ほんとうのさいはひ

私は小さい頃、思ったように身体が動かせない子供でした

 

まずエスカレーターの乗れない

何度も乗ろうとするのだが
あのタイミングに足が動かない

エスカレーターはどんどん段差が動いていき
上へ下へと進んでいき

自分の足元からは、また新しい段差がどんどん出てきて

目が回ってしまい

身体が固まってしまうのです

 

母はそんな私に苛立ち、早く早くしろと急きたてるから
余計に緊張して恐ろしくなる

 

 

そんな私に愛想をつかし
母はよく私を置いて、そのままエスカレーターに乗って行ってしまうものだから

よく私は泣きながら
エスカレーターの前で立ち尽くしていると

知らないおばさんが声をかけてくれて

手を握ってくれ
一緒に乗らしてくれることが多々あった

 

その中でも覚えているのは
ある時に
いつものように母も父も、笑いながらエスカレーターに乗って行ってしまい
地団駄を踏んでいる私の後ろから

またも知らないご親切なご婦人が

『可哀想に・・大丈夫よ
一緒に乗りましょうね』と言って

手を握って乗せてくれて

その後、一緒に降りた私に

『頑張りなさいね』と言ってくれたこと

 

実は今のこの歳になっても
エスカレーターは少し緊張して
一回段差を見送ってから
新しい段差の速さに、合わせないと乗りづらい

階段も、もちろん苦手で
階段を眺めながら降りている最中に
どっちの足を出しているのか、把握できなくなってきて

変な動きをしてしまい
転げ落ちそうになったり
蹴躓いたりなどはよくある

 

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小学校の時なども、鉄棒や、走ることも、自転車も縄跳びも
とにかく遅い子供でした

ガリガリで、顔色も悪く、その上に身体が動かないものだから
よく『幽霊』と言われていて

もちろんあだ名も『幽霊』でした

 

周りの子供が、どうしてあんなに
弾けるように動けるのか分からなかった

ものすごく練習しても人並みにはならず
なんだかなあ・・と思っていました

いつも何か重いものを纏っているような感覚で
うまく身体と連結しない

 

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だから、何度も想像したものでした

あの子みたいに走れたら、もっと楽なんだけどな

あの子みたいに鉄棒できたら楽しいんだろうな

たくさんの友達に囲まれている世界

上り棒の上や
ジャングルジムの上から見える世界

そんな世界は
いったいどういう風に見えるのだろうか

 

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子供を授かったとき
私は自分の遺伝子が、なるべく受け継がれませんように
と願ったものでした

 

出てきた子供たちは
成長するにつれて

身体がとても健康な子供になっていきました

運動も飛び抜けており
運動会ではいつも目立つような子供でした

 

最初の数年は、そんな子供たちを見て
心底ホッとしていたものでしたが
徐々に変わってきたのです

それは
子供たちが、『目立ちたくない』という願いを持っていたことです

 

運動神経がいいから
人気があるから

という基準で、なんやかんやと選ばれるということを
非常に苦痛に思っており
運動会や、発表会などの前日はいつも具合が悪そうでした

 

私は不思議に思ったものです

色々出来るということをもっと楽しんだらいいのに・・と。

どうやら世界はそう単純ではなさそうでした

何かと注目されこそこそ言われる

息子は、学校などで廊下に貼り出される写真の中で
1人で写っているものなどを

参観に来たママ友たちが、『プロマイドだと思って買っちゃった〜』や
『娘が欲しがってたから買っといた』
などと聞く度に

顔を背け俯いておりました

 

人気があるっていいことじゃない?
と訊くと

なんだかとても気分が悪いんだ

と答えておりました

 

子供たちは、私が幼少期に憧れていたものを全て持っていたような
子供たちでした

でも、なんだか様子が違う

私自身はその時は、肩の荷が降りていて呑気にしていましたが
でもこれらがその後に大きく影響してくるとは思いませんでした

 

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その後子供たちは
『洋服も地味なものがいい』
『目立つことをしたくない』

子供たちに言わせると
『人から注目されるということが気持ち悪くて仕方ない』
と言うのです

 

そして結局
子供の1人は、高校を入学して一週間で
その注目が原因であっさり高校を辞めてしまいました

 

ぽつりぽつりと話すこととしては

『外見や運動神経がいいなどと言うことで
絡まれたり追っかけられたりして

それに応えなければと、思って
デートをしてみたりもしたけど

周りの人たちが、本当の自分ではないところで興奮している感じが
耐えきれないんだ』

と言っていて

そうか となり
こちらも特に引き留めもせず
あっさり高校を辞めてしまうことをOKしたのです

 

それから子供は外見をまず
コンタクトから眼鏡をかけるようになり

顔を見られないようにして

髪の毛で顔を隠すようにし

洋服は、同じ色のものだけしか身につけないようになり

まるで自分を隠すような生活を始めました

 

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私は不思議に思ったものです

私が小さい頃に憧れていたような子供だったのに
なんで、そこを嫌がるのだろう

そこは素晴らしい世界ではないのか?

もちろん、スーパーバイザーにも相談しました

 

私が原因なのでは?
私が、無自覚に子供たちにプレッシャーを与えていたのでは?

 

でも答えは違いました

 

『本当のさいわいを探しているんでは?』

とのことでした

 

本当にさいわい?

 

 

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『本当のさいわい』と言う言葉で思い出すのは宮沢賢治の銀河鉄道の夜です

賢治は『さいわい』を『さいはひ』と書いていましたが

賢治自体も
沢山書いていた本の中に
その『さいはひ』を求めていました

 

『銀河鉄道の夜』の中でも主人公の2人の少年は

『ほんとうのさいはひってなんだろう』
『僕わからない』

というやりとりがあります

 

さいはひ

自分の幸い

それはなんなのだろう

 

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子供の頃は
私の鬱屈とした他者への憧れと、自分自身への欠損感は

『あの他者のようになれば、私は解放されて晴々とするのだ』
という
ものに変化していきました

 

他者のようには、もちろんなれなかったし
今もそうですが

 

でも、その憧れだった『他者』のような子供たちを育ててみて

『他者』にも他者なりの苦しみがあるのだと
観察していて感じ、

私の中の、何かが
『人により、それぞれに憧れるものは違うもかもしれない』ということと

『それぞれに幸福は違うのだな』という
ごく当たり前のことを理解しました

 

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今の所の、私の中の『ほんとうのさいはひ』は
『没頭できる』ということです

 

没頭できることは
・考えを巡らすこと
・絵を描くこと

内的な世界に心置きなく没入できる時間があると
心底ホッとします

外界と遮断された自分だけの時間があると落ち着きます

 

自分の内部から湧き出てくる感覚だけを
追い求めていくと、それは『何か』になっていて

何かとは、言葉だったり 絵だったり
風を感じたり
想像できることだったり

そういうことを、ゆっくりと味わう時間を作りたい

 

『感覚』とは湧き出る泉のようなものです

源泉のようなもので
それは人、それぞれによって違います

30度の気温でも
暑く感じて不快な思いをする人もいれば
暖かいと身体が緩む人もいます

感受性=感覚といってもいいと思うのだけれども

その感受性も感覚も
全然人によって違うのです

 

人から羨まれるものをもっていたとしても
裏では人知れない苦悩があるのかもしれない

クライアント様のなかでも
『羨ましがられるもの』があるかたは大勢おります

 

しかし ほとんどの方は
もともと持っているものに無自覚であり

もっと違うものを欲していたりすることが
よくあるのです

 

自分が、自分の『あるもの』に対して
無価値だと思っていることもよくあります

隣の芝は…とはよく言うものですが
隣だけがよく見えてしまうのは、何故なのでしょうか

こちらが、カウンセリングで
『あなたの強み』を申し上げても

うなだれて、力なく俯く方も大勢おります

なかなか、難しいものだなと思うのです

 

そんななかでも
他者から判別されない『他者を介在しない喜び』を
持っているということは
ある意味、自分を支えるものだなとおもいます

個人、自分だけで出来る楽しみを探してみるというのも
カウンセリングでの大事なひとつであります

 

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