母性神話が女性を縛り付けている
母性神話というものほど
女性を縛り付けるものはないなと思う
全ての女性が『育むことを本能的に欲する』というわけではない
私は子供を二人産んだが
初めての子を産んだ当時はもれなく鬱っぽくなった
というのも
『人間産んでしまった』ということが
ものすごく恐怖感に繋がってしまい
『死なせてしまったら罪になる』とか
『この子が大人になるまで、私は母親でいなくてはならないのだ』
という
いきなり産んだ途端に『役割』が降ってきたような
めまいがするくらいの『大役』に吐き気がしたものだ
幸い、すぐにおさまったが
しかし折々に触れて
『母という大役』は私に何かを課してくるような気がしていました
『娘』のままの『母親』たち
私は結婚して、すぐに社宅というところに居を構えました
割と若くして子供を産んだ私でしたが
当時の社宅には子供がいる夫婦は少なかったのですが
時間がたつにつれ 徐々に、社宅に子供が生まれるようになり
あっという間に至る所で赤ちゃん連れのたくさんのお母さんが社宅の道を
歩いている風景を見るようになりました
そんな中、母親たちは挨拶を交わし
子供の月齢を尋ねあい
お互いに共通点を探しあい
そしてコミュニティが少しずつ出来上がってきました
どのお母さんたちも、まだ『娘』らしい初々しさがありました
あの頃の自分達を思い出すと
子育てにおいて、支えになったのは
その『娘』のままの『母親』たちでした
母親たちは、時間を重ねるにつれ
徐々に『娘』から『母親らしく』なってきました
相談事と言ったら
『夫が朝帰りをした』とか
『夫が気持ちをわかってくれない』とか
『夫に暴力を振るわれた』とか
『夫がお金を使い込みした』とか
割とハードな話もよく出てきましたが
『子供が思ったように食べてくれない』とか
『子供が病気だった』とか
『義理の母親がうるさい』だとか
それを、どの『娘』たちも笑い合いお互いに慰めあって過ごしてきました
順風万般な子育てをしている家なんてどこにもなくて
みんなそれぞれの
ひとりの悩める『女性』が、そこには居りました
『娘』たちが『母親』になり 子どもを育て上げるまで
『娘』たちが『母親』になるのには
『安全に悩める場所』が必要なようでした
ゆっくり悩めて
ゆっくり考えられて
ゆっくり泣けて
そんな時間が『娘』たちを徐々に『母親』にしていきました
『娘』たちはお互いに『辛さ』も共有していました
『自分の子供に感じてしまう嫌気』に罪悪感を持ってしまうことも
『子供が可愛いと思えないこと』もあるということも
お互いに分かっていました
夜な夜な喧嘩の声が聞こえてくる家に対して
お互いに『娘』たちは理解もしていました
・・・そんないつもいつも『良い母親 良い妻』にはなれないよね・・
そう
お互いに労っておりました
社宅なので、徐々に家を買って出ていく家族も増えて来ました
皆、出ていった先で
社宅を懐かしんでいる人も多かったようでした
私も子供がそれなりの年齢になった時に
社宅を出ましたが
あの頃の『娘たちの子育て』の風景を思い出すと不思議な感覚になるのです
『母親』らしい母親はいなくって
全員が『娘』のような女性でした
笑い合い
喧嘩もして
お互いに教育方針が違っても押し付け合わずに
共存しておりました
気づけばそんな『娘』たちはいつしか『子供』を育て上げたのでした
カウンセリングでは『生の子供のような人間性』を見ています
私のカウンセリングの感覚として
どうしても その方の『子供』のころ を透かして見てしまうような癖があります
『大人』とか
『母親』とか
『肩書き』とか
そう言ったもので、人を見ることができません
見られるのは
『むき身』といいますか
『生の子供のような人間性』を見てしまいます
どういった育てられ方をしたのか
どう言った言葉をかけられて育ったのか
どう言った眼差しを向けられて育てられたのか
その時間をどう過ごして
このかたが今まで生きてきたのか
を見ます
その方の中にある小さな素朴な嘘がない『子供らしさ』
みたいなものが
時間をかけて体得したものが『その方の味』みたいなものになると思っています
なので先に書きました『母性神話』のような
『子供を産んだらすぐに母性が出るよ』的なものは
都市伝説レベルの信憑性だと思うのです
時間が何にせよ、必要です
女性は『役割』を任命されることが多いので
その分、ご本人がきちんとその『役割』に馴染む時間を取る必要があると思います
3月のユークリッド便りをトップページで更新しました。
今回のお題は『共依存』『人間関係依存』についてです。
割と長文になりましたが
最近のクライアント様達のお悩みにリンクしておりますので、良かったら覗いてみてくださいませ
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