小さな頃
私の周りは
いわゆる身体障害者と知的障害者がいて
日がな ずっと ずっと
リハビリの姿を眺めていました
呻き声をあげながら 一歩 一歩
進む姿や
ご飯を食べる練習をするリハビリ
喋る練習
声を出す練習
頭に 皆 ヘッドギアをつけ やっていました
ずっと それを眺めながら
私は
なぜ そんなに一生懸命なんだと
いつも泣きたかった
痛そうに 苦しそうにしている人たちをみて
生まれてきて
なんの振り分けで この運命になったのか
と
神を呪っていました
現に 母親は 私達 兄弟を
「業(カルマ)」とし、
これは祈れば 消えると
祈れば治ると 時間さえあれば祈っていた
トラウマ治療をしていると
程度の差はあれ
皆 割り切れない思いを抱えて
ここに来ます
最大限 皆さま
努力されて やってくる
そして
最後 自分が生きることが 罪なんだと
そう 無理矢理 抱えて
いらっしゃる方がたの
その力強さに
私は 眼を見張ります
今まで 誰をも責めず 自分を責めてきたから
ここにいらっしゃったんだな
と 思うのです
しかし、そこの強さと
しなやかさよ
レジリエンスという言葉がありますが
逆境により身に付けられた才能ですね
その美しさといったら
凄いです
いま 私に
現代催眠と 瞑想を教えて頂いている先生が
先日言っておりました
「不幸も幸せもないのだと思います
目に見えるそれは
命の表現 と 私は思うのです 」
身体が何を言いたいのか
命が何を訴えたいのか
魂の声は誰に伝えたがっているのか
…
私にはジャッジは出来ませんが
一緒に耳を傾け 眺め 涙を流し 笑いあい
そして それを 信じることは出来ます
現代催眠の
お爺さん先生の無意識がいつもいう言葉で
私が気に入ってしまったこの一節
「私たちは ひとつひとつの波であり
波 は海で繋がっていて
だから 私たちは 海でもある
そして 波は 海のちから によって 湧き上がるのです」
いつも それを見せて頂き
ありがとうございます
乙原