遊びに師なし 

以前にお知らせしたと思うのですが
ブログの更新頻度が減らしています

7年余り3日に1回の頻度で書いていたものが
このところ5日から一週間に一回などの頻度になっております

 

それには理由がありまして
休めるようになってきたことと
実は絵が描けるようになってきたのです

絵に没頭してしまうと、それこそ時間を忘れてしまう

絵が描けるようになってきてからというもの
私は『幼少期の私』に戻ってきてしまうことが多くなりました

幼少期の私は、どちらかと言うと自閉的で
スーパーバイザーからも、その傾向あるよと言われていたのですが

それが、もう、ものすごい勢いで戻ってきたと言いますか

まず、集中すると
何も外部の音が耳に入らなくなる

こだわりが強くなる

五感が過敏になる

見ているようで、違うものを見ている

興味のないことに対してはどんなに頑張っても集中出来ない

 

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仕事の時は不思議と『仕事モード』にすぐなれるので
これは心配なく過ごしているのです

しかしブログはですね
仕事の時間外、カウンセリングが終わった後の『仕事モード』が外れた時に
いつも書いていたので

プライベートの時間になると
もう、頭が『絵』のことでいっぱいで『仕事』に気が回らない

 

困ったなあ・・と思っているのですが
これも過渡期なのかもしれないし
また変化するかもしれないので、しばらくお許しください

 

 

仕事は好きなのです

心理も精神医学も大好き、心の不思議さも大好きなのですが

いかんせん
30年ぶりに『絵の感覚』が戻ってきつつあるので
バランスを取るのが難しいのです

 

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さて、昔から予々『絵の仕事をしてみたい』と言っていたけれども

10代中頃から全くと言っていいほど絵が描けなくなり
筆も握れなくなっていた状態の自分が

何故、いきなり今になり絵が描けるようになってきたかと
自分を振り返るのだけれども

 

実際一番大きかったのは、やはり『自分の子供の頃の記憶』に
ダイレクトに繋がれたからだと感じています

その話は大きくなるので
いずれまた今度ゆっくりするとして

 

脳は繋がっている
と カウンセリングをしていて
クライエント様とその周囲の方達との関係をよく見るのですが

『人の動き』は人智を越えるところがあります

 

私の息子と私との関係性の話
息子が絵を進路に決めたこともあり

息子の動きは
明らかに
私にさまざまな影響を及ぼしてきていました

 

ずっと息子に対して私が決意していたことは
『絶対にアドバイスはしない』と言うこと

導かない
誘導しない
押し付けない

これを守ることは
親としては、本当に試練という期間でしたが
グッと堪えて、ただもう見守る

荒れても、何されても、堪える

色々大変でしたが
堪えて堪えて我慢して

そうしたら、いつの間にかものすごく大きくなっていました

アドバイスしない親のことを、ある意味『当てにならない』と
息子も見限ったのでしょうか

お互いに
本当に巣立ったと言えるんではないかというくらいまでにはなった

 

そうしたら
絵の感覚が戻ってきたのです

おそらく自己分析的には
『もう、子供の頃の感覚を戻してもいい』と
全部の私が納得したからかもしれません

私が『親でいなくていい』となった途端に

息子が(娘も)『親を親として見なくなってきた』途端に

私の中の私が勢揃いした感じなのでしょうか

 

私が、自分自身の母親を見限り
毒親の呪いを見破って

そうしたら、孫である娘、息子たちも徐々に親離れをしていき

私も子離れをして

それぞれが『個』として生きる覚悟ができ始めたらば

娘も息子も
どんどん手を離れていき
そして、どちらかというと『人間同士』の付き合いができるようになってきて

人間同士の付き合いができるようになったらば

私の中の『分断されていた私』が私の中でつながり始めて

小さいな頃の記憶が出てきて
そして絵が描けるようになってきたのです

 

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絵が描けるようになりたいという目標に向かう道程で
『心理』の仕事に出会い

心理の仕事をする中で
人生の『不可思議なこと』を少し垣間見れるようになってきました

もしすぐに絵が描けたら
これほどまで『心理』にのめり込むことは無かったような気がします

 

ちょうどいいタイミングで
『絵』の扉が開き

そうしたら『心理』の仕事がもっと展開できる可能性があると
わかり始めてきました

 

それは何かというと『遊び』の大切さが心理には不可欠なのだということ

『遊び』は好奇心と自己表現と自由が尊重されている『場』であります

そして魂的なものが解放されている場所でもあります

その『場』こそが
いかに『心』と『脳』と『精神』に大切かということに
本当に腹の底から気づくことが出来たのは

カウンセラーとしての修行の長い道のりがあったからこそだと思っています

 

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簡単にざっと説明をするとこんな感じなのですが
実はもっと、これに関しては多くの人が関わってきていてくれました

そしてその、ほとんどの人は
実は『無自覚』に関わってきていてくれていました

あの人が、あの時 あの人にああ言ってくれたから・・

あの人が、あの時に あの人に、ああやってくれていたから

あの時、あの人の動きが今、この人を動かしている

その
動きは
まるで果てしない遠くから
たゆたってきたもので

まさか、ここで このような働きを及ぼしている なんてことは
ご本人の方々も気がついていないのだろうな

いや、私もまだ気がついていないことはあるだろうな

と思うのです

その時は、ものすごくマイナスやネガティブに感じられた出来事が
実は伏線だったことの多さよ

 

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カウンセリングをしていると
『目の前に立ちはだかっている出来事』が実は『幸運の扉』だと
気づきにくいということはよくあります

不幸なことすら
何かの伏線だったりもするということを

私はこれでもかというほど、その『からくり』をよく見てきたのに
自分の事となると、なかなか気がつけないものです

 

鬱だとかパニック、症状の数々も
実は伏線だということはよくあります

なので、ネガティブなことを切り捨てないということ

それも受け入れつつ
模索していく中で、次の段階が準備されていたんだと
いつもクライエント様を見ていて感じるのです

 

 

遊びといえば
個人的な遊びもよいですが

『劇』をするのもいいなあと思っています

毒親育ちの方のセラピーとして
親にいえなかったことを『劇』の中で再演することで
ものすごいカタルシスが起きるということがあるようです

 

また、自分の『分身』を作るという創作も
かなり面白いと思われます

心の中の色々なパーツを絵でも、粘土でも、ぬいぐるみでもなんでもいいので
名付けて対話を続ける

 

あるクライエント様は
自分の心の中に色々なパーツをそれぞれにお作りになられていましたが

その人形たちが
勝手にお話を始めるのです

『怒りんぼ』は怒りながら

『泣き虫さん』は泣きながら

『かなしみさん』はシクシクしながら

『意地悪さん』は横目で見ながら

それぞれのキャラクター目線での出来事を話したり
相談にも乗ってくれるそう

 

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そういえばスーパーバイザーから禁忌とされていた『夢診断』がありますが

やはり夢とは無意識に落とし込まれた記憶の数々が
出てくる場だなと思うのですが

子供達が母親離れを始め

そして私自身も『自分のポジション』を把握していたのだけれども

ある日朝起きたら
ものすごく頭が痛くて

その痛みを恐れずに言語化してみたらば
思わぬ言葉が出てきました

それは長年、先生や高之瀬から言われてきたことで

でも自分では否定してきたことだったのですが

ようやく、それを『思い出した』というか
繋がったと

その日の早朝に感じたのです

なんだか一つの時代が終わったようだというような感覚。

 

そしたら
その10分後くらいにピロンと音が鳴り携帯を見ると

今日本にいない娘からメールが来ていて
『お母さんが死んだ夢を見た』と言うのです

 

夢診断では『親が死ぬ』という夢は
『親離れ』が進んでいる証拠といいます

実際にこれは
どの方のケースでもよく見られる夢。

私が、今までの壮大な催眠からようやく抜け出したと自覚した朝に

日本を離れた遠い異国の地で
娘が同時刻に示唆的な夢を見たと言う不思議。

 

繋がっているのだなと思ったといいますか

親子の繋がりが健全になってきたのだと
娘からのメールでもなんとなく確信したのです

 

しかも娘の見た夢は
それだけではありませんでした

もっと示唆的な、私と、私の母親とのこと、つまり3世代分の夢を見たのですが
それはまたいずれ他のブログで書くとして

夢というのは
そこから啓示的なものを受け取ろうとしすぎると
あまり良くないような感覚を受けます

どちらかというと
『答え合わせ』的なものとして受け取っておくといいと思います

しかも無意識からのものですから
データとして読み取るまでに
まだまだ時間がかかります

まずデータがそんなに多くはないので専門としてやっていくつもりはないですが

でもユングや河合隼雄先生は
『夢診断』を好んでいらっしゃいました

無意識の領域を専門としていらっしゃる方は
ここは少し齧るのかもしれません

(が 私には荷が重いので診断はできません)

 

カウンセリングというと
障害や症状的に『しんどい』感覚や『辛い』感覚を
どれだけ緩和するかに気が向いてしまいそうですが

しかし
その症状や障害と言われるものが

実は『サイン』だったとわかり

その症状や障害を
ある意味『自分の一部』として受け入れると覚悟を決めると

症状に振り回されなくなり
障害に阻まれることがなくなったりするという

まるで禅問答のようですが

しかし本当に禅問答のようなものがカウンセリングなのです

 

禅問答というものが
私は大好きなのですが

禅問答は『頭で考えると解けない
でも腹で感じるとわかる』

といったようなものです

 

私たちは正論や常識などのいわゆる考えることで
全てに答えを出そうとしていますが

世界にあるあらゆる謎は
ほとんど解けてはいません

例えばなぜ私たちは生きているのか という問いでさえ

誰しもが納得するような答えを
論理や常識からは答えを出せてはいません

でも
この問いも
ある意味常識に捉われない『遊び心』に通じることで
実に明快に答えを感じられたりするものなのです

 

 

そんなこんなで
最近は新しい『遊び』のニュアンスを含めたものを模索しながら
カウンセリングをしています

心とは相反するものに引き割かれてしまいがちなものです

相反するものとは
二項対立であり
それは善と悪
白と黒
天使と悪魔
男と女
大人と子供
暗いと明るい
太陽と月
騙す方と騙される方
加害者と被害者

それらを完全に分けて分断することにより

昨今の『症状』はますますその苦しみを増してきているような気がします

 

分断されたものを一旦は全て一括りに
カオスにして

そしてそれを丸ごと、まるッと受け止める『器』を一緒に作っていくことが大事で

その『器』は遊び無くしては
創れないなと感じます

その『器創り』こそ、カウンセリングの醍醐味なのかなと思うのです

   

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