クライアント様からの声
こんにちは
ご感想をいただきまして ありがとうございます
経緯をわかりやすく説明していただき
感謝致します
私達のカウンセリングの流れを
こうやってリアルに文字起こししていただくと
(あー こうやって カウンセリングをすすめているのか)と
自分で気付くことが出来るのは有り難いのです
…というのも
カウンセリング中は
(自分がやっているようで 自分がやっていない)という
微妙なラインで進めていくので
あまり記憶に残らなかったりするのです
現代催眠療法だと
自分がトランス(催眠)に入らないと
クライアントに よい催眠が入らないと言いますが
この方とのお話の場合
(良い催眠)にお互いで協力して入っていけた感覚は
ありました
私のカウンセリングの時間というのは
クライアント様にとっての(障碍となるもの)を
クライアント様とカウンセラーで
協力しあって 智恵を出し合い 解決していくものになります
それにあたり
エネルギー療法や現代催眠を用いて
クライアント様にとっての
クライアント様本来が使いたがっている魂の生き方みたいな
ものを 一緒に模索していきます
今回は
自力で乗り越えていらした部分もお見受けしていましたので
敢えて介入は最小限にしました
今はいかがお過ごしになっていますでしょうか
表情がくるくる変わるのが素敵な印象の方でした
お元気でいらっしゃったら嬉しい限りです
乙原
カウンセリングでは大変お世話になり、ありがとうございます。
備忘録を兼ね、一旦経過報告をお送り致します。
・初回(昨年◎月◎日)
→「SA」「母親との関係性からくる女性不信」「トラウマあり」と乙原さんからの指摘。
女性の匂いに反応、母親は支配者ではないこと、”守り”がいること、
そして、神社参拝をお勧めいただく。
・2回目(◎月◎日)
→ 初回終了間際の治療で、何が見えたかをお話した。
カウンセリング後にお腹を下したことも併せてお伝えした。
我慢していたことに気づいたことをお話したところ「相当我慢していますよ」との事。
乙原さんのブログ記事にあった「母親がごみを漁る」というトピックについてや
義理の母の新興宗教についてなどをお話しし、そのお話している間に
”介入”されていたとの事で、大変驚く。
・3回目(◎月◎日)
→ 2回目から3回目までの間、心が「凪」のような状況だったことをお話した。
機会がないこともあり、女性不信が無くなるという実感はなかったが、
「意地悪してくる人はいないはず」とのことで、少し安心する。
ボーっとしてしまうとお話すると、「本来ぼーっとする人ですよ」とのお話。
生活を楽しむことと、母親に対するイメージの書き換えのため、
家事の外注や料理教室をお勧めいただく。
没頭できるタイプとも仰られた。
⇒現在ここ
2回~3回までの「凪」の状態から一転、いまは「嵐」のような日々を送っております。
ただ「外は嵐なのに、心は案外平穏」という感じで、今まで生きてきた中では無かった感覚を味わっています。
「嵐」というのは、とにかく夫とのケンカが絶えない!(笑)
一見それって良くないのでは?という感じなのですが、
以前だったら心のどこかで「嫌われたら生きていけない」と思いながら、遠慮がちの言い合いをしていたのですが、
今は、いい意味で「相手の事なんてどうでもいい。」という感覚を持ちながらのケンカなので、
良い表現が見当たらないのですが、なんというか「清々しい」のです。
自分の軸がブレない、というのでしょうか。
嫌われたら嫌われたで、それは仕方ないね、という感じ、とでも言いましょうか。
「どう考えても相手の言ってることオカシイと思っても、どこか後ろめたい感じ」
私はそれは、夫主体の稼ぎの上で成り立っている生活だから、罪悪感があって当然、と思っていたのですが、
それはちょっと違うかもしれない、と感じ始めたのです。
「空気って なんなのよ」のブログ記事に
”え?どこのどちら様?と聴きたくなる” …と。そして
”我慢してただけで 私は決して満足してなかったんだ!(中略)人生 もっと 私を大事にしよ”
この一文を見かけ、
「そう、そう、それ! 私もそれが言いたかったの」と目が覚めたような気分でした。
同時に、ちょっとだけ分かったことがあります。
以前、乙原さんに「何をしたいのかわからない」とご相談しました。
そして「このまま死ぬのは嫌なんです」ともお話しました。
やりたいことって、テニスとか、音楽とか
世間一般でいう「趣味」と言われることとか、あとは「天職」のようなものとか…。
そういう類のものだと思っていました。
でも、違いました。
私は「私である」ということをしたかったのだと。
そして、それは幸福が欲しいという意味ではなくて、
ただただ自分でありたい、ということだったのだと。
そして、欲しかったものは、すでにもう持ってたのだ、
と気づいたら、もう可笑しくて可笑しくて、
私の中の子供が、楽しそうに「ケタケタ」と笑いだしました。
ブログ記事「影こそ光」は、
以前にも読んでる筈で、当初は、あまり響かなかったのですが、
再び今読むと、悲しくなるくらい胸に沁みる、お気に入りの作品になりました。
まだまだカオナシの自分。本当の自分を見てみたいので、
もう少しお付き合いを頂ければ幸いです。ご迷惑でなければ。。。