私は 案外 、
空想を現実にする力が強かったのか
『お金を稼ぎたい』とか
『好きだと言ってくれる人がほしい』とかを
無理矢理 押し通すエネルギーはあった
だから
今 振り返ってみても
結構、願望は実現しているのだ…
が!
しかし
内面は ちっとも 満ち足りていなかったのです
だから いつも
『おかしいなあ』 『おかしいなあ』と
頭を抱えていました
『なんで いつも こんなにも 不安定なんだろう』
周りの環境は整ってきてるはずなのに
いつも追い立てられているようで
疲弊していて
頭が痛くて たまらない
お金だって、それなりに稼いでいるのに
ちっとも 安らかな感覚にならない
好きだと言ってくれてる人がいても
いつも 疑ってしまい
安らげない
友達がいるように見えても
とても怯えて 怖くて堪らない感覚があって
億劫でたまらない
『おかしいなあ』
『おかしいなあ』
…
『私が 欲しいもの って なんだろう』
これが 限界に来ていた私が
自分に 問いかけた 質問 でした
物は 揃えてみた
環境も それなりに 整えてみた
けど 満たされた感覚がなくて
いつも 怯えて 頭が痛いってことは
今の 物や 環境 では
私は 安心していないんだ
そう、やっと気付いた私は
自分が欲しいものは
『没頭できる感覚』 なのかもしれない…
と
昔の感覚を思い出したのです
何は無くても
ただ 自分から 湧き上がる ものに
浸っていた日々
それが とてつもなく 満たされていて
それは『無我の境地』だったよな
と
思い出してから
私は 現代催眠の先生に 出会い
それに 没頭するようになりました
『無我の境地』とは
ことば通りに 『自我が無い状態』
私達は
いつだって 『人目』に評価され
『人目』で自分のことすら評価するようになり
それにより 作られてしまった『自我』が
『エゴ』になります
要は 他人の『眼』が
自分の 頭に入っているような感じ
これ、実は 介入してるときも わかります
あー…
他人の『眼』があるわ…って。
この『眼』が 何から由来しているかを
突き止めるのは
我々の仕事になりますが
結構 多いのは SNSや ブログから
その 『眼』を 取り込んでしまうこと
大抵 取り込みをした後の感想は
『あのブログ、私の事、言ってるみたい!』とか
皆様 仰います
待ていー…と なりますが
『眼』を 撒き散らす者は
そういうところから 薄ら 入っていきます
SNS依存が
『眼』の温床になってるよな
と いう感覚は あります
本当、新たな 依存性 ですね
で、結局
どうやったら 無我になれるか と言うと
頭に入ってしまった
『評価の眼』を 取り払うのが1番ですが
大抵は 『評価の眼』と
首を締め合いながらも共存しているので
先に 手を離す必要があります
それが 『負けるが勝ち』の
最初の一歩
なかなか 難しいですから
背後から 援護するのも 我々の仕事になります
だから
クライアント様が 結局のところ
『眼』と共存する道を選ばれたら
それは それで 仕方ないところがあります
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