
自分の中にある、『負けず嫌い』についての考察
参考までにここで話してみようかと思います
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私は、もう生粋の負けず嫌いでございまして
それこそ『夏目漱石の坊ちゃん』にも負けないほどの『折れなさ』。
よく猪突猛進だとか
止めても止まらないとか
人の言うこと聞かない
なんて言われていて
少し腑に落ちない言われ方もあったけども
概ね、自分なりの自分の分析にも『負けず嫌い』はあるなあ・・と
思っておりました
負けず嫌いと言いましても
私は、恨みを晴らさずに置くものかというタイプではなく
むしろ
相手に『負けたら負け』と一人相撲をするタイプでした
なので誰も競ってないのに
1人で、何かを『負け』と思い込んでずっと、根性でその局面を乗り越えていくタイプ。
相手に、注目して嫌な思いをさせたいなどの戦いたい願望は
全く無いので
執着などはむしろしないタイプと言われるのですが
しかしどうしても譲れない部分に対しては
一人相撲で頑固になってしまうのです
この『譲れない部分』と言うのが
非常に自分の中では掴みづらく、そしてしんどい部分でもありました
高之瀬は長年、私のパートナーとして
仕事を手伝ってくれていますが
彼は非常に『譲る』と言うことが上手でもあります
なので必ず揉めたら彼が引いて
とりあえずは収束するという流れでやってきましたが
しかし
もう彼がこれ以上『引けない』と言うところまで追い詰められる事態になり
私が、ようやく
自分の中の『譲れない部分』に対して覚悟を決める時がやってまいりました
さて
私の中の『譲れない部分』というのは
『負けを認められない』という部分でもあります
どうして、そんなにも『負け』を認められないのか・・・?
私はもうそれこそ
一生懸命に、自分の中に何度も潜ることを繰り返しました
『自分が負けた』という感覚を仮定して
自分の中に潜っていくのは、とてもとても不快な感覚です
気を抜けば
ぐるん!と浮上してきてしまい
自分の中の『不快な原体験』=『負けるということに対しての拒否感のもの』から
気が逸れてしまうのです
しかし、もう何度も何度もトライしておりました
トライする場は
自分が安全と感じられる場所で、です
まず、何度目かのトライで見えたのは
ヘルメットをかぶっている私でした
現在の私から逃げるようにしているのです
待てい!と
集中して(負けた感覚)(負けた感覚)・・・と追いかけていくと
ぽこん
と出てきたのは
『お母さんとお父さんの名誉を守るため』と出てきたのです
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いやいや、まじか
と思いました
自分は、自分の意識の解釈では
親に対しては もう 問題はほとんど収束に向かっているとばかり思っておりました
親に対する怒りなんかも
悲しみも
色々なものが
風と一緒になって、
どこかに行ったものだと思っておりましたが
『こんなとこに、未だ いた』
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そのヘルメットをかぶっている私は、モグラでした
暗闇で一生懸命に土を掘りながら
道を作っておりました
そして、そのモグラの私がいうには
『私がバカにされたり、負けを認めることは
親がバカにされたりすることと繋がると思っているんだ』
ということでした
Oh No
親を守っているとでも言うのかい
と問いかけると
『そうだよ』と言います
『お父さんとお母さんは
負けない子供を持つことで、自分たちを再確認したいから
それを守っているんだ』
と言うのです
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モグラの私
モグラは光がないところで生きているものです
そんな負けないようにと、ずっと長年、地道にしてきたのか・・
親のために
負けない選択をしたと言う子供時代は、なんとなく今の私にもわかってしまう部分があります
父と母は
『親に認められたい』がどちらも強い人でした
だからいつも競っている人たちでもありました
親のその世界観を一緒に、地下で支えてきたのかと理解すると同時に
父と、母の
『負けている姿』も私は理解していました
思う通りの人生ではないと
ある意味、親を『惨めで可哀想』だと感じている心があるのは、今も健在だからです
親のことを『惨めだなあ』と思っていた幼少期の感覚は
リアルなくらい今でも残っていて
それはとても私を、居ても立ってもいられないようにする感覚で
親のことを『救いたい』と思ってしまっていたのでしょうか
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高之瀬は、非常に負けが上手な人であります
柔軟で、自分の負けを笑える人でもあります
とても尊敬するところでもあるし、見習いたいなと思っていたのに
それでも
強く引き戻される『負けたら負け』の感覚は
どうやらモグラの私の感覚なようでした
そして、新たな疑問も出てくるわけです
『惨め』って、一体誰の感覚なんだろう?
なぜ親を惨めと感じるようになったのか??
負けた、自分は負けたと認めたら
私は『美しい妄想の中での名誉な親を失う』から負けられないのか?
もぐらの子は言います
『だって、お母さん好きなんだもん』
ああ
私はそこで少し思い出すことがありました
母親はいつも飢えている人でした
人を支配したい
優越になりたい
でもその飢えは、ずっと満たされないものでした
それが、見るに耐えなかった
夜中ちゅう、ずっと一心不乱に自分自身のことを祈り続ける母を
横目に寝るのはとても辛かった
だから助けたかったのです、特に母親を。
だから、母親の飢えを満たすために
『負けていない自分』で、母親の『負け』を何とかしたかった
『私の勝ち』で母親の欠けている部分を埋めたかった
そうしたら
いつか、母親が満足してくれたら
やっと甘えられると、ずっと代理で『負けない戦い』を請け負った
でもなあと
今になればわかるんだけど・・と
私はモグラの子に話しかけます
母親は、ずっと『飢え』たままだと思うよ
本当は飢えてないのに
飢えてると感じているのが、あなたの母親なんだよ
いつか、その飢えが
本当の意味で満たされるのを
待つしかできないんだと思うよ
あなたがやっていることは、果てしない母親の補完作業だよ
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私は小学校の頃、異常にもぐら探しをしていました
何度かブログにも書いたかと思うのですが
『なんとかしてモグラに会わないと・・』と
毎日、毎日、物干し竿を持って(長い)
何故か山を探しておりました
あのモグラに会わないと・・といった感覚は
解離しかけていた自分と、早く話し合わないと
分裂してしまうという危惧感の現れだったのかもしれません
実際、その頃
盗癖がひどくなり、問題行動が多くなった時期でもありました
モグラの子は
とても暗い所でヘルメットをかぶって
ずっと地中を休みなく開拓してきた人生だったようです
モグラの子の地中でのお話はまだまだ続きます
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