HSPが開花してしまう

私は『1人の人間』として歴史があり、そしてそれにより出来上がった『視点』があります

この『視点』というものは
わたしならではの『感受性』とも言い換えられることができると思います

この『視点』とか『感受性』は
またの名前を
『価値観』だとか『判断基準』などとも言います

万物に対して持つ根本的な評価の態度や基準であります

それぞれの『物差し』とも言います

 

さて人間は『会話をする生き物』ですが
この会話には『言葉』という記号的な音の羅列を使います

音を口で多様に発音し
その発音の仕方にそれぞれの『意味合い』がつくということを理解して

その『発音』でもって

自分の意思や意向や要望などを伝えたりします

『自分はこう感じている』という
感受性という漠然としたものを

口からの音の発音で、何とか他者に対して表そうとするわけです
(自分自身に対して表すのもあるけれども、それはまたのお話で)

 

感受性は
体の『不快』か『快い(心地よい)』に、まずは二分されます

気持ち良いか
気持ち悪いか

子供の赤ちゃんの表現の始めとしましては

この『心地よい』時は口角が上がった『笑う』という顔が出来上がり

そして
『気持悪い!不快!』ってな時には
顔を顰めたり
泣いたり
顔を背けたりします

バリエーションとしては
『心地悪い』の時のリアクションの方が多く存在していると感じます

眉をひそめる、とか
舌打ちをする、とか
鼻を鳴らす、とか

これらも表現の一つです

こうみてみると
『心地悪い』とか『不快』とかの方が
生きているうちは感じやすい状況なのかもしれないなと思ったりします

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私たちの『感受性』を表す言葉やコミュニケーションや表現としては

割と世界は『心地悪い』方が多いのではないかということです

言葉の世界や
表現の世界のバリエーションを見ていても
圧倒的に『苦しい』ことを表すことの方が多いのです

喜怒哀楽などの言葉のバリエーションは
圧倒的に
『哀』が多い

『寂しい』『淋しい』なども含めるとものすごい数になります

ひもじい
心細い
そわそわする
孤独感
・・・・・・・・

それだけ人生で感じる感受性というものは
侘しく哀しく儚いものなのかなとも思ったりするわけなのですけれども

この『感受性』だけにフォーカス(注目)して
カウンセリングをしてくると
次第に『言葉』というものがただの『音の羅列』のように感じられてきたり

もしくは
その『言葉』を発する時の
相手の『感受性』に注目していると

『言葉とは裏腹の感受性を持って喋っている』ということが
臨床でも多々見受けられます

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例えば
『かわいそう』という言葉を使ったとして

でもその『言葉を用いて表現した今現在の感受性』にだけ
注目していると

『自分は、この立場ではなくて良かった〜〜』という
『安堵の感受性』を感じていたり

私は選ばれしものだから、かわいそうな立場になならないはず

という自分への選別と優勢な差別を感じる『心地よい』感受性を
実は持ち合わせていたり


言葉で相手に伝えようとしているモノとは
別の感受性を持っていたりもします

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世にいう
最近出てきた『HSP』などの人たちというのは
この『感受性』を即座に感じ取ってしまう人々なのではないかと思っています

いわゆる第六感的な
『さとり』の感覚ですね

相手が表現していることと
感じて思っていることが違うという状況は

ひどく、それを感じる本人からしたら混乱と人間不信を引き出してしまうものではないかと思っています

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この感覚が出てくる背景としては
後天的なものが大きく占めるのではという感覚もいたします

酷い虐待を受けてきた方々というのは
この『第六感』的なものを刺激させられる修行の世界に生きてきたような人々です

相手が笑いながら虐待をしてきた
殴ってきた
いたぶってきた

相手が泣きながらも
コントロールしてきた
依存してきた
支配してきた

など
表に出てきている『表現』と『言葉』とが
食い違っている場合

虐待を受けてきた方々というのは

『相手が何を考えているのか』というのを
それこそ死に物狂いで感じ取ろうとします

自分の生き死が関わってくるので

それこそ全神経をそこに集中して察知しようとします

それが皮肉にも
『さとり』や『第六感』の開花につながってしまうことは多々見られます

 

性的虐待もそうです

相手の意図(大人の欲望の意味するところ)がよく掴めないし
知識にもない・・けれども
なぜか物凄く不穏な感覚と侵入されたりするような侵食感を味わい

これでは『自我が侵されてしまう』ということで

『解離』という防衛をはるのだと思います

性的虐待者が
みるからに気持ち悪くて
『いたずらするよ』なんぞと宣言しながら近寄ってきたら
それこそ
『キッモ!』ときちんと感じることができて

きちんと反撃したり
『気持ち悪い』ときちんと感じたりして逃げたりできるのですが

性的虐待者は自分の欲望を隠して近寄るし、
そして
大概は小さな子供の頃に受けた性的虐待は
加害者の方でも『ロリコンだから隠さなければならない』という認識を持っているしで

『行為自体』を隠すものとして『言葉』を多用してきたり
気づかないふりをするなどの表現で『行為自体』を抹消したりするのです

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こういう場面にあった方々というのは
それこそ『言葉』を信じないという学習を無意識下でして

そして『顔色を伺う』とか『雰囲気を察知する』など

相手(加害をしてくると見られる相手)が隠せない部分に注目して生きていくようになるので

その生き様は
まるで修行のようなのです