず最初に『筋肉』が動くという動作の発令があり

それの0・2秒後くらいに
意識と意志が発現します

つまり身体の筋肉の動きが最初で
意識が『後追い』で『それなりの辻褄を合わせて』生活しています

ではその『筋肉の動作の発令』はどこからされるのか

それは世界中の誰もがわかっていません

わかっていないということしかわかっていません

不思議ですね
だから最近の脳科学の先生たちは『自由意志はない』といったりするのです

それとは少し趣が違う物理学者の先生たちは
物事の全ての現象は因果律に従って出現しているのだから
『自由意志』が入り込む隙がないとも言いますが

ではなぜ私たちは存在しているのか

という原因の因果はわからないまま

こんなことを考えていると
今の人間にはこの問題は『キャパオーバー』なのかもしれません

それか
もしくは人間にはそこを感じとり、考える『回路』のようなものが最初から備わっていないのかもですね

それか、反対に
備わりすぎるくらいに備わっていて『気が付かない』だけか・・・

瞑想はその『領域』に触れるものかもなと思ったりもしています

そこは意識で行こうとすると閉じてしまい
考えることをやめると
そちらからの『扉が開く』と言いますか

全てを『やめる』とそこに触れられる感じがあります

そして何より面白いなあと見ているのが
『治癒』がそこからもたらされることです

それは一見、チグハグで 
意識上では悪く見えたりもしますが

明らかに『身体を治す』に似た状態です 

『運』という形でもたらされたりもします

その方が『その方らしく』存在するようになります

それは禅問答の中でよく出てきた問いと同じで
『犬は悟れるか』というもので

『仏性』を伴った生き方になるような雰囲気があります

このあたりは長くなりますね・・

少しお休みしましょう

また次回に書きますね