私の好きな詩であります
雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下したのを!
野面(のづら)にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
・・・おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが・・・。
詩集「北入曽」より
〜〜〜〜〜
最近 ふと この詩をよく思い出します
吉野 弘 氏の詩であります
虹が大好きで
いつも 雨上がりに虹を見つけると
なるべく いい位置から眺めようと
ビルを登ってみたり
他の 窓を探してみたりするのですが
いつも その虹 の麓は
どうなっているのか と考える
一度だけ とても近くに
小さな虹を見たことがあり
触れてみたが
何か 感触もあるわけではなく
それに 触れようと パタパタと手を動かしてみたが
なんだか 本当に
雲を掴むがごとく
光ってのは 掴めないもんだなぁと
しばし ぼんやりしたが
何故 このところ 吉野さんの詩が
頭にふと 浮かんでくるかって
つまるところ
幸福な空間に在る その 虹の中に抱かれた
村人の人々が
なんだか 淡い睡眠のなかにいるような
まどろんでいるような
そんな画が 浮かんできて
やはり 私も
おーい
君の村が 虹の中にあるぞー
と 呼びかけたくなってしまう
しかし その声すら 届かないところで
既に その人は 虹の中にいるのだな と
しかし 何とも言えない
美しいものって
周りからは 全く見事に見えるものなのかもな
とか
しかし
この詩のなかのバスの乗客達、
この人達の気持ちを思うと
なんだか ほっこりするのです
他人が その中にいる というときに
それが あまりに美しかったら
声だして言いたくなるよね 笑
私も 言うよな 笑
…というか
カウンセリング中、それに近いニュアンスは
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