カウンセリングにもタイミングがある話

主訴(困っていること)となっている問題のことが一旦終了したら
カウンセリングを一回お休みされるということも
こちらからお勧めすることがあるという、

カウンセリングとどう付き合っていくかというお話。

 

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何度も書いていますが
私が一番困っていたことの主訴は
『絵が描けない』ということでした

これは、よくよく分解してみると『絵を描く時に全く記憶が出てこない』という
ことからの困り事でした

 

例えば、昨日何食べたかなあ・・という記憶は
私の場合は『写真的イメージ』から遡ります

昨日は、これをして
あれをして
とアルバムを捲るようにして撮り溜めていたような写真を
一枚一枚、目の前に出すようにして
そこから『昨日のご飯』という写真を出してくる

携帯の写真を保存してあるところのように
無作為に(携帯は時間ごとに保存されていますが)
記憶の中にその画像は溜まっていくので

そこからどう探し出すかというところなのですが

これが『絵を描く』というモードの時は頭が空っぽになり
探し出せないということが困り事でした

 

これには解離が関わっているという見立てを立てられて
そこから治療が始まったのですが

主訴=解離で記憶が繋がらなくなったところの修復だけではなく

『記憶を戻したくない』という部分があったので

結果的に
記憶を戻すためには
記憶を戻したくないところを癒すしかないと
なってしまった

だったので結果的に
簡単そうな主訴なのに
一番難しいところに困り事があったので
治療が長引いてしまったというわけです

 

反対に
実は主訴がものすごく大きい課題であったとしても
問題自体がとてもシンプルなこともあります

よくあるのは『怖い』といった感情に囚われている
という主訴です

この場合によくあるのは
『怖い』と思っていることの実態がご本人にも捉えづらいために
感覚が過敏になってしまっているということが多いようです

その場合には『怖い』ものを
カウンセリングで一緒に見ていくと

ご本人自身で、自然に対処方法を見つけられるということがあります

 

恐怖系などの『恐れ』は
一緒にカウンセラーとその世界観を覗くという作業をすると
案外簡単にその治療が終わってしまうということがあります

ただ それは『恐れ』の対象が他者の場合になります

母親が怖い
父親が怖い
先生が、親戚が・・
などという『環境に怖さの対象があった』という場合は
主訴としての『怖い』がすぐに見破られて

結果的に『怖くなかった・・』となったりします

数回のカウンセリングでそれなりの効果を感じられて
生活に支障を感じなくなり
カウンセリングは無事終了、もしくは数ヶ月に一回程度の
アフターフォローになります

 

一方で
カウンセリングが大変なのは
『自分が見捨てられるのが怖い』という場合です

その場合の『怖さ』は依存心などが関係している場合は
その『怖さ』と共存していく耐性をつけるカウンセリングになります

 

人は生まれてから死ぬまで
究極的に『孤独』です

自分の感覚は、他人に伝わることは難しく

また他人の感覚を、自分で感じることも難しい

例えば他人が『美味しい』といっていたその『味』自体を
自分が感じることは不可能です

他人の感じている『味』は他人のものであり
どうやっても自分には感じることはできない

例えば最後に『死』という感覚を迎えるのも
自分でしか成し得ないことです

『死』とは今生きている世界との断絶が予想されるのでほとんどの人は
否認したくなり絶望します

そして
周りからどんなに慰められても
『あなたはどうせ死なないんだし』となりがちです

それと一緒で
自分の感覚というものを
他者が全く同じく感じるということを求めるのは不可能です

あくまで自分の感覚は
自分でしか感じられなくて

そういう意味では、『自分の感覚を感じる自分』というのは『閉じられた世界』です

なので
自分の中に湧き上がってきた『孤独と、他者への渇望』は
こんなことをいっては元の子もないですが満たされないのです

 

究極的に『禅』や『悟り』などで
孤独という感覚すら『あっていい』という境地に至ることもあります

しかし孤独で苦しんで渇望している最中に
あぐらを組んで、半眼で、呼吸に注目して・・と禅的なものをやっていける
クライエント様は少ないです

面倒臭いとそこをすっ飛ばして
早く楽になれる境地に行ければとなってしまいます

しかし実は『感覚』への一番の対応は
『急がば回れ』なのですが

現代は『急いで結果を出さなければならない』という強迫性が
世間としてはあるのと

またゲームやお酒など
簡単に『感覚を麻痺できるもの』が揃っているので

なかなか感覚に向き合うのも根気と覚悟が必要なのです

 

そして『孤独』は誰しもがあるものだと
完全に腑に落ちて理解した時に
周囲への理解ができはじめて
そこで安心というか、諦めというか、
『ま、仕方ない この孤独と付き合っていくか』となります

 

孤独が怖い人は
孤独を悪しきものと捉えて
なんとか撃退できると思っている人です

孤独というものは一生付き合っていく『影』のようなものです

孤独があるからコミュニティを尊ぶし
人を分かろうとする

それは人間の基本的な原則に近しいものかなとも思うのですが

この孤独を悪しきものとして
向きあいたくがない為に

相手を支配して手元に置いておけば影を感じずに済むとか
考えていくと

そうすると影のいる世界、闇に飲み込まれてしまう

影とは
付かず離れず

『おう、元気でやってるかい』くらいの距離感で
付き合っていくのが一番良い塩梅かと思うのですが

 

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では一方で
どうすれば安心感で自分が満たされるのか・・といった話になりますが

面白いことに
他者へ向ける自分の感情は、すなわち『自分への感情』にもなりうるという特性を脳は持っています

 

他者に対して『ムカつく』という感覚を持つということは
自分への『ムカつく』と同じなのです

他者へ『あいつさえいなければ』という感覚は
すなわち『自分さえいなくなれば』という殺傷能力の高い自虐行為です

 

人間の脳は『主語』が理解されないという話もありますが

私が感じるに(私の仮説です)
『主語』(誰を目的としていう感覚かを判別する部位)と

『能動的に感覚を発生するところ』は

それぞれ別の部位であり

優位性が高いのは『能動的に感覚を発生するところ』ではないかと思われます

 

なので脳の仕組みとしては
『ムカつく 邪魔 いなくなれ 不快 しんどい』
が優位性が高く
脳の血流やホルモンなどを司るところに直結していて

その背後に『誰に対してか』という
識別・判別能力が付随されるのではと思っています

識別・判別が働く部位は
下方部位なので(意識的であるので)

最初に『感覚』が優位に出てきて(こちらは本能)

その後に『こいつが』と識別的・判別的な意識が働くのです

 

なので
ご自身の感覚をよくよく観察するところから始まり

そこで
自分本位な感覚(自分さえ良ければいい)といった感覚が優位なのであれば

それはすなわち
世界観もそうなってしまわざるを得ないので

そういう時は『自分の感覚の整理』をおすすめします

 

 

しかしこの『自分の感覚の整理』というのは
なかなか難しいものです

例えば人との交流という点で
例えば『愚痴の共有』などで関係性を保っているとか

誰かよりも優位に立っているという観点で
自分の中の『見たくないもの』に蓋をしていることで
生活を保っている方も多くいらっしゃるのです

 

そういう方に
では、整理しましょう
となっても

整理するとなると
まずは『自分の中の孤独感』を直視しないといけない・・となるので
カウンセリングが長引いてしまうのです

 

この仕事をしていると感じるのは

この『整理』の時期も
世界からの采配によって決まるのではないかなあと感じます

なのでカウンセリングで
一旦、それなりに表層の困りごとが解決されたのであれば
それ以上のことは
無理に進めなくても良いのではないかなと思っております

 

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カウンセリングをしていくと
世間でよく言われている『引き寄せ』的なことが
多く発生します

これをご褒美と捉えて
『もっともっと欲しい』となる方も多く

そうすると
『自分の中の悪いものを出せば、もっといいものが引く寄せられるのではないか』
と考える方もいらっしゃいます

 

しかし世界は
この考えをお見通しで
すると急に『引き寄せ的なもの』が現れなくなります

ご褒美的なものが現れなくなった途端に
『自分の内的な世界』に興味を示さなくなり
以前よりももっと自暴自棄になられたり攻撃的になるというパターンも
多く見られました

 

こういった場合のカウンセリングでの課題の取り上げ方としては
『損得勘定』をテーマに進められるのですが

しかしこの『損得勘定』というテーマは
かなりの難易度が高いものです

それこそ長丁場のカウンセリングが必要となりますし
人格形成されたころの記憶などに傷ついた場所が
あるのでは…と探すこともあります

また『損得勘定』に苦しみながらも
損得勘定が手放せないという方もいらっしゃいます

 

ですので
見立ての段階で
この主訴は今は時期ではないのではないか・・など
というものをこちらもある程度見立てるのですが

新たなものがテーマになりそうな場合に
今はその時期ではないな・・と思った方は
カウンセリングを一旦休止にとお勧めすることもあります

無理に何かを無理に良くしようと考えても
まだ世界もご自身も準備が整っていないという段階では
何も出来ないことが多いのです

 

何度もブログで書いているように
世界は何面もあるルービックキューブのようなもので

何か他所が動かないと
こちらも動かないということもあり

それは、繋がっている誰かが動かないと
こちらも動く番ではないといいますか

そのルービックキューブを動かすものは
森羅万象的なものを動かす大きな循環なので

その循環には
私たちも何もできないというか

私たちも、その大きな循環の中のピースに過ぎないので

『まだ出番ではないのかな』となるのです

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反対に、『タイミングが巡ってきたんだなあ・・』と思われるクライエント様というのは

ものすごく
周囲からの圧がかかっており
変化せざるを得ない状況というのが勝手に創られてきます

切羽詰まった状況というのが感じられて

それこそ背水の陣のような状況になっている場合は

何かがテーマとして
でてきたなあ・・と感じるのです

 

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幼少期のトラウマの治療で
長くカウンセリングに通われてきているクライエント様も

ある時期は少し頻度を空けてもらったほうが良いこともあり
その時は正直にそう申し上げています

カウンセリングに通われていることで
満足してしまい
困ったらなんとかしてもらえると思っている時期は

あえて休止をお勧めしたりして

他所のカウンセリングを探していただいたりして
自分を客観的に見る機会を多く作っていただいたりしています

 

そうすると
みなさま、急にしっかりと立つようになるというか

それまですごく迷われて
物事を決められなかったという方が

ハキハキ物事を言えるようになったり

決める時も『ま、なんとかなるか』といった
いい具合の肩の力が抜けた感じになられたりすることを
多く見てきました

   

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