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どう生きるか
小さい頃の夢として
『絵描き』『小説家』『看護師さん』『旅人』なんてものがあったけど
どれもどうなれば良いのか分かりませんでした
明確な夢を持たないまま
なんとなく生きてきてしまったのだけれども
さて、今の仕事も
『こうなろう』と思ってなったわけではないのです
自分でも時々
『私は一体何をやっているんだろう』と、思う時があります
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『目標のような目指すものを一番にうちたてる人』と
『目標のようなものを立てない(もつことができない)人』
がいるなあと
カウンセリングをしていて思うのです
私の中学高校の周りの子達は
それはもう、きちんとした『目標』を持っておりました
中学で一緒になり
いつの間にかそのまま高校を持ち上がり
そしてふとその先の進路となったときに
皆んなが明確な夢と目標を持っていることに
私は愕然としたのを覚えています
皆んないつの間に、そんなこと考えてたんだ・・!
と
驚いたわけです
高校の時なんぞは
それこそ合コンやらなんやらと
平成のギャルだった世代で、遊び狂っていたのに
いつの間にかシフトチェンジした周りの子達は
大学進学へと急に舵をきり
そして見事に自分の人生を歩くための一歩(いやこの時点でもしかしたら4歩かも5歩かもしれないけれども)
自分というものを
きちんと行きたい場所へと『運ぶ』ことをしていて
『こりゃあすごい』と感心してしまったのを覚えています
しかし
私の良いところとして
あまり焦らないということがあったのと
特徴として何かがあると『観察をする』ということを
まずは、してしまうことから
周りをよくよく観察してみると
皆んな『親』と、何かしらの目標を立てている事が判明して
なるほどと思ったわけです
皆んな子供の頃から、親と
『将来の夢』として話しあってきていたのだわ
親の仕事だったり
親の思想だったりと
そういったところから、
『ゆくゆくは自分もこうやって生きていくのだ』という
ビジョンが立てやすかったのだと思うのです
さて、そんな中で
私はというと
本当のまっさらさらのノープランでありまして
困ったわけです
高校から配られた『将来の夢』というプリントにも
何もかけずに空白のまま出したら
先生たちから、ものすごく呆れた顔や
怪訝な顔をされてしまったのだけれども
かといって大学に行く目標もないよなあと言ったら
『大学に行って決めたらいい』と
とりあえずのステージを変えることを勧められたのだけれども
納得しなかった
むしろ、それはやりたくないことだった
そうなのだ
やりたいことというより
やりたくないことは沢山あったのだ
だから
精一杯そこから逃れたのだ
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やりたいことのイメージを持てないという方が
悩んでこちらに来られるということはとても多いのですが
かといって
すぐ何かやりたいことを掴めるかというと
そうでもないのです
その場合には
まず
嫌なことから全力で逃げろ!ということを
カウンセリングでしていくことがあります
しかし逃げるということを選択するにしても
『自分は何を嫌がっているのか』ということに
気付けないほど感覚を奪われている方が非常に多いのです
これは現代病の一つなのかもな・・と感じるのですが
『嫌なものはいや』という感覚を
潰されているなあと感じるのです
嫌なものが、嫌だと感じられないと
自分の好むものがわからなくなってくるようだなと
クライエント様を見ていて感じるのです
さて、私はとことん逃げ切ってしまったら
何にも無いような状態になってしまったのだけれども
そこからの逆転劇はすごいものでした
私の人生は、この逆転性がよく現れるのですが
どん底まで行ってみたらば
そのどん底から
押し返されるということがありました
どん底といえども
色々な底があります
私の体験した『底』は、底ではなく
捻れて反転していくという性質があったのか
何度も何度も
反転した底に触れるという体験をしたのですが
その結果分かったことは
『底』は底のようで、底ではない!
底は底のようで
実は
次元が変わるところでもあると言いますか
不思議なところなのです
心理の言葉で『底つき』というものがあります
それは『極限まで困り、にっちも察知もいかないと悟ること』で
アルコール依存症などの依存症の方は
もう最終まで困るという体験をすることを『底つき体験』といい
否認していた自分に気づき
『自分の本当の姿』がわかり治療にすすむと言われているのですが
底の、そこに至ると
新たな境地が見えてくるということは多々あるのです
さて
目標を立てるということは
ある意味
自分の土台が感じられていないと難しいものだよなと思います
いわゆる健全な家族に囲まれていると
家族の存在が土台となり
自分の行きたい方向に進んでいけるのでしょうが
土台がない場合には
自分で、土台を探しにいかないとならない人もおります
その土台は
必ず底にあるし
何かしら存在します
そして、そこは恐れるものでもないのです
カウンセリングという仕事につくにあたり
私自身土台に触れる 土台を探す必要がありました
しかしそこにいくのは
私1人だけでやることでした
それは『感覚』の世界なので他者は入れないのです
しかしどの土台に触れた瞬間に
いきなり枠組みが立ち上がり
そしてみるみるうちに何かが立ち上がっていくのを
私はクライエント様に何人も見て来ました
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そのあたりのことは、ブログでこれまで沢山書いているので書きませんが
面白いことを一つ☺️
それはどん底というものは通過できるのかもしれないということです
きちんと、どん底まで行って
そして尚且つ、そこを通過した人は
精神構造の形が独特なものになっているのです
私も、通過した底がいくつかあるのですが
その通過した後の形状は
『クラインの壺』のようなもので
ところどころユリの花のような形状というか、なんというか。
精神構造が独特なのです
またこの構造を持つ方は
いわゆる第六感的なものを後天的に取得しているようでもあります
構造を持ったから取得したのか
取得するために
この構造をくぐる抜けさせられたかは分かりませんが
面白いなあと思って見ています
そんなわけで カウンセリングでは
ご自身の『土台』に自ら触れにいくお手伝いを
(あくまでも) しているのです
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