乗っ取り事件

解離する時とはどういう時なのか

解離をする時とは
いわゆる『あまりにも受け止められないことが起きた時』に
その時の出来事自体を感じることを分離させて自分のことを守るとありますが

臨床をしていると
そうばかりでもないな・・と思う時があります

 

先に書いたその『あまりにも受け止められない出来事』には
天変地異などの自然災害などで
その出来事自体を感じないモードにして
自分の心を守るというのは
単発の解離、ptsdとカテゴリされていいのかと思いますが

臨床の体感として 治療としては比較的、予後が良いものでもあります

 

なぜなら複雑性ptsdと比べて
単発のPTSDは
心に傷を負った出来事を、きちんと『あの時』と判別できます

『あの時』『あそこで』『あれが』『ああなった』と
5Wがわかっている

わからないという点は『どうしてああいう出来事が起きたのか』という
HOW が受け止めきれないということなのです

 

例えば地震が起きた時に
いつ
どこで
誰が
何を
どうした

というのは大体の把握ができるはずです

人が地震が起きて、一番理解できないのは
大抵は『どうしてこんなことになったのか』という
天からの采配においての疑問が
その場で処理しきれないからです

一番近くで、自分や、大事な人が傷つくなどの出来事が起きてしまった理由が
その場で処理しきれずに
苦しむなどというのが単発のptsdです

それは安全な場所と安全な人たちに囲まれて
何度も起きた出来事を思い出し、反芻させ得ることで

その出来事自体をきちんと脳に格納できれば
それは出来事として記憶の中に保持できます

そうすると出来事自体は、
痛みは伴えども
少しずつ形を変えて
圧倒的ではないようになってきます

 

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しかし臨床で見る『複雑性ptsd』は少し違った様相を呈しています

まず複雑性ptsdは、長期にわたる出来事から生じます

長期とは
おそらく数ヶ月程度から〜かなという印象を持ちます

複雑性ptsdとは
先に書きました5w1hが明確になりづらいという点も
治療を長引かせる原因となります

 

例えば長期にわたる虐待を受けてきたケースを見てみましょう

いつ
どこで
誰が
何を
どうした

ということを先ず脳は認知します

おそらく最初の虐待を受けた時

幼少期に

いえで

母親が

私を

叩いた  → そして悲しくて辛い 痛い

が自分の心の中でも、そして脳でも
出来事として把握しますが

そこで一番厄介なのが

虐待をした親が

『あんたのせいで、私はこんなに苦しんでるんだ!
お前なんか産まなきゃよかった!』
と叫んでいるとしましょう

すると
初期の段階では
心も脳も把握できていた虐待の構図が

母親からの『自己正当化の八つ当たりの言葉』のせいで

幼少期に

いえで

私が

母親に

殴らせる行動をさせてしまった  困惑 混乱

に変化してきてしまいます

 

そこからは
坂を転げ落ちるかの如く

自分が原因で人をおかしくしてしまったのだ

という構造を
自分の中で創り上げてしまうのです

防衛機制としての「取り込み」などもこの機序に関係しています

 

一方で
最初の事柄だけを認知した部分
『幼少期
家で
母親が
私を
殴った 悲しかった 』

という部分も存在しています

心の中でその二つの出来事を両立することは難しい認知です

 

また
長期にわたって
親が八つ当たりする行為を正当化しつつ子供にしてきた場合

親の言うことを『それは違う!』などと
言い返せる子供はなかなかいません

殴られる子供の身長はおおよそ100センチ程度だとすると

150〜もある大人から
大声で詰め寄られたら恐ろしいでしょう

1・5倍もしくは
1・8倍の大きさの存在から詰め寄られるということの
恐怖感と言ったらすごいと思います

(小学校に入学した時、6年生が大きく見えたことでしょう)

今私の身長は160センチほどありますが
それの1・5倍と言ったら 240センチ・・これが当時の母親の比率

今240センチの人に殴られると思うと
そりゃ怖い

もしくは父親の比率
288センチ・・およそ3メートルの人
怖い

 

その大きさの存在から
殴られて、もしくはいつも蔑まれたり損なわれたりしていたら
小さき人はどうしたらと途方に暮れると思います

その大きさの存在から
心を傷つけられたり
蔑まれたり
混乱させられたら
とても心許なく、辛い心境になると思います

 

長期にわたって
その『圧力』を受け続けるしかない環境において

どう『自分を生き延びさせるか』ということを
心も精神も身体も
必死になって探すのですが

言い返すことや、逆らうことが困難な場合は
なんとかして『自分が感じてしまう恐怖と矛盾』を
筋の通ったストーリーにしないと
心が壊れてしまうので

虐待者が主体としたストーリーを
無理やり飲み込むしかない・・ということになってしまいます

なので
虐待者が『主人公』、
自分が『脇役』となる物語を
出来事として自分の中の消化していくのです

その影響が後々に複雑性PTSDとして
現れるのです

 

虐待者が主体となって
自分を痛ぶったりするストーリー

・・『幼少期 親が いえで 私のせいで 私を殴った』

などのストーリーは
とても侵入的です

本来なら、心は持ち主、本人の『主観』で成り立つものですが

主体性を、他者に明け渡してしまったので
それこそ
『自分の感じていることを、他人のように感じる』ようになります

それはすなわち
生活自体に関わる『認知』を変化させてしまうという側面を持ちます

 

いつも
自分がどう感じているか

ではなく

いつも、自分が他者にどう感じられているか

と言う思考経路が創り上げられてしまったため

他者目線からの『自分』しかわからなくなります

 

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またこの場合の他者が
それなりに筋道が通る相手であればいいのですが

他者の人格が分裂気味であった場合は
かなり悲惨なことになります

この場合の『分裂』とは
『外面と内面が全く違う』という場合です

自分の、主体性を奪った相手が『外面』と『内面』が全く違う場合

自分の中で巣食う存在が
きちんとした人格をしていない場合

それこそ
自分を乗っ取った偽りの主人公が『やることなすこと矛盾と欺瞞に満ちていた場合』

それを取り込んでしまったご本人は
自分自身を分裂せざるを得ません

乗っ取った相手に合わせないと
生命の危険がありますから

色々な相手に対して
対応できる自己を創り上げないといけないという対策に追われます

これも解離を必要とする要因の一つです

 

カウンセリングでは
まず 自己に起きたストーリーを知ること

さらに 当時必要に駆られて自分を守るために行っていた『解離』や『取り込み』といったものを知り

どのように自分の感覚を取り戻していくか
(全く新たに作り替えることが必要なときも往々にしてあります)

ということが重要になります

その中でどのような援助の形がその方に最も望ましいのかということを考えながら

日々のカウンセリングに臨んでいます

   

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