好きな事がなくてもむしろ平気

『好きなこと』

『好きなことを探す』
『ワクワクすることが本来の自分』

これ、確かにそうなんですが

結構、皆様方それを間違えた解釈をしてしまい
かえって苦しくなっているという方々が多いです

『好きなこと』は
『苦しくてもそれなりに続けられること』と解釈された方がいいかもです。

いつでもハッピーで
苦しむことがなくて
向かうところ敵なしみたいな状況が
『好きなことをしている時』ではないなと思っています

その、いつでもハッピーで 苦しむことがないのは
『快楽な状態』であります

なので

好きなことを仕事にしなければ生きている意味がない と
おっしゃる方がいますが

好きなことをするのはいいんだけども
それを仕事にしなければならない。。と言うわけではないです

好きなことが嫌いになったとしてもやり続けられるというのがそのかたの天職な気がします

そういう意味では
『食らいつける強さ』みたいなものがあると
仕事や活動において、その『好きなこと』は生きてくるのです

『快楽』と『好きなこと』

その『好きなこと』がないと人生を無駄にしているような感じがする
とおっしゃる方もいらっしゃいますが

それは少し『好きなこと』を間違えて捉えていて
『快楽』と『好きなこと』が混同してしまっているのかなとも思うのです

そしてむしろ
『快楽なこと』がないほうが穏やかな日々を過ごせたりもすると思います

『快楽なこと』は『依存』に結びつきやすい

結局、酔いが冷めてしまうと
また『酔い』を求め始めるか
酔いがないのでイライラし始めてしまいます

生きてきた中で
不安なことや恐怖に追いかけられるからと言って
それを『快楽』で紛らわしても

結局、いつも自分についてくる影のように
絶対自分からは離れないのが『根源にある不安や恐怖』です

「なにがあっても『好き』がへこたれない

何故、好きな事をこんなにも強迫的に探さないといけないというような世界になったのか

それは 世の中の扇動の影響なのかなと
思うところもあります

なんとなく『好きなこと』に対して
私たちは 誤解 しやすいなと思うのですが

『好きなこと』って
『なにがあっても好きがへこたれないこと』とも
私は思います

ウキウキ ワクワク ハッピーが続き続けることではなく

障害となるものがあっても
『これはやめられないなあ。。』と言うような
いわば
『業(カルマ)を感じてしまうくらいの吸引力があるもの』が
『好きなこと』かもなあと思います

それ以外の好きとか快適、安心感などの
ウキウキとかハッピーとかワクワクは
『心地いいもの』と定義したら良いかもです

けど生きていて
常にいつでもウキウキさんって言う方っているのかしら。。。

どなたでさえ
やはり気分の浮き沈みは多少はあるのでしょう

身体だって
ずっといつでも同じ調子なわけではない

刻一刻と年老いているわけだから
共に、受け入れがたいものと生きていく『しぶとさ』みたいなものが身についていくといいかもなと見ています

『好きなことをして生きていきたい』にすがってしまう理由

さて私たちが『好きなことをして生きていきたい』にすがってしまうのには
理由があると思うのです

それは『自分を生かしている気がしないから』
と言う沸々と湧くような『自分への欲求不満』がある方は

『好きなことで生きていきたい』と言う欲求に結びつきがちかなと思われます

『この自分を生かしている気がしない』とか
『自分自身の無駄遣い』と言う感覚は
結構扱いづらい感覚です

感覚としては
苛立ちや不安感を伴う感覚に近いですし
焦燥感も覚えたりもします

世間の『眼』を潰して主体性を取り戻す

ではなぜ
このような感覚が出て来てしまうかというと

大概の方は
『養育者や環境に人生の舵取りをされてしまったから』です

これはなぜかというと
『主体性』をなくす教育を施されてしまったからです

私たちは幼少期から
世間の『眼』を常に考えさせられるように教育されてきました

『女の子なんだからいつでも可愛くいなさい』
『迷惑かけないようにしなさい』
『男のくせに泣くな』

いつも私たちを厳しく罰する『眼』の機嫌を損ねないように生きなければならないと
教え込まされて生きてきました

なので
自分の主体性より

その眼からどう見られているか

という恐怖と隣り合わせで生きてきました

この『眼』をどれだけ潰せるかが
カウンセリングの見せ所になります

クライアント様も、それを潰す介入中によく『眼みたいなのがが見えた・・』
とおっしゃいますが
どう潰すかが大事です

ひとによっては
『触手』とかだったりもして
クライアント様とそれを見て『う・・・😵‍💫』となったりします

乗っ取られてそのひとの主体性を奪うものは潰した方がいいです

『自分で自分の機嫌をとる』

さて
話が脱線してしまいましたが
先の話の

この『心地いいもの』は
普段の自分達の生活においては
『自分で自分の機嫌をとる』ということになります

『身の程知らずのものばかりに目を奪われないようにする』とかも有りかなと思います

私たちの周りは
さも、すぐそれが手に入りそうな風情で
広告されていて

それは『眼』たちの仕業でもあり
『欲』をかき立てられるようになっているのですが

人が持っているものばかりに目を奪われていると
自分の中にあるものにいつまで経っても気づくのが遅くなったりします