バランス

 

スピリチュアル的な感覚について

 

私は、そもそもスピリチュアルが大嫌いです

目的が嫌🤮

幸せになるための引き寄せとか
悟りとか

嫌いなのです

 

が、しかしカウンセリングでは使っている

その矛盾についてのお話

 

 

 

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大体、初回時で
なんとなく掴めるものがあります

そのかたの背後に広がる絵巻物的に広がるものを、ざっと眺めています

 

が、しかし
これが何を意味するのかわかりません

ある方は、大きな岩と大きな手が見えました
ある有名な昔の物語の暗喩なのかと思っていましたが

それは言わないでおこうと決めていました

 

しかし介入中に
クライエント様が見ているものを教えてもらうにつれて

細部がどんどん明るみに出てきて

 

・・つい少しばかり言ってしまうのよね

 

 

それを聴いたクライエント様の怪訝そうな顔を見て

実は私は少し安心するのです

矛盾するようですが
私が伝えたことを、『半信半疑』でいてくれる・・くらいの
心持ちの方だと
カウンセリングはとてもよく進むのです

 

 

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また、別のある方は、ご自身も何かしらの『勘』が働く方でしたが
その方も、自分の勘には懐疑的でした

このクライエント様は、小さな頃から
霊らしきものをよく見てらした方です

しかし『自分はおかしいんじゃないか・・?』
という視点をいつも持っているのです

 

なので、カウンセリングは

クライエント様の『勘』と、私の『勘』
での話になることもよくあるのですが

お互いに、『結局、やるしかないってことですね〜』と

地に足がついた話し合いで終わります

 

なんなら、保険の話から料理の話、時間のやりくりの話
などの情報交換などもしたりします

一番大事なのは『どう生きるかってこと!!』
と、社会の荒波に揉まれまくっています

 

 

勘や、霊感などがあったとしても
『生きること』は変わりません

推し活に精を出し、自分の人生をどう楽しくするかということに
今は頑張っていらっしゃいます

 

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色々な過去生らしきビジョンが見えまくっている方もいらっしゃいます

 

しかし、それらはカウンセリングで話に出てきても

結局、一番の課題は
『人との距離感』なのです

 

メールで
色々なビジョンを送ってきて下さるのですが

しかしカウンセリングになると
きちんと、自分の生活での困りごとを言語化されていくのです

その過去生らしきビジョンがあろうが、無かろうが関係ありません

 

ちなみにそのビジョンは
カウンセリングでしっかり癒しておきました
その後、そのビジョンに引っ張られることもなくなってきたようです

 

 

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また
他のクライエント様になりますが
おそらく生まれてくる前に
とても悔しい思いをして人生を終えられた方がいて

その方が人生をかけて
持ち越した感覚がありました

 

それは『勝ちたい』という感覚です

 

そして見事に今回も、『勝ちたい』という感覚が
いつも自分の中から立ち昇って来るんです・・とおっしゃる。

 

確かに『悔しい』がものすごいので
そこは癒しましたが

今回の人生では
『勝負事の土俵から降りる』という課題があるようで

『勝ちたい』という毎回訪れる数々の出来事に対して

 

・相手を打ち負かすか

もしくは

・自分の心の充足を一番に考えるか

 

というポイントで
いつも苦しい選択を迫られるわけです

 

しかしその方も
『勝った、負けた』で人生を使いたくないよなあ・・とおっしゃり

そもそもの土俵を降り続け
戦うことが無意味に覚えてきて

すると
次第に周囲が平穏な人々に囲まれるようになり
そして安心して過ごせるようになってきたというケースもありました

 

 

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結局のところ
何か霊感らしきものがあるとか
ビジョンがあるとか
過去生がどうとか
護られているとか

それは、オプションのようなものであって
本質ではないと思っています

 

むしろ、『業』のようなものなのかもしれないとさえ思うのです

『枷(かせ)』を背負っているような感覚です

周囲に話したところで
理解されるわけでもなく

むしろ怪訝そうな顔をされてしまったり

気味悪がられるというのが多いのです

 

なので孤独になりがちですし
自分自身も感覚に対して疑心暗鬼にもなることがあります

 

でも最近は
このような『不信感』を持ち続けるということも
案外大事なバランスなのかと思うのです

全くもって自分の感覚だけを信じてしまうことに
私は非常に恐怖を感じるのです

 

 

フロイトも
ユングも、『対』になるような考えと方針を持ちながらも

結局は二人で
『無意識』という世界観を炙り出しました

それは、2方向からの眼差しでもって
やっと浮かび上がってきた世界でした

フロイトだけでは成し得なかったし
ユングだけでも成し得ない

二人が交わって、語り合って、決別して
その後も意識し合って

そうして浮かび上がった世界観は、

その後の精神世界に転換を迫るものでした

 

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ブログではいつも迷ってしまうのです

無意識の世界のことをかくと、どうしても地に足がつかない感覚に陥りがちだし

王道の医療や、器質などのことを書くと
なんだか隠された大事なことをわざと逃しているような感覚になる

 

なので私は自分の中に
二つの指針を持つようにしています

 

いわゆる『あちら側の世界』を眺める部分と

『器質的でもあり身体的なアプローチをする』という部分です

 

あっちに行ったり
こっちにきたりと

カウンセリングでは忙しく立ち回りますが

でも、それが一番いいバランスなのではないかと思っています

 

過去生だ、守護だ
天命だ・・とクライエント様に隠された部分を眺めつつ

実質的な虐待や、いじめの影響
周囲の人たちからの影響を見ていき

そして元々持っている人間としての欲望を見つつ

カウンセリングを進めていくのが
一番、自分自身も安心なのだと思うのです

   

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