瞑想の流れとマーラへの対応

長年悩んできた頭痛

私はとても肩こりです・・・と自覚しています

けれども実生活では
『肩こりだなあ・・』と自覚することはなく

気づけばガチガチに張っている筋肉を自覚するのは
ひどい頭痛の訪れが来る時です

私の頭痛はとても酷く 毎回吐いてしまうのが特徴です

頭痛が来ると視界が狭くなり
圧が頭上からかかる感覚で身体が重くなり
光が眩しく
全ての音も刺さってくるようにけたたましく聴こえます

必ず頭部のある一点が痛み

それは何か異物が脳にある感じと言いますか
脳の一部が損傷しているなあと感じる感覚

何十年もこの痛みと付き合ってきたので

法則を見つけて対処しようと思っていた時もありました

原因を突き止めれば何とかなるのかもと
脳神経外科を訪ねて歩いたりもしました

しかしどれも根本的は治療にはならず

いつもその頭痛が来ると
痛みへの恐怖と吐き気とが自分ではどうしようもないと思っていました

何とか眠ると
少しその痛みは変化するのですが

痛みが完全に取れるまでは数日を要するので
痛みが訪れると

『またきたわ・・』と落ち込む

また、自分の身体の中からの声が響くのも
頭痛が来る時の特徴で

この時の身体の中からの声は
声にならないうめき声

『うーうー』と獣のような唸り声がします

『行きたくない』か『生きたくない』かわかりませんが
『イキタクナイ』と呟いている声に気がつくのです

痛みの声はトラウマに関係する

頭痛外来に行くとか色々な対処法がありますが

私は何十年もこの痛みに、薬を飲まずにただ付き合ってきた結果

何となく
この痛みの声が
自分のトラウマに関係するのではと思い始めました

痛みが発生する時を注意深く観察していると
共通の出来事が起きていたのです

自分が『ぐっと我慢する』というか

あるストレスを感じている時に頭痛は発生しやすく

それは『ある自分の感覚を刺激される』と
発生するのだとも気づいてきました

ある人たちから『刺激される言動』をされると
私の中で頭痛が起きやすいということがわかってきました

また、昔は
母親に会った後、頭痛が起きやすかったことも思い出しました

ただこれは原因に気づいても
痛みが去ることはありませんでした

まるで『目のまばたき』を制御できないのと同じように

ある事象に出会うと
身体が瞬時に反応するようになっているのです

その反応は身体を固めたり
冷や汗をかいたり
目の焦点が合わなくなったりして

どんどん自分が鈍麻になって行くと言うか

身体の奥の方から
岩のように張ってきます

すると頭が痛く痛くなってくるのです

トラウマなんだろうな・・と薄ぼんやり思っていましたが
それに対処したいと強く思った出来事がありました

瞑想・マインドフルネス・禅でトラウマを自分で対処する

なので自分で何かできないものかと
やり始めたのが『マインドフルネス』とか『禅』とか『瞑想』であります

理由は介入中の感覚に瞑想はよく似ていたからです

なので瞑想のやり方は自己流でした

現代催眠の先生から何年か『瞑想』の手ほどきを受けていましたが

いつも瞑想をしていると
苦しなって 身体が痙攣するようになってしまい
次から次へと声が聴こえてくるので
瞑想を避けている時代がありました

瞑想とか禅とかって
よくある巷のイメージは静かで身動きしなくて・・という不動のスタイルばかりだったので

私が
『禅に行ったら 肩を棒で叩かれまくるんだろうな・・・』と言ったものでした

とかく私の瞑想は冷や汗がすごく
身体もエクソシストか・・見たいな感じで落ち着きがなかったです

しかしそれでも当時の私は瞑想しました

意識は暗黒の煙と思考が次から次へと浮かび

『何も考えない』なんていうことは到底無理でした

無理だったので
私は身体の感覚から自分をほどいていくことにしました

お釈迦さまだって
襲ってくる煩悩(マーラ)と戦ったと言います

最初っから『光に包まれた〜〜』『許された〜〜』とか
『あるがまま〜〜』という感覚ではなかったはず

なので私はまず動く自分を許すことにしました

まあ本当によく動く

しかし動く時って黒い煙の意識がスパークすると言いますか
身体にビリッと電気が走る感覚を何度も感じる時です

その電気のような感覚は
『昔、確か痛い思いをしたよね・・』という
懐かしい感覚にもなります

痛みの記憶なのでしょうか

瞑想、座禅、マインドフルネスは
日によって違う感覚をもたらしてきます

昨日は割と身体が動いて、電気も走った感覚なのに
今日は身体が引き裂かれるような感覚をもたらしてくるなあ・・

とか

この間はスパークしたような感覚があって その後、穏やかな深呼吸ができたのに、
今回はどうも集中できなくて浅い呼吸でずっと居るなあ

など

毎回毎回違うのが瞑想の醍醐味です

その違いさえも受け入れていくのが瞑想 座禅 マインドフルネスです

クライアント様おひとりおひとりに合った瞑想の方法があります

私はクライアントさまたちに瞑想を進める時
それぞれに対応したもの方法を進めています

とかく解離がある方、解離性人格障害などの重症の方は
ある一定のところまで介入をして
耐性というか、自分の中に内在している別の人格を認知するところにまで
回復を持ってきたらば瞑想を勧めたりします

解離の方が
最初から一人で、瞑想をするのは少し危ないなと思っています

トラウマの箱が開いてしまうと
自暴自棄になったりするからです 

普段は意識の力で『別の人格』や抑えられているものが
瞑想や禅 マインドフルネスをやると
その『蓋』が開いてしまいます

ある意味 瞑想がうまくいっている証拠でもあるのですが

別の人格が 
『何もしない』『あるがまま』という瞑想の状態で
押さえつけているものが無くなったら 
『チャンス』とばかりに出てくるのは仕方ありません

瞑想には体力も必要です

それをも恐れずに身体の感覚だけに集中していることができるようになるには
体力も必要です

カウンセリングでよくクライアント様たちに『ビタミンとってくださいね』や
『体力つけといてくださいね』というのは

トラウマは身体のどこかの部位に
仕舞い込まれているので
それを『放出』する体力が必要不可欠だからです

介入もある意味 
瞑想によく似た働きをするので体力が必要なのです 

瞑想が進んでいくと

さて瞑想や介入では
身体がものすごく痙攣し
汗がダラダラ流れていきますが

それでも自分の身体の『緊張』を呼吸の吐く息と共に解放していくということを辛抱強く
やっていくと 
ある感覚に行き着くことがあります

それは冒頭に書いた頭痛のたねに行き当たる感覚

そこから沸いてくる『ある思考』というか『ある吐きたくなるほどの感覚』に触れるくらい近くに
自分の感覚が近づいてきます

それでも動じず
呼吸で身体の緊張と痛みを 吐く息と共に出していくイメージをもち続けると

とうとう膜に触れる感覚が訪れます

それは自分の中で
『自分の過去の痛み』を癒すという工程なのか

触れた瞬間から ボワーっとほどけていく感覚になります

私の中であった感覚は
頭の輪っかの痛みが ジュワーっとほどけていく感覚でした

瞑想をしてみてと、その副次的効果

精神科医のスーパーバイザーの瞑想の指導は
『黒い霧やモヤを、かき分け、かき分けしていくと
 あるところで ある感覚に行き当たる 
 それに行き着いたら 今までの記憶やらトラウマなどを返していくのも
 一つの方法としてある』
と言っていました

ただそれを聞いた当初はとても無理でした

トラウマの圧力が激しすぎてです

しかし今はそれなりに自分で昇華できるくらいにはなっています

 

そうそう 私の場合ですが 瞑想をすることで

あるがままの自然な体重になっていくと言うか
姿勢が良くなったりしました

歩き方も変わったりするのが面白いです

瞑想によって自分にとっての不要なものや異物がそぎ落とされるからなのか
瞑想は人によってはダイエットにもなるのかもと思って見ています

ぜひ 
ご自身にマッチする瞑想の仕方をカウンセリングで訊いてくださいね
特に瞑想がうまくできない方はまずエネルギー療法等の介入が必要な場合が多いので
ご相談くださいませ

   

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