蜘蛛の糸

罰当たりなお話をします

正直に書きます

嫉妬の概念を 読めば読むほど
聞けば聞くほど

私は
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」というお話を
連想してしまうのです

主人公は カンダタという男とお釈迦様で

ある日の朝のお釈迦様が
散歩のとき
睡蓮の咲く池の下を見たならば

其処は 地獄で
カンダタという 生前は罪人だった男が
血の池で 沈んだり浮いたりしたものだから

お釈迦さまは不憫に思い
生前に行った善いことに ちなみ
蜘蛛の糸を カンダタの上に垂らすのです

その蜘蛛の糸を見たカンダタは
狂喜し

「この糸を登っていけば天国に行ける」と
一心不乱に登り始めるのですが

ふと 途中
下を見ると

自分のあとから何百人もの
罪人が糸を登ってくるところを見てしまう

自分一人でさえ
今にも切れてしまいそうな蜘蛛の糸なのに

あんなに沢山の重みに耐えられる訳がない

カンダタは必死で

「これは俺のものだ
誰にきいて登ってきたのだ
降りろ 降りろ」

その途端

それまで何とも無かった蜘蛛の糸が
カンダタのぶら下がった所から切れ

カンダタは地獄に落ちていきましたとさ

そして
それを蓮の池の淵から
見ていたお釈迦さまは 首をふり

また
ぶらぶらと歩きだしました … というお話

日本人の小学校五年生の教科書に 今もなお
載っている このお話

そりゃあ 日本人の深層心理に
入ってしまいますよね

しかしこれ

「自分だけ 助かろうとする浅はかさ」に
フォーカスした
立派な 「催眠話」なんですよね

スーパーバイズは
「嫉妬は 見捨てられ不安」というケースが
多いという

何に見捨てられるのが怖いのか

お釈迦さまよ あなたですよね
見捨てるか 見捨てないかの 張本人

なんで そこで
蜘蛛の糸を垂らしたんだ

どうして あえて そんな細い蜘蛛の糸なんだ

天国にハシゴは ないんかい

私だって
カンダタのように
自分のあとに続く者を見て

手の中ある 細い蜘蛛の糸を見たならば
震え上がって
叫んでしまうに違いない

嫉妬の概念も
知能指数も
「自分だけ上がっていく」

上がった先に何かがあって
そこは
素晴らしい見晴らしなのかもしれない

だけど 絶対
そこには
また嫉妬が生じるわけで

俺が見た世界だ
私が見た世界よ

そして どんどん
後に続く者が居て 貴方と同じ位置にきたら
どうするんだい

後から来たものが
貴方を追い越そうものなら どうするんだい

一生 蜘蛛の糸を登って生きていくのかい

それなら
私だって罪人で

そしてこれで
また 新たに 「自分だけ助かりたい」という
罪が出来上がってしまったじゃないか

無意識は 必ず その個体を助けるのならば

助かりたいという無意識自体が
罪となるのではないか

そう

これは
支配者さまのお話

お釈迦さまよ
あんたは罪を 新しく作ったんだなと

罪を与えて 救ってみて
また罪が出来上がって 結局地獄に置いたままにする

昔から
カンダタより そんなお釈迦さまに
うすら怖さを覚えていたが

その話が
教科書に載ってしまっている恐ろしさよ

ねえ
芥川さん

それなら
私は
罪人と言われてる人たちと皆んなで

あんた達が地獄といっている
ここを舞台に 楽園を 作りなおしてみるよ

こっちだって 悪くはないんだ

痛いし、怖いけど

だけど ここには
他人を支配しようとは思わない人たちが
沢山いて 皆んなで 生きてるんだ

だから お釈迦さん
そっちはそっちで
やってくれ と思うのです

乙原

 

 

 

 

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