クライアント様からの声
こんにちは
カウンセリング途中の感想を書いて頂き
ありがとうございます
リアルに書いて頂き
今現在 同じく頑張っていらっしゃるクライアント様達には なによりの感想だと思います
「鬼出し」は 単なる支配を切る治療とは
違います
私も はじめ スーパーバイズの先生に
「その鬼ではない」と言われました
鬼出しには コツがあります
勿論 カウンセリングでお手伝いをしますが
鬼出しのコツは
「素直になること」
素直…それは
カウンセラーに対してではなく
自分に素直になっていくという事です
「なんで こんなに苦しいんだ」
「なんで 私は今 こんななんだ」
という入り口の素直さから
「私は こう 見られたかったんだ
なぜなら 〜 だったから」
と ずんずん もっと 自分の本心に潜っていくのです
それは 素潜りのようなのですよ
素潜りって コツがいりますよね
力を抜いて 抗わず
一心に そこを 目指す
鬼との決別が終わると
ふいに 何かが わかります
目が開いた瞬間がわかります
そうやって 素潜りのコツを掴むと
ご自身でも 支配を切ることが出来るようになります
そうすると 支配者を特定するなど
あまり 意味をなさなくなるのです
これから 楽しみですね
乙原
乙原先生のカウンセリングは不思議です。
ゴールが見えていてそこに向かってずんずん進んで行くようなのですが、途中、川を泳いで渡ったり獣道だったりするけど別にいいですよね?という感じで結構いろいろ強行突破しなければなりません。
世界観も、すごく、個性的です。
まずはしょっぱな、「鬼」とやらに驚きました。そして、もうひとつ、FAPカウンセリングを他でも受けたことのあった私は、身の回りの誰が支配者なのかをクライアントに明示しないことで、その特定の人を切り捨てさせない、というところもナゼ?と驚いたのを覚えています。
“なぜ支配者が誰なのか教えて下さらないのだろう、そしたらその人を「そういう目」で見て距離を保っておけるのに” と思ったこともありました。
治療の回数を重ね少しずつ見えてきたことは、支配者というのは身近な「限定1名様」ではなく、自分から万人に対して支配回路のようなものをオープンにしていることもあるらしいということでした。いつでも誰かにいいように支配されてしまうのです、しかも似たようなパターンで。そしてそこには「鬼」が関与してくるようだと。
私はてっきり、「根源にある悪しき支配を切り離せば、人生バラ色になるんだろう」と思っておりました。しかしこの度、ひと月ほどでしょうか、精神的にひどいどん底を体感し、多分そういうもんじゃないんだなと感じました。
「みなさん、ここで苦しむんです」と伺い少し安心したものの、その絶望感と無力感は本当に恐ろしく、どん底というトンネルを、私は一生抜けられないのではないかと、息もつけぬほど打ちひしがれて暮らしました。
みなさんどうやって乗り越えているのだろう、と思いました。とりあえず私の場合はこんな感じでした。
例えば私は、幼い頃から親に「あんたには才能がない。頑張ってどうにかなるようなもんでもない。でもまぁあんたは頑張屋だから、それでなんとか人並みよ。せいぜい頑張りなさい」と育てられてきました。
私には「自分には価値がない」という思い込みと同時に「頑張りだけは認めてもらうことができる」という構図が出来上がりました。私にできることは頑張り続けることだけです。そうすれば誰かに「頑張ってるね」と言ってもらえるかもしれないという希望のもとで。
不本意です。
でもどうやら、そんな自分に「酔う」らしいのです。私こんなに頑張ってる、誰よりも頑張ってる。そしていつしか私は「なんとか認めさせてみせる、私のこの頑張りを」という亡霊のようなものになっていました。これが「鬼」というものらしいのです。支配は「鬼」につけこみ、鬼は利害が一致しそうであれば、誰にでも支配権を開け渡してしまっていたらしい。
この場合のトラウマを「自分には価値がない」だとしてこれを治療すると、その抱き合わせの鬼である「頑張れば認めてもらえる」が揺らいでしまい、「酔い」が保てなくなるらしいのです。
頑張って認めてもらうことに、もはや意味が見いだせなくなってしまう。
酔えなくなると現実が見えてきます。一体何のためにあんなにしんどい思いをしてきたのか、私はこの先何のためにどう生きていけばいいのか、というのが噴出してきます。
本当につらいのは、支配者との戦いではなく、自分の鬼や酔いを切り離す戦いでした。だって他の生き方を知らないから。
生きていてもしょうがない。と思いました。
鬼って何だろうと考えました。
それは、こんなトラウマを持つ自分がなんとか生きていくために作り上げた幻の栄光のようなものではないかと思うのです。そうして甘い言葉をささやき、悲しむ自分をなぐさめてくれた。こいつが居たから頑張れたけれど、実はどうしようもないヤツだったという自分の一部なのではないかと思います。
どうすればこのどん底から這い出せるのか見当がつきませんでした。失ったアイツがいないと、私はエンジンのかけ方もわからない。
つらくてたまらず、体調も最悪でした。心に聞いても「いま工事中。」としか答えません。自分の中に埋まっていた要らないものを掘り起こし、自分の「素地」で埋め直すのだと言うのです。
「つらい」「体調が悪い」「生きててもしょうがない」と心に訴えても「今それどころじゃない」とかそっけない。しかしある日「今トンボをかけて地ならししてる」と言われ、翌朝ふと、終わった感とともに体が軽くなって目覚めました。どうも、最低限の生命維持以外はそっちのけだったらしく、ようやく通常運営に戻ったらしいと感じました。
支配を切るということは、それまで窮屈な檻の中で3食頂いていた環境から、突然大海原にぽつんと投げ出された状態になることを意味しました。恋しくなるのです、居心地は悪くても飢えることはなかった今までが。檻の中に戻してほしい、せめて寝る場所だけでも貸して欲しいと泣きわめき、自由というものは私の手には負えないんだと惨敗感を味わいます。
まだまだ治療中、ようやくどん底から這い出したように思うけれど、きっとまた別のどん底も待っているのだろうと思います。私にはまだ先が見えません。どうしたらいいのだろうという思いはそのままです。
ただ一つ言えるのは、「どうやって生きていこう」と思えるようになったということでしょうか。
心は「あと3割残ってる」と言います。
まだまだ引き続きよろしくお願い致します。