Case25自分をわかりたくて

クライアント様からの声

Case25
自分をわかりたくて(30代・女性)

 

最初に乙原先生と対面したとき、私の頭の中には、ちゃんと片付けたはずなのになぜかちらかってしまっている部屋の様子が浮かんでいました。実際には床に服を脱ぎ捨てたりしないし、本を伏せて置くなんてもってのほか(本好き)なのにもかかわらず。私はものの散らばった部屋を見下ろしてこう思っていました。まだこんな状態だったのか、と。
そして、ここまで見られてしまうのなら隠すことはないかもな、とも思いました。私の〝部屋〟がどんな状態だろうと、汚いともきれいとも言われている感じはなく、なにより自分が、恥ずかしい、とか失敗した、などと落ち込んだりもしなかったことが新鮮でもありました。

こちらに通う前、他のところでカウンセリングを受けていたのですが、そこで徐々に食生活に気を遣うようになり、アルコールや砂糖などいわゆる世間でよく身体に悪いと挙げられるいるものの摂取が減り、それはそれは身体が軽くなっていました。
私は喜んでいた。だけどどこか苦しい。気づくと、おなじものばかり食べている。なにが欲しいのかがわからず、とりあえず周囲で身体によくないと言われているものは避け、いいと言われているものを選んでいる。そして夜は9時には寝るようにし、朝は5時前に起きていました。寝つきはよくなく、寝ても2時間おきに目が覚めてしまうのですが、なぜか朝の目覚めは悪くないのです。
起きてなにをするのかというと、特になにもしない。早寝がいいとは聞いたが仕事に疲れが出てはいけないので朝活など以ての外という、時間の無駄使いも甚だしい、いったいなにがやりたいのかよくわからない生活を続け、それでも満足していました。

いえ、実は疑問はありました。言葉にならない、感覚だけのノイズに似た違和感のようなものがずっと胸にあって、それはきっと警告だったのだけれど、ヘルシーな生活パターンには結び付けられませんでした。

満足しているはずなのにどうしてまだこんなに苦しいんだろう、と思ったのが、それまでの進路からこちらへ舵を切るきっかけだったのだと思います。
ちなみに、「好転反応」という単語がなぜか思い出せなくなり、ああでもないこうでもないといろいろ検索しているうちにいつのまにか迷い込んでいたのが、こちらのサイトだったのです。

私の実行してきた『健康』や『生き方』は、結局のところ他人のものでした。
私はいつしか、他人がいいと言ったことをさも自分が言いだしたことであるかのように振る舞い、偉そうに他人に話し、そしてつじつまを合わせるために完璧にこなさなくてはと、窮屈に生きてきたのです。
ほんとうに満足していたのなら、その生き方に苦しさも優越感もなかったはずだと思うのです。

振り返ってみれば、これまでの人生の中で自ら選んだものなどあっただろうか…誰かが意味有り気に忠告してくれたこと、強く勧められたことを、やらないと悪いことが起こる、きっと後悔するぞ、という脅迫めいた使命感の元、行っていたにすぎません。あと、やらないとせっかく勧めてくれたこの人に悪いという気持ちとか…
思えば昔から、『これをやらなかったから(やったから)悪いことが起こった』という基準のようなものがあり、私は結局のところ、そこから抜け出せてはいませんでした。

道を示してくれないと動けない。自分で選んだものにまったく自信が持てない。自分の基準が自分の中になかったことに途方に暮れていました。
だけど私は、認められたかった。誰かに選ばれたかったし、好きな人にいちばん好かれたかったし、頼れる人にいちばん手がかかると言われたかったから、他人の意図を探り、自分がほんとうに求めているかどうかは無視してあらゆる求められているであろうことをやり、その様子を見せました。私は誰かの特別でありたかった。それがたとえ明らかに私とは合わないとわかっている相手であっても。

こちらに通うようになってまだ数回ですが、私には、好きな食べ物、落ち着く場所、やりたいこと、好きな人などがよくわかっていないことに、ようやく、心底気づけたのです。
現状に比べれば今までの『気づいた』などただのフリだったんだな…ということがよくわかるくらいの気づきっぷりで、びっくりしすぎて震えます。

私の中には、私の求めていたものではないモノがたくさん詰まっていて、世界の広さがまだよく見えません。それをひとかたまりずつ整理していくことは結構な挑戦だけど、やはり変化をすることはおもしろいです。
また、たくさんのアドバイスをいただいていますが、「やらなくては(あるいはやってはいけない)」という縛りはなく、むしろ「やらなくては/やってはいけない」の窮屈さをを飛び越え、上手く治めるようになるためのステップを教わっているような、軽やかで前向きな気持ちです。
わたしまだ動けるんだ!と、さびついていたあれやこれやが音をたて、ブレて折り重なっているいくつかの自分の感覚の気配がたまにふわっと浮かび上がったり、内面のあらゆるところで小さな稼働感があります。
ダンスであり、整備であり、いろいろな観方が得られる。先生のオフィスはとても不思議な空間です。

まだいろいろ迷いも恐れもあり、また逆に方々に手を伸ばしまくりたい幼い部分もあるので、しなやかに一本筋が通った感じには遠いですが、ちゃんと自分を知る、知りたいという方向を見ることができているんじゃないかと思います。
とくに自分の言葉ではない言葉を使って説明を試みると、なにかが胸のあたりをさっと重く曇らせ、これには我ながら感動しました。私は自分の表現を持っていて、それを出すことを制限したくないんだということがわかりました。

感覚を長いこと埋もれさせてしまっていたため、それを掘り起こすのが興味深くもあり、戸惑いもあり。
楽しみと怖れが入り混じってはいるけれど、それでもやっていきたいです。鬼も蛇もどんとこい…いえやっぱり怖いですけど、でもやりたい。
なんとか乗り越えるはずだという根拠のない楽観的な部分ももっていて、それは先生がついていてくれるし、そして私のエネルギーが元気だとおっしゃってくれたおかげだな、と感じています。
ほんとうにありがとうございます。
これからもどうか見守っていていただけたら、とても心強いです。

 

乙原より

 

こんにちは

カウンセリングを受け始めて
その 始まりにあたってのご感想をいただき
ありがとうございます

自分の感覚

簡単には言えるけども

実は 案外
自分の感覚って 支配されていたり
他人に侵されていたりするものなのです

カウンセリングを進めるにあたり

割と ガチな ミッションがあります

それは
『楽しんでこい!』ミッションです

しかし
皆さま いざ それをしようとすると

身体や 頭のなかに

『そんなことしたら〜になる』

『なんの得になるんだ』

『無駄だ』

などの声が鳴り響き
身体がフリーズしてしまうのです

しかし それを 一旦は 体験していただきます

楽しむにあたり
どれくらい フリーズしたか

自分の感覚への
大切なアプローチであります

カウンセリングは このように
多岐にわたり ミッションが もり沢山です

色々な 宝の地図を片手に
是非 冒険の旅へ ご一緒しましょう

乙原

 

 

 

 

 

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