ドーナツの穴を説明するとなると 

ほとんどドラマや映画を見てこなかった私ですが

今年に入って、面白いドラマや
映画が目につくのです

まずは
『春のなんかさ 冬のなんかね』というドラマ。

賛否両論とは聞きましたが
面白いのが来たな!という感覚

(そしてロケ地が、カウンセリングルームから徒歩5分らしいという話) 

と、いうのも『ロマンティック・アセクシャル』が
背景にあるのです 

ロマンティックアセクシャルとは
『他者に対して、性的な欲求を感じない、しかし恋愛感情は抱く』

性的な欲求は薄いけれど、誰かに惹かれる気持ちは確かにある、
そういう在り方を指すのだと、私は理解しています。

そして、混同しやすいものとして
『アロマンティック・アセクシャル』というものがあります

言葉ですと
カタカナで、最初に『ア』がつくという違いがあるだけですが

ロマンティックアセクシャルと違って

アロマンティックアセクシャルは、『他者に恋愛感情を抱かない』
そしてアセクシャル=『性的な欲求も感じない』

という人です

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性的欲求がないのは両方に共通しますが

『恋愛感情を抱くか、抱かないか』

ということで
ロマンティックか、アロマンティックか
という分類がなされるわけです

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主人公は『ロマンティックアセクシャル』だと自覚がありますが

(これも、もしかしたら主人公は
 アセクシャルロマンティックなのではと思う節があるけれども)

性的な欲求が虚ろな故に

自分に好意を向ける人に
自らの身体を差し出すことに抵抗がないのです

自分のことを 
他者目線で(欲望されて)やっと理解できる・・と言ったところでしょうか 

だから周囲の男性は翻弄されます

肉体関係には、すぐ至るのに
どこか主人公との『心の交流』が空虚な感じがするので

周囲の男性は、相手の心に踏み込みたいのに
『何に踏み込めばいいのかわからない』 

この、空虚な感覚を
主人公のご本人も自覚はしていますが

言語化が難しいところ
・・・だからか、主人公は作家という仕事を通して
自分の空虚さから目を逸らさないのですが・・という話。

このドラマの秀逸なところは
主人公のアセクシャルなところの演出として
『服装』が妙に当たっているような気がするのです 

おしゃれだ・・というのもありますが

私が出会ってきた範囲では、
服装にも「身体から距離をとる」感じが出ることがありまして

それが、このドラマでは妙に上手く演出されているなあと感じるのです

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カウンセリングには、実はこう言う方達はたくさんいらっしゃいます

悩みとして、実際にお話されるということもありますが
どのかたも、自分の内面の説明に苦労されているのが伝わってきます 

こちらの言葉が、クライエント様を追い越さないように

静かに様子を見つつ、

ご本人が言葉にできない『実体のある空虚さ』をどうするかと言うことを
一緒にみていくのが大事なのです

ドーナツの穴を、ドーナツと比較しないで、具体的に説明するくらい
難しいと思うのです 

実際に、恋愛ができるようになるとか
体裁を整えると言うことでは解決しないと感じます 

むしろ
体裁だけを整えるということは
ご本人が感じている『実体のある空虚さ』を際立たせることになるなと言う感じがします

しかし、ご本人の中では
『空虚』なだけではないのです

むしろ焦燥感を感じているし
そしてものすごく渇望しているものがあるなと感じるのです

それが、もしかしたら
これからドラマで描かれるかも・・と言う期待も込めてですが

まず、この方達は
『違和感』をものすごく敏感に察知します

相手の『心の揺れ』を感じ取ると言うことにかけてはかなり早く察知できるのです

そして、もし『建前』をいっているなと思ったならば

そこに対して
ただ、『居続ける』

私の見る限りでは
『相手の世界観』をものすごく感じ取る方たちなのだなという印象があります

しかし、こういった関わりはひどくご本人様も消耗させることになるので

相手に対して、ある程度の期待がないと
積極的に関わろうとしません

相手が『本当の本当の本音』を言うまでは
ひたすらに膜(境界線とも違う、あえて膜という言葉にします)
を張り続けると言うことをします

またこういった方達の違和感が作動するポイントは
『建前』だけでなく
『社会に迎合させられてしまった考え方』なんかも含みます

これらの建前が、取っ払われた状態になって

初めて『きちんと向き合える』と言うことの
スタートラインに立つのです

この(ア)ロマンティック・アセクシャルは
女性だけではなく
男性も多くいらっしゃいます

生育をお伺いすると

私のみてきた限りでは
『本音と建前』の部分においての『トラウマ』があるような気がするのです 

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昔は『男性』であるだけで
『女性』であるだけで

お互いに『こうであれ』と言うイメージがありました

そして、お互いに、相手から持たれたそのイメージを『崩さない』
と言うことで
成立してきた世界観があったのだと思うのです

しかし
『こうであれ』のイメージは

時に暴走して、『役割の固定』という弊害も生み出してきました

父親が暴力的で、支配的
そして妻を蔑ろにする家庭で育った息子は

自分がそうならないようにと

自分を『自制する』と共に
新たな同性のモデルを探します

いいモデルに出会えた方は幸運ですが、確率は低く、難しいものです

すると目標としたい大人のモデルがいないままに
ただ、
『自分の支配性などを封印する』という、ものすごい負荷を自分にかけるのです

支配性は、裏を返せば
リーダーシップや、頼りになるというところですが

人間は、そんなにすぐに細かく調整をできるものでもなく

また、その調整は
思春期前から始まるので極端なものになりがちです

その結果、ご本人は
自分の性(そして性格)に
どこかしら違和感を感じているまま生きていくことになりますし

またいつも、自分の中の『何か』を制して振る舞うようになります 

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女性も然りです

『男性に守られるもの』とか

『可愛がられないと生きていけない』などと刷り込まれると

自分の中にある、本来の『独立性』『強さ』みたいなものを
封印してしまうのです

また、現代の女性の特徴としては
『男装』がある程度 社会から許容されているので

自分の性に違和感がある場合
男装などをして
自分の内部の違和感を中和するということもあります

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なんにせよ
このドラマの空気感が

セリフの長い感じと、

『話したいのに、話せない』という部分が
きちんと無言のままであるところ、

そして
いつも私が『クライエント様が話せないことに、耳を傾ける』
というカウンセリングと、本当一致するなあと思うのです

とても言語化しづらい部分が
ドラマになってきているんだ・・!と
思うと同時に

このドラマに対して
嫌悪感を感じる人も多いのだろうなあとも思います

(自分の感覚が性と一致している方は、苦手かも)

しかし
性とは、ものすごくグラデーションであって

そして年齢や環境によっても
その色合いが変わるものだなと、カウンセリングをしていて思うのです

このドラマを観た方が
どのように受け止めたか、気になるところです 

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また、もう一つの映画は
これから公開される『わたしのすべて』という洋画です

あらすじは

パリ郊外に暮らすシングルマザーのモナは若くして授かった発達に遅れのある30歳過ぎの息子ジョエルをずっとひとりで育ててきた。ジョエルは障害者のための職業作業所で働いている。互いを支え合い、いたわりながら暮らしてきた二人。ところがある日、モナは、ジョエルと同じ施設で働くオセアンが彼の子を妊娠したと聞かされる。二人の関係を何も知らなかったモナは動揺し、母子の絆も揺らぎはじめる―。

というもの。

障害を持った息子に、子供が出来てしまった

息子の相手も障害者。

さて、その時に
どういった未来をそれぞれに望むのか

家族はどう受け止めるのか 

そしてそれを応援できるのか

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わたしの家族も、
その問題に直面したことがありました 

息子(わたしから見たら弟)は、知的障害があります

そして、弟は恋多き男でした 

いつも出先で一目惚れして
なんならストーカーしてしまう

なんなら親戚の娘さんにも、しつこく付きまとう

顔を5センチくらいまで近づける 

本当にこれには、家族も頭を抱えたものでした

一度、弟が美容師さんに恋をしてしまい
毎週ヘアカットをしてもらいに行くと言って聞かず

切る髪もないくらいになり

そうしたら頭を洗ってもらいに行く・・と。

恥ずかしい!!と怒り心頭の父親と

呆れた顔で、しかし どこか焼き餅を焼いている母と

関わりたくない私と

そして能天気に、携帯で撮った恋の相手の写真を
私の娘に、何度も見せる弟

『ねー僕の好きな人、見たい?』
と弟は、私の娘に訊けば

娘は『見たくない』と答え

その答えに『え〜〜〜!?』と驚く弟

(そりゃ、興味ないだろうよ・・)とそのやりとりを見ながら
私は思っているのですが

弟からしたら
『僕のことをみんな知りたがっている』という世界観で生きているので 

それを指摘できない、
言っても伝わらない、なんとも言えない苦しさを
いつも感じていたよなあ・・ 

言葉にならない、あの空気だけが身体に残ってしまったのか

弟の恋というものに対して

大きく構えていたほうがいいのか
細やかに寄り添った方がいいのか 

いやいや、お相手の迷惑をまず一番に考えなければ・・ 

同時に幾つもの感覚が立ち上ってきていて 

少し複雑な感覚の断片が同時にパラパラと思い出されるのですが

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でも正直、久々に思い出すと、少し胸が詰まる感じになります 

怒りたい私と
見捨てたくない私と
恥ずかしい私がいるのかもしれません 

こういった、映画やドラマは
どのひとに感情移入をするかということで
非常に心が揺れたり、響いたりするものですが

これを書いていても

私の立ち位置は、いつも揺れているなあと感じます

かつての自分の人生で
『話せなかった』出来事が、疼いてくるからでしょうか

当事者なのか

鋭く斬り込んでみたみたほうがいいのか 

傍観者、観客として、エンターテイメントとして見ていいのか 

私はいつも狼狽えてしまうのです 

いずれにせよ 

未だ、言葉にならなくて 地に足がつけない

というものがあるのだなあと

まるで古びた、昔のおもちゃ箱から
何かが出てきたような、そんな気持ちにもなります 

2026、今年こそは少し
静かに過ごしてみたいと思っていて

『平穏に過ごしてみよう』という目標が始まったばかりなのですが

映画に、ドラマに、と 

世界は、面白く動いていて、静かに過ごすつもりのこちらの都合を
簡単に飛び越えてきます 

そしてかつて
『言葉にならなかったものたち』が
まるで、海底から、泡が上がってくるかの如く
呼吸を始めているんだなあと不思議な気持ちになります