クライアント様からの声
Case47
今、少しずつこんがらかった糸がほぐれて来ている感じがあります(40代・女性)
こんにちは
ご感想をいただきありがとうございます
ご自身の中にある(鬼)の(起源)について
書いていただいたのですね
やるせなく辛い感覚を
課題をやることにより
どんどんと 言語化出来てきているのを
いつも拝見していますが
真摯にご自身に向かいあっているお姿は
とても 美しく わたしには映ります
このあたりは
相手を責めても 満たされず
自分を責めると 怒りがつのり
自分は何が欲しいのか
何を求めているのか
を
ただ ただ
俯瞰していくところであります
自分の (抵抗)に対する
自分の感覚も だいぶ 区別がつくように
なってこられましたね
このご感想をいただいた辺りは
とても もがいてらっしゃいましたが
現在は
落ちつかれてきて
(自分の怒り)が 自分を守るものとして…
つまりツールとして使うような
表現としても扱えるようになってきていますね
今まで 忌み嫌っていた(自分のある部分)が
実は 大事な光だとわかるのも
もう そろそろだと思っています
乙原
乙原先生
いつもありがとうございます
今、気付いたことや感想を書いてみようと思います
私は自分の発する言葉や行動に自信がなく不安で、自分も人も恐ろしく、ビクビクしながら暮らしていました
どうしてこんなに苦しいのか、こんなに疲れているのかわかりませんでした
もしかしたら、一人で生きていく方が、幸せなのではないか、そんな生きる道は無いものかとも考えていた時期もありました
でも、本当の私は、自分を好きになりたかった そして人とコミュニケーションをとって幸せになりたかった、心から笑いたかったのだと気付きました
私が、子供の頃 家族から学んだ言葉や表情や会話はコミュニケーションではありませんでした それは自分の感情をぶつけ合う戦いでした 私は戦いかたを身に付けたのでした
また、 その家庭のなかで生きていくためにどうしたら良いか考えとった行動は、我慢でした 我慢も激しい戦いで
自分も戦っていたのでした
とても怖く苦しいものでした
その家庭で身に付けた 言葉 表情 思考 行動を使って、社会に出ていたのですから
あーそうかと、上手くいくはずはないとわかりました
なにか自分はおかしいと、思い始めたのは、小学生のころでした
そこで私は、近くにいた賢く皆から好かれて楽しそうにしている人のようになれば、自分もそうなれるに違いないと思いそれを光りに生きるようになりました
これが、私をさらに複雑なものにしてしましました
その時、本当の自分は 違うよ そっちじゃないよ おかしいよとささやいていたのに無理やりひっぱっていました
いつまで頑張っても 苦しいし辛いだけでした そのうち あー私は頑張っただけで死んでしまうのかなと絶望的な気持ちになりました
じぶんをコントロールして、人もコントロールしようとして、また反対に人にコントロールされていました
訳もわからず、どうしたらいいのかもわからず途方にくれていました
今、少しずつこんがらかった糸がほぐれて来ている感じがあります
暗闇に針の穴ほどの小さな光が入り その一筋が眩しく暖かく感じます
いままで身につけてしまった生き方を考えると暗澹たる思いがあります
けれど苦しいこともひとつひとつ考えるチャンスだと思い、来たな と思って向き合いたいです
毎回、乙原先生のお話してくださる言葉を道しるべにここまで来ることができました
先生はいつも辛抱強く温かく私と伴走してくださいます 本当にありがとうございます
これからもどうぞよろしくお願いいたします