昔
物凄く 太古から生きながらえてきた樹に会いたくて
土砂崩れた道をいき
途中の工事現場の方々に
『そんなとこ 行きたいのか~』
と言われても めげず 行ってきたときのこと
通行止めなのに
何故か 工事現場の人達は行かせてくれて
でも めちゃくちゃ
道 崩れてるとこで ビビったよ…
自然の前じゃあ
人間の作ったコンクリでの道は
豆腐みたいなもんだなぁなんて思いながら
そんな 豆腐のうえを行きましたらば
素晴らしい樹が在った
行くまで 存在を知らなかったが
偶然こうやって 会えて感激でありました
そんな所に
死ぬ思いで行ってみたけれど
『死ぬ』ということを
日々 意識することは とても大事だと思っています
例えば 来月 死ぬとしたら何をしたいか
大抵のひとは
『会いたい人に会う』と言ったり
『食べたいものを食べる』
『行きたい場所に行く』
など様々でしょうが
あの世に持っていけないものには
執着しなくなりますよね
したらば 生き方は とてもシンプルに
なるわけなのです
あなたが 心から求めるものは なに?
温もり?
あの人の声?
それとも
何かを想ってみたい?
創造してみたいのか?
死ぬ間際に 赦せない人に罵詈雑言を
かける暇はないのではないかなぁと
『死』をみつめることは
『生き方』を見つめることで
私はそうやって 生き方をシンプルに
させてきました
爆弾抱えてますが
病院に行くのもやめ
下手な延命したとこで 自分の範疇を超えたとこに
無意識はあり
歩いていける範囲で
生きていこかな と 思う
遠くに 素晴らしいものがあるわけじゃなくて
自分の足でいける範囲にあるはずなんだ
それを遠くにあるもんばっかりと
比較して教えるから
劣等感の塊を生み出して
自分をつまらなく思えてしまうのかもしれない
樹は なぜ
動けないように根っこを生やすのか
生も死も完璧な宇宙と自然を前に
いつも 教えられます