クライアント様からの声
Case41
これまでと違う、純粋な自分の思いのようなものに触れた、と感じたら、心と身体がリンクして動けるようになり、その数日後が卒業カウンセリングとなりました。 (40代・女性)
こんにちは
お元気でいらっしゃるでしょうか
この度はご卒業にあたりのご感想を頂き
ありがとうございます
こちらから見ますと
かなり状況も 二転三転とされましたが
それすら思考にのぼらないくらい
淡々と 日々を過ごされている感覚になったのかなと
お察し致します
仕事も新たに
外見も変わられ
特に私から見ますと
笑い方が変化されたように感じておりました
周りに 灯りをともすような笑顔
存在が 柔らかく 温かな雰囲気に
戻られたのだと思っております
ご環境にも慣れ
周りの方々が話にものぼらなくなり
ご自身の(感覚の捉え方)に話が集中し始めたときに
ああ ゴールも近いな…とは
思っておりました
カウンセラー側からすると
(少し淋しさ)を感じ始めたときが
クライアント様の巣立ちのときでもあります
どうぞ お元気で
乙原
苦しみのない時を
一度でいいから過ごしたいとの一心で
ユークリッドに辿りつきましたが、
先月末のカウンセリングで「治療は終わっています」と言われ、
「そうかあ」と。
家族は同じメンバーであることも変わらないし、
問題が全て解決したわけでもない。
それでも、恐る恐るではありましたが
自分で自分を生きていくんだ、と
その日のカウンセリングを終えた後、
心の中はフラフラと歩き出したイメージでした。
ユークリッドからの帰りに予定していた場へ行ってみたら、思ってもみなかった場所へ移動することになり、かなり歩くことになって得た情報からは結果として、次にやることが提示された感じでした。
その時も、無意識がこうした、なども特に思わず、ただ「じゃあ、これについて調べてみよう」と思いました。
こうなったら、こうなる、とか思い込んでいたり、自分でなんとかしよう、と思っていた時は、
何も考えずに起きること(無意識の流れで自然に動くこと)が珍しいので、
いちいち反応していたんだと、今は思います。
先月、「治療は終わっています」と言われる前、
カウンセリングの間が2ヵ月弱空いて、
そのうち3週間ほど、切実な願望であり、
そこが行き過ぎておそらく唯一の欲望であった『死にたい』と向かいあい続けました。
こんなにこの思い、感覚しかないのにそれさえも感じることをせずに一体何をしてきたのだろう?
とは思いましたが『死にたい』私を、
ただただ受け入れ続けました。
何十年も私の中にあった私であるけれど、
ユークリッドに辿りついた私が死にたいわけではないので、
ひたすら過去の私に「いいよ、死んでもいいよ」と。
時々悲しみや、怒りがウワーと湧いては去っていきましたが、ほとんど重くなんの感情もわかない日を過ごしました。
仕事に行き、家事をして、子どもたちの用事を済ませ、とひたすら日常をこなし、普段したことがないほど片付けたり、掃除をしたり、ご飯を作ったりしました。
そのうちに全然これまでと違う、純粋な自分の思いのようなものに触れた、と感じたら、心と身体がリンクして動けるようになり、その数日後が卒業カウンセリングとなりました。
この1年の間に、自分では祓うことのできない他人からの支配や念のようなものは、より先生が取ってくださり、脳のダメージの治療もしてくださいました。
それは、これまで何十年もの間、どこへいっても何も解決せず、楽にもならず、一瞬期待して、そのあと状況は悪化したり、そんな数々の治療やカウンセリングと違い、根本的な解決に近づくのがわかるものでした。
ユークリッドのホームページのカウンセリングの流れの中盤にあるように、
支配を切ったあとは、自分と向き合うしかなくなります。
カウンセリングに通われてる皆さんは『鬼だし』という言葉がわかりやすいでしょうか。
鬼は自分の中にしかいないので、
それをより先生が
「はーい、とれたよ、これでこれからの人生楽チンだね、がんばりましたね、ヨシヨシ」
と、そういうものではない、
と頭では理解しているのですが、
あまりに他人からの影響が大きいと、
他人がありきの生き方が自分のものになっていて、自分で自分の人生の舵取りをすることを忘れきっているんですね。
どこかでイヤなことは終わって全てがバラ色で、
何もしなくてもいいことばかりが起こる。
なぜかそれが回復だと思っていたことにも、途中で気づきました。
そう信じている限り
「おかしいな、こんなはずじゃない」
「何か原因があるんじゃないか」
「誰かの支配のせいじゃないか」
「もっと治療してもらいたい」
となってしまう。
そのループにいると、せっかくユークリッドまで辿りついた意味がない、と、抜けられない沼に繰り返し沈みそうになる自分を奮い立たせた日も、何度もありました。
何かを行動しようとする度に
「これはこうで自分は抵抗していて」とか
「つらい」とか「こうならなかったらどうしよう」とか、よぎるのは仕方ないとは思いつつも、
そことひたすら格闘し続けてるのは
麻薬と一緒だな、と、そういうのを止めようと意識しだしたら、体調的にも変な感じになって
カウンセリングの時に
「これって薬切れみたいなものですかね?」と
より先生に言ったら
「そうです」
とあっさり言われ、不安思考中毒という酔いを実感した時もありました。
誰もが見たくないなにか、思い出したくもないを抱えて生きているのでしょうが、そこに辿り着かせない自分が自分のラスボスみたいな感じでした。
(それも自分が創り上げているのですが)
より先生にあっさりそうです、と言われてしまうと、別のところに思考中毒、支配中毒のまま『酔わせてくれる人』を求めたくなるのも感じました。
回復の気づきやつらさを、なぜか誰かに話したくなってしまう。
これまで自然に人から支配してもらえるようにするのを、コミュニケーションと信じてきた部分があって、その辺を今さらながら、共依存の仕組みやアダルトチルドレン のワークブックなどをやって、人との適切な距離感の考え方を、思考からも入れていくようにしました。
回復に向かってきたところ、
他人のエネルギーに振り回されて疲れ果ててしまった時もありました。
「誰に会ってきたの?」
「ここで話すみたいに誰にでも自分のことを話してない?」
カウンセリングでそう言われたのが、
あらためて自分の一挙一動を、振り返るきっかけとなりました。
毎日様々な感情が湧きあがる度に、
それが自分自身であり、
また自分ではないのだと俯瞰しながら、
目の前のことにただ誠実にいようと心がけるようにしました。
今もそうし続けています。
全てに白黒つけるのを出来る限りやめ、
白黒つけてる自分に気づいても、それをダメだ!と責めることもやめました。
宿題も、書ける日も書けない日も、ちょっとしか書けない日も、こうでなければならないということを考えずに続けています。
不安や心配はなくなるということはなくて、
なくなるということはないのだと理解し、
ただそれに振り回されなくなることで、様々なことが格段に楽になりました。
「ずっと地獄をみてきたでしょう。なんだって出来るでしょう」
と、最後に言っていただきましたが、その地獄から別段場所が変わったわけでもなく、その諸々と生きていく、ということをしだしたのだと思います。
日々起こる出来事に対応する力、
自分の感情に振り回されない力、
それを使って生きるときが回復なんですね。
だからここが終わり、と線引きもする必要はない。
生きている限り人生は続いていくので。
生きていくために今すべきことをやる、
と腹を決めると、悩んでいる時間が純粋にもったいない、と思えてきました。
治療は終わっています、と言われた時は、
自分ひとりで大丈夫だろうか?と一瞬不安がよぎりましたが、この1年、
「今度ユークリッドでこのことを相談しよう。治療してもらおう」と支えにしてきたのが、
「何か本当に困った時には、ユークリッドがある」
という支えに変わり、
多分以前だったら先送りにしたような日常のことや、家族のこと、仕事の人間関係も淡々と対応しています。
全く悩まないことはありませんが、何を思ってもその自分に良いも悪いも正しいも間違いもないと思える自分を、自分が信頼しているような気がします。
現実の外枠の生活を整える力がわいてきたことが、昔から自分の中にある物を表現していく道に繋がるのだと確信があります。
ここまで支えてくださり、本当にありがとうございました。
「フォローはします」
と言ってくださっていたので、治療が終わったらユークリッドに行けない、とかではないので笑
今度行く時には、より先生もワクワクするような話をお土産に出来るよう、私の物語を生きていきます。
感謝をこめて