
私の友人であったママ友のお話
ママ友は由緒あるお家柄の本家の娘さんで
その土地では知らない人は居ないというくらいの人でした
庄屋様
もしくはその土地を治めてきたお家柄で
横浜駅から近い場所でしたが
一族の所有する土地はとても広大で
おそらく知り合いの何人もが、
売られたその土地に住んでいたのだと思われます
そのママ友は、何故か私を気に入ったのか
家に招待してくれたり
子供同士もよく遊ぶ仲だったので
幼稚園終わりなどにお邪魔したり、お土産などをいただく間柄でありました
当時、私の住んでいた横浜は再開発が至る所でなされていて
どこかしらが工事のアーケードで囲まれているなんてことも
しょっちゅうでありました
あるとき、よく使う駅のアーケードに
『横浜の昔話』をずっと、貼っている場所がありました(※)
銀座なんかを歩いていると
アーケードが、あまりにも無機質だからと
色々なアーティスト達が絵を描いたりなど
展示のスペースになっていることがありますが
おそらくそんな感じの一環だったのだと思います
無機質な白いアルミ製のアーケードに
繰り広げられる『昔話』
何個も何個も昔話が、絵巻物のように書いてありました
それらを、当時私は
立ち止まって本当によく読んでおりました
街は騒がしく、誰も足を止めて読んではおりませんのでしたが
そのアーケードの一角は
何か異質な雰囲気を醸し出しており
足を止めずにはいられませんでした
今になって思えば
ものすごい企画だったな・・!と思うのですが
その中で一つ
『!!!』と思った昔話がございました
それは『河童』のお話でした
あるところにイタズラばかりする河童がありまして
畑の食べ物を盗んだり
川に馬や子供を引き摺り込んだりと
悪さばかりしていたそうな
ある日、1人の浪人が
そんな河童を成敗しようと、馬を引くふりをして川のそばを通りかかり
馬を狙ってきた河童を見事、捕えたのだそうです
河童は見ると、メスであり
震えておりました
さて、こんな悪さをする河童を斬り捨ててやろうかいと
刀を振り上げると
河童は命乞いをするのです
『夫が、大蛇に戦いを挑まれて命を落としてしまいました
それからというもの、2人の子供を育てるために
悪いことと知りながら、馬を引き摺り込んだり
尻子玉(かっぱの好物で、人間はそれを抜かれると腑抜けになってしまう)
を盗んでいたのです。
もう金輪際いたしません
どうかお許しを』
そんな理由があったのか・・と浪人は刀を下ろし
約束を守れと誓いを立てさせますが
その誓いとして
メスの河童は
夫であったオスの河童の頭蓋骨を投げ入れて差し出したという
その頭蓋骨は
今も⬜︎⬜︎(地名)の〇〇家に保管されている
ーーーーーーーーーーーーーーー
・・・・の〇〇家は
まさにあのママ友!
そして地名も一致する!
驚いた私は、すぐにそのママ友にメールをしてみると
『あったよ〜!うちの蔵にあったんだって。
私のおばあちゃんは見たって言っていた。
でも空襲で燃えて無くなったって』
と返ってきたメール
ーーーーーーーーーーーーーーああ、惜しいことよーーーーーーーーーーーー
詳しく調べてみると
浪人ではなく、実はその辺りの和尚だったとか
頭蓋骨ではなくミイラだったとかですが
(実際にママ友の家にあったのは頭蓋骨だけではなくミイラだったとのこと)
私が住んでいた横浜くんだりは
そんな河童伝説や
浦島太郎伝説があって(そのあたりは亀が遊歩道のポールになっている)
触れてはいけない場所があり
また少し北に上がると
鶴見川には99匹の河童がおり
これもまた人間に押しやられてどこかに姿を消してしまったのだと言います
私は昔から
こういった『不可思議な生き物』たちの生態にとても興味があり
今、どうして認知されていないのか
本当に謎なのです
そして何より
私が介入で見えてくるものが
まさにこの『不可思議な生き物』たちが多いことが不思議なのです
なんというか
取り憑いている・・とは違いまして
一体化している?と申し上げた方が良いのかもしれません
よくみるのは昔話の
『飯食わず女房』です
あの頭の裏に、髪をほどくと
ものすごい大飯食らいの口👄が存在するというものです
その大きなお口が
もう良く見える!
口だけの不思議な生き物が、
どうしても見立てをすると見えてきてしまうのです
(これは精神分析的にも面白い解釈ができるのですが
それはまた別に書くとして)
さて、私のスーパーバイズである精神科医の先生も
同じように見る感覚を持っておりまして
こういった談義は盛り上がります
精神構造的、そして精神分析的にも
『自分が虫になった感覚がある』という訴えや
『自分は神である』なんかはよく出会うのです
もちろん分析的にも構造を見ていきますが
しかしクライエントさまは
そんな表面上での共感だとむしろ怒ってしまうらしいのです
だからもう全面的に
世界観を一緒に見てみよう!というスタンスの方が
クライエント様が落ち着かれることが多いのです
妖怪だけではありません
古今東西の不思議な生き物が
見えてくるという状況で、
この不思議な生き物達が『どうなりたいのか』ということを無視しては
クライエントの本当の回復はない
というのが私たちのスタンスでもありました
一見、張り付いているのもありますが
まさに『ご本人ですか??』という状態でいらっしゃる方もおりました
もう本当に不思議な存在でいらっしゃいます
その方達は
森羅万象的でもあり
人間が概念として作り上げてきた、いわゆる催眠的なものには
一切関わっていないという感覚の持ち主でもありました
どちらかといえば
人間と話すよりも動物や植物と話していた方が、話が通じるといった方々です
生まれつき
不思議な生き物なのか
生育でそうなったのか
知るよしも、調べようもないのですが
実際にいらっしゃるのです
頭の上に花が咲いている方もいらっしゃいました
もはや人間が
『人間とは、人間なのだ』と思い込ませてきたものは幻想で
私たち人間は
人間だと思い込みたいだけなのではないか・・?
と
私に一種のゲシュタルト崩壊が起こるわけなのですが
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が、私が自分でも不思議なのは
この不思議な生き物達に
異常なほどの愛着を覚えているからなのです
怖い妖怪でさえ
もう愛おしいのです
うちには、
猫むすめ・ろくろ首・蜘蛛女・ぬらりひょん
河童・座敷童
目が身体中についている生き物(名前分からず)
一寸ぼうし
そして伝説上の存在となられた武将の方々
有名どころの(自称)教祖さま
やはりここは日本だから日本系が多いのでしょうか
海外バージョンでは
私の親愛なるドラキュラ伯爵と
オオカミ人間
魔女
精霊みたいな方々もいらっしゃるし
もう何というか
『よくいらっしゃいました・・・!』
みたいな感覚
まさに私は湯バーバですよ(あんなに強欲ではない と信じたいですが)
お湯屋を経営している感覚。
こうやって読んでみても
忌み嫌う存在ではないと思いませんか?
ほとんどの皆様何がお困りかというと
人間が創り上げた秩序というものが難しいのだとおっしゃるのです
それは『人間至上主義』の概念です
日本にはまだ八百万の神がいらっしゃいますが
『人間が全ての生き物の上に君臨するものなのだ!ということに疑問を持たない』と
非常にお困りになっていらっしゃる
多様性!多様性!と言いながら
実はとても排他的で
気づいていないところに
たくさんの存在がいることに、
自ら気づこうとしない
が、故に
不思議な生き物達はどうにか居場所を確保しようと
もがいているのです
私が師達から教わっていることは
『森羅万象、全てに備わっている、在るものの声によく耳を傾けなさい』
ということです
最初慄いてヒーヒー😢な私に容赦なく『舞台慣れしなされ』と
師たちは言っていました
しかし舞台慣れとはよく言ったものだと
棲み家や居場所
そして存在や心を失われたら
いかに悲しかろうか、悔しかろうかと
深海に、沈んでしまった宝石を拾いに行くような感覚で
慣れてくるものなのです
誰にも拾われることのない悲しみは
恨みや憎しみを根にはるようになります
放っておかれた淋しさや心細さは
やがて
温もりを求めるという本能的な欲求を潰していきます
相手を慮る(おもんぱかる)心を潰していくものです
すると調和が崩れ
いずれその余波は
自分自身に波のように寄せてくるものです
だって私たちは繋がって生きているのですから
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至る所で伐採されて自然が形を変えていっておりますが
自然にテコ入れする最前線の工事現場の人たちから
『たたり』を恐れているという話をよく聞いておりました
利権争いや
闘争よりも怖いもの
何よりも不思議な存在からの抵抗が生じると
人間達は額を寄せ合って
相談し合います
面白いなあと思うのは
こういった抵抗に、人間はなす術が少ないということです
なのでやはり専門のお坊さまに
不思議な存在との仲介と交流役をお願いするのです
アニミズムが存在する私たちの国
あらゆる自然のものに霊魂や精霊が宿るものと考える信仰がある。
そことの交流が
未だ存在する日本も不思議な国だなあと思うのです
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話は戻ってカウンセリングですが
全くそういった不思議なものがいらっしゃらない人も
もちろん沢山ご来所されます
しかしどなたも『孤独と苦しさ』に喘いでいて
何か枷がついているような状態です
私の個人的な目標ではありますが
うちにいらしたどなたにも そういった『声なきものの声が聞こえるようになる』というところにまで
カウンセリングをしているつもりです
これは良い傾向もあり
一緒に住んでいる動物の気持ちがわかるようになってきた
とか
一緒に暮らしている家族とのコミュニケーションを
恐れることがなくなった
自分をコントロールしなくても良いんだと心と身体が緩んだ
という嬉しい副産物が出てきます
そういったお土産を
どなたにもお渡しできるような、
そんなカウンセリングが維持できるのも
うちにいらしてくださった方々から
多くのことを教えていただいているからなのだなあと
言葉では言い尽くせないほどの感謝しております
※
横浜市と東横線が主催していた工事壁面の昔話展示(2000〜2003年)あたりだと思われます
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