感覚を飛ばした先を解放する

 

クライエントさまに瞑想をすすめることがあります

初期のカウンセリングの時はあまりお勧めしないのですが

トラウマとなる記憶との距離が取れてきている方や

また怒りや、自分では御し難い『恥』の感覚が強い方にはお勧めしています

それは何故かというと

『恥』の感覚はカウンセラーに対しても相談しづらいということと
自分自身でも『恥』の感覚は非常に不快な為持ちづらいということと

そして恥だけではなく
『自分で否定して【無きもの】にしてきた感情を迎えに行くため』です

 

そもそも
自分を否定しなければ、呼吸はとても自然で深く
そして身体の感覚は精神と一致しています

驚く時も、その一瞬は驚いて心臓は強く動いても
またすぐに穏やかになるものです

それは身体と精神が一致して密着しているからです

 

トラウマをお持ちの方に
『身体の感覚を目をつぶってなぞっていってください』と尋ねてみると

ひどいトラウマの方は
『身体がない』とか

『頭がひしゃげている』とか

『手があるように思えない』とか

『肩にだけすごく重いものが乗っかっている』などお答えになります

それは何故かというと
昔、何か受け入れられないことがあり

それを身体のどこかへしまい込んでいるからなのです

なので身体に負担がかかってしまう

 

身体が、いったんの感情の保管庫になるのは良いのですが

人間というのは喉元忘れれば・・の生き物ですし
また生活に追われているので

身体にしまいこまれた悲しみや寂しさ、恐怖などの『衝撃』は
そのまま保管され続けることになり

どんどん身体に溜まっていくのです

 

この身体への負担を、どう迎えにいくか・・がとても大事。

 

すぐに身体の負担を解消しようとエクササイズする・・というのも
お勧めしません

エクササイズで身体を固めてしまいがちな運動を選ぶよりは

ピラティスなどの
柔軟性とストレッチがメインのものをお勧めします

というのも、面白いことに
身体に一旦は保管してもらった『衝撃』の種類によっては

その『衝撃』が、固まって身体の中でどんどん育ってきてしまい
人格化するということが起きてくるのです

 

どうやって育つのでしょうか

そこはもう少し観察と検証が必要ですが

私としては
飛ばした『衝撃』に、自分の意志も乗せて飛ばしているからではないかな・・と思っています

衝撃が飛ばされて、それに自分の人格を、自分自身で否定して乗せて飛ばすと

そこから人格が派生するのではと考えております

(これは仮説です)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

また
衝撃の感覚だけではなく

『我慢』を身体のどこかに飛ばすと
それは無感覚となり、身体自体の感覚と共に麻痺してくるような気もしています

なので『自分が何を考えているのかわからない』という方は
我慢してきた過去をお持ちの方が多いような気がします

 

そして飛ばす場所は
『不快感をこらえる部位』に飛ばされがちです

肩をはじめとして

奥歯
股関節
眉のあたり

などの部位に多く、感覚は隠されてしまっているようです

この場合の我慢され、多く飛ばされがちな感覚は
『自由に動きたい』というものが多いです

子供ですから
多いに駆け回って
食べて寝るのが大事です

また年齢が上がるにつれて
自分のペースで冒険に出るのも、自然なことです

そしてパートナーに興味が出てくるのも、とても自然です

 

しかし、どれもこれも
『制止』されて
安全な場所でしか動けないとなるとフラストレーションが溜まります

このフラストレーションが
身体のどこかに隠されてしまい、
そして隠したご本人でさえ、見つけるのが難しくなってきてしまうのです

 

性的な感覚を咎められたり、抑圧されると
その性的な感覚を否定するために神経症的、依存症的な症状がでます

人間が成長するにあたって
『性の抑圧』は人間の根幹に関わる部分なので

これを否定されて抑圧されてしまうと

本来育たねばいけない部分のエネルギーが放出せずに
身体のどこかにしまいこまれなければいけないことになります

その抑圧されたエネルギーが
違う場所から漏れ出てしまうものが神経症や依存症として表出されます

 

困ったことに
現代の『神経症』や『依存症』へのアプローチは
その『神経症・依存症』そのものを抑えるという方向性のものばかりです

実は『依存症、神経症』は
そのかたの救命措置として機能しているということを忘れてはいけません

一見、困ったことのように見える
『神経症的・依存症的』な『問題行動』は
その人の人生を助けて大きく支えているものなのです

 

ではどうしたら良いかということになりますが

カウンセリングでは『問題行動』は、まずはそのままにして起きます

それよりも先ずやることは
『何を抑圧されてきたか』を一緒に探しに行く作業です

抑圧されてきたものの第一位は
やはり『性衝動』への抑圧です

性を罪とみなし、
穢らわしいこととしてみなすという環境は

その人が本来出るはずだった魅力を封じ込めるものです

また、環境が
その人自身の性を捻じ曲がった方向に誘導しているというケースも多く見られます

 

第二位の『抑圧されてきたもの』としては
『怒り』です

怒りは、ものすごく大切なものです

怒りはよくよくみると
『侵害行為』を受けていると出てくるものです

子供の頃に『怒り』を抑圧されてきた人は
ほとんどが環境から弾圧されてきています

『親の期待通りに育て』などは
子供の人権の侵害と弾圧行為です

もちろん安全に育てることは大事ですが
親の不安から過保護すぎるのも、子供にはとても負担なものです

『親を安心させないと』
というプレッシャーは次第に強く、自分自身を追い込みかねません

しかし、一方で
『自由に動いてみたい』という
人間の基本的な欲求はありますので

ものすごいジレンマに陥るのです

よく『アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようだ』という表現をされる方がいますが

それが、このバージョンに近い境遇で育ってきた方々です

 

また特に暴力などの分かりやすい虐待は無いため
責めどころに思い当りがなく

ご本人は
『自分が悪いに違いない』と
自分を責め切っている場合が多くとても苦しそうです

表に出づらい苦しみだよなあ・・といつも見ていて思います

しかし、自由に動くためには
一旦は『親の不安を押し付けないでくれい』と

強く思うことが
自分の身体の中に隠してしまった

自分の、基本的な『動きたい欲求』の息を吹きかえさせる方法です

 

こういった方々は
親を責めることに非常に罪悪感を覚えがちであり

また、むしろ多くの援助をしてもらっている場合もあるので

『むしろ感謝こそすれ、怒ることなんてできない・・』と
おっしゃるのです

そこが難しいところです

 

こういった場合にも瞑想は有効なのです

責めずに、ただ座すれば良いのです

(次回に安全な瞑想のやり方をブログでお伝えする予定です)

そして『自分の呼吸』の不自然さに気がついていく

そして、その不自然で苦しいところに
自分で優しく息を吹き込んでいくのです

優しく膨らましていく

そんなイメージで
どんどん『自分の身体』を再度創り出していくのです

 

 

どんどん身体を順番に感じていくと

ぽっかり穴が空いていたり
空洞の部分に気がついてくるはずです

この瞑想をしていると
少し苦しさを感じるはずなのです

落ち着かなさや
イライラ感
投げ出したくなる感覚
何かに当たりたくなる感覚

などが出てくるはずです

それを避けてはなりません

その感覚こそが、昔表現したかった感覚の一部だからです

『怒りたかった』感覚、
そして『自分をえぐられていくときに感じていた感覚』です

それを感じつつ
身体に対して、心を込めて呼吸でもって『優しい空気』を送り続けるのです

そして吐く息には
今まで身体に溜まっていた『部分』を溶かして吐き出すイメージを持つのです

 

身体への安全なアプローチはこれだけです

何が浮かび上がってこようとも
空気を優しく送り続け
そして吐き続けること

また、瞑想や禅は『動いてはいけない』と言いますが

トラウマもちや、神経症、依存症などがある方は
動きたくなる感覚になると思います

私は、身体が動きたい時は
身体に任せて動いて良いと思っております

 

チャレンジされてみると分かると思うのですが

座って、身体の感覚に抗わずに
呼吸を送り続けていると

身体がどんどん捻れて、胃の辺りがキュッとしたり
股関節がむずむずしたり
眉間に力が入ったり
手が震えたり

などは本当によくある現象です

これは身体の表現です

そして身体が息を吹き返しつつあるからこそ、こういった動きになります

なので、動かないことに一生懸命にならずに

どうか自然に
身体を柔らかくほぐし

慈しむ気持ちで身体を想い
座してみてください

   

Instagramはじめました カウンセリングルームの様子を よかったらご覧ください

 

↓TOPページへ戻る↓ユークリッド・カウンセリング ご予約・お問い合わせ等はこちら