いばら姫

『いばら姫』という物語があります

グリム童話で、別名を『眠れるもりの美女』とか『眠り姫』などと言う
有名な物語

グリム童話はどちらというと残酷系な物語が多く
『喰べる』とか『拷問』だとかが多いのも特徴なのだけれども
今回はその『いばら姫』についてからのブログ

 

 

ある国がありまして

この国の王様とお妃様には子供が授からないので
お妃様が水浴びをしていると
蛙がおもむろにお妃様に預言をします

『あなたはもうすぐ子供が授かりますよ』

蛙の預言通りにお妃様は御子を身籠るのですが

(ここで蛙の預言というのもなかなかに示唆的なのだけれども)

いばら姫は、産まれて間も無くに
国の魔女からのお祝いの席を父親である王様から開かれます

しかしその国には客用のお皿が1人分足りないため
1人だけ招待をされないことになりました

 

さてその当日に
国の魔女たちから祝福の預言を授かるのですが

ある1人の魔女だけ、その場に招待されていない魔女が
その宴席にきてしまい

招待されていないと、怒り心頭の魔女から
『呪い』の預言を授かってしまいます

 

『この娘は15歳になったら紡錘(つむ)に刺されて命を落としてしまう』

というものでした

紡錘(つむ)とは
糸巻き器の先っぽにあるものですが

それに刺されて命を落とすというのです

 

幸い、まだ1人だけ祝福をしていない魔女により
その呪いを中和すべく

『命を落とすのではなく100年の眠りにつくのです』という預言になされますが

気が気ではない王様により
国中の糸巻き器は全て残らず焼却されてしまいます

 

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さて、ここなのですが
結果は物語の通りにいばら姫は
紡錘に指を刺してしまい100年の眠りにつくのですが

この王様の『国中の糸巻き器を焼却せよ』という御触れは
なかなかに含蓄のあるものだという気がいたします

 

幼いいばら姫は、そんな経緯で
もちろん小さな頃に糸巻き器を見る機会を父親によって失くします

なので、その実態自体を知らないまま育ちます

なので、いざ15歳になったときに
初めて糸巻き気をみたときに
それがどういう仕組みかもわからないために

面白がって触れてしまうのです

 

 

物語というものの面白いところは
愛情があって、娘を守ろうとした王様の行為が
ゆくゆくは娘を窮地に追いやることになるというところです

もし、その呪いを知った王様が
娘であるいばら姫に

『糸巻き器というものは、こういうもので
だから触れてはならないのだ』

と説明していたならば
物語の趣は少し変わったものになりましょう

 

そうなのです
物語というのは、何年も、何十年も前の出来事や行動が
伏線となっているということが
このことからもわかるのです

 

さて王様は『目に触れさせない』そして『その物自体の存在を無くしてしまう』
という方法で娘を守ろうとしますが

でも、『在るもの』というものは
まるで不思議な意思を持つかの如く

ぽっと、来るべきときに存在を現します

 

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私は、自分の育てられ方の歪さゆえかもしれませんが
チヤホヤされるということが非常に苦手な子供でした

よく娘のことを
『うちのお姫様だもんな』なんていう家族に遭遇しましたが

身の毛もよだつ感じがするというか
そのような発言を自分の父親や母親がしたら
それこそこの世の終わりだという感覚を持っていました

なのでお姫様というものに
一種恐怖感を持っておりました

蝶よ花よ、と育てられるということを避けるために
ひたすら男の子のような格好をして生きていましたが

この、いばら姫という物語にも
その恐怖感を感じるのです

 

父親からの『娘への庇護』や『娘への女性性を見出す感じ』が
怖くてならないのです

父親の前で可愛らしさを出したら
それこそ、何かが終わるような感じがしていたところに

いばら姫の物語で
自分の中の嫌悪感と不快感に
割と早い時期から気がついておりました

 

私が絵本で読んでいた、それは福音館書店の絵本

の表紙だったが
この表紙の場面こそが
その国中の糸巻き器を捨てるところを
王様がお城から姫と眺める場面なのだが

 

もう怖い

『娘を守る』という行為自体が怖い

 

子供の行動を先読みして
『危険』を全く目の届かないところに追いやって育てても

結局
子供は、その『危険』に魅入られてしまうということがよくあります

これはカウンセリングでもよく出会う
クライエント様からの物語

 

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福音館のこの絵本は、本当に美しい絵で
何度も何度も繰り返し読んだ絵本だが
不思議とクライマックスのところには興味がなく記憶にも上がってきませんが

変なところにばかり記憶があって

まず王様よ
食器が足りないなら作らせればいいし

王様の、その過剰なくらいの庇護的な行動も怖いし

何より
その15歳にあるときに
王様とお妃様は連れ立って出かけてしまうという無計画さも怖い

あと、やたら
預言ができる存在が出てくるのも怖い
(だって蛙までもが預言をするのだもの)

 

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人間の行動原理というものに興味が出始めて
色々な先生に教えてもらったりしたのだが

行動原理の基本となる『快』だから
その行動を選ぶということで人生が動いていくというより

人生というものは
その行動原理などとは違うところで
大きな力が、常に影響を及ぼしているような気がします

 

そこのあたりはユングが言っている通りに

『偶然は必然の賜物』だと言いますが
偶然とは、その大きな力が地面のしたで動いている最中に
何かの拍子にちょっとだけ外に突き出てしまったような
そんな感覚を感じるのだけれども

 

話は戻って、このいばら姫の物語には
戦いや努力などの要素が少なめであり

ずっと物語を支えているものは『運命に従って導かれるところ』
があるということ

人生によって避けられることのない不幸だとか
(例えば王様が食器を用意していたら呪いをかけられずに済んだかもしれなくて
それは王様の過失が姫の災いを呼んだとも言えるし)

カルマだとか(カルマは仏教用語で意味合いが少し違うかもしれないが)

因果というものは
組んず解れつして

在る流れのところへ導かれているという物語で

ちょうど100年経ったところのラッキーボーイとなる王子様が
タイミングよく100年目に現れて
呪いを解くのだが
タイミングが良くて
王子様は特になんの苦労もなくお姫様のもとにたどり着けてしまう

(ディズニーなんかは王子様は戦うことになってるが原作のおもむきは
ちょっと違うようです)

100年より早くても遅くても
その呪いがとけることはなくて

むしろ100年より前にお姫様に会いに来た若者たちは
いばらにより命を落としてしまいます

王子様は、
王子様の功労(と言っていいのかわかりませんが)により
タイミングで
姫が眠りから覚めるのだけれども

『100年後に呪いがとける時に必要な人物として現れる』
という存在として生まれ出て
導かれて

『現場』で出会うということの

その妙味と言いますが
噛めば噛むほど
ユング的な物語であるなあと思うのです

もちろん教訓として読むこともできる物語ではありますが

出会うとか
原因だとか
結果だとか

そういうものというものは

人の行動だけで決まる範囲ではないところで

大河のようにゆったりと
脈々と蠢いているという

無意識的なものには逆らえないけれども

でも、人間が考えうる『逆らえなさ』と『そこに逆らいたい』という意識ですら

大いなる流れは飲み込んでしまい
それを伴ったまま

いずれ
ある岸辺へと辿り着かせる

そんな悠久な流れを感じる物語だと感じるのです

 

運命というものは
『糸』に例えられることもありますが

その『糸』により
眠りについてしまったというところも
どこかしら無意識的に
何かを感じてしまうようなところもあります

   

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